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中区中町に鎮座している「白神社」です。 |
祭神:菊理姫神、伊邪那伎神、伊邪那美神、天照皇大神、天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神 |
このあたりは16世紀頃までは海であり、船がしばしば海面につきでた岩礁に衝突し遭難したので船人は岩礁の上に白い紙を立て、船の安全をはかる目印にしていました。
文明6(1474)年豊前の太守・大友時盛が上洛の帰途ここを舟行の際風浪に苦しみ白神社に祈願して社殿を造営したとも伝えられていますが、「芸藩通志」では天文3(1534)年としています。その後毛利、福島時代には広島の総氏神として住民から尊崇されていました。さらに浅野時代には社領二百石を付けられ、再三社殿の造営が行われました。明治6(1873)年郷社に定められました。
昭和20(1945)年8月6日米軍投下の原子爆弾で神社は焼失しました。
昭和22(1947)年拝殿造営、昭和30(1955)年10月正殿を造営、さらに昭和63(1988)年現在の拝殿が造営されました。 |
爆心地から≒490m、 被爆当時町名は小町でした。 |
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広島市指定史跡及び天然記念物 白神社の岩礁 指定昭和59年11月28日 |
この岩礁は広島城築城当時(1591年)海岸線であったこの附近に露出していたものです。
又国泰寺愛宕池(あたご)の岩と一体のもので、このような岩礁が市街地に残っていることは、三角州発展の歴史をたどるうえで意味深いものです。
なお、かってこの岩礁上に白紙を立てて航行の目印としたとつたえられています。 |
昭和60(1985)年3月 広島市教育委員会 |
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この白神社はよく目立つのですがお参りに行くこともない不信心なわたしで立ち寄ることもなかったのです。
資料を見て被爆樹木の撮影に行ってみたのです。被爆したクスノキはすぐわかりましたが、クロガネモチが分りませんでしたが境内にはないと宮司の方に教えていただきました。春になって桜が咲いていた白神社を撮影し追加しました。 |
電車道を挟んで向かいのグランドパーキング大手町屋上庭園にミロのビーナス(ルーブル美術館の公認作品)が展示してあると云う事を聞き撮影に行った時に、この白神社を上から撮影していましたので、画像を差替え、また祭神を加筆しました。 |
10.11.06追記 05.08.13裕編集 |