(飛諏訪山)浄宝寺
  中区大手町に建てられている「飛諏訪山(ひすわざん)・淨寶寺」です。
淨寶寺は、浄土真宗本願寺派のお寺です。
知新集によると
『沼田郡廣島中島材木町にある。昔は浄光坊とも浄光寺ともいっていました。後に現在の寺名になりました。
開基は、高田郡吉田村福泉坊三世の住僧・祐慶の弟・浄頓です。
山縣郡荒神原村の日野講という處に住み毛利時代吉田の飛諏訪という處に移り、いまの寺地(中島材木町)にかわりました。』
とあります。
お寺の資料によると
1945(昭和20)年8月6日原爆によりお寺(爆心地から≒500m)は跡形もなく消失し、15世住職、奥さま(坊守)、(学徒動員中の)長女の方々爆死。16世は(学童疎開中)孤児となり後,、お寺の復興に尽力。
1951(昭和26)年現在地に移転した。
』そうです。
2014年になって、この浄宝寺が知新集に記載があることに気が付き頁を編集しようと撮影しました。
2015年日赤での定期検診後ぶらり散歩した時、お寺の位置は移っていても被爆した墓石も移されているものがあるだろうと墓苑を拝見しました。
新しく建立された墓石の色と明らかに違い、建立年月日から被爆した墓石と思われるもの一ヶ所を撮影させていただきました。
 16.01.07.裕・記編集

14.08.21.撮影
広島市中区大手町3-1-24

14.08.21.撮影

14.08.21.撮影

15.02.08.撮影

15.02.08.撮影
 昭和二(1927)年八月廿日 明治十八(1885)年九月一日  明治丗九(1906)年七月十九日
いずれも被爆した墓石です

15.02.08.撮影
 
戦前の浄宝寺の位置がわかる平和記念公園に設置の「広島市中島本町被爆復元図」 



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