|
廿日市市宮島町の塔の岡に鎮座している「豊国神社」です。
※通称、千畳閣と呼ばれています。 |
ここ千畳閣は、桁行正面13間、背面15間、梁間8間、単層で屋根は本瓦葺入り母屋造りの大伽藍で、金箔を押した軒瓦や棟の鬼瓦には天正17(1589)年の銘文があるなど桃山時代の気風を残しています。
豊臣秀吉(1536-1598)が毎月一度、千部経の転読供養をするために天正15(1587)年発願し、安国寺恵瓊(?-1600)を奉行として着手させました。
着工以来10年余、慶長3(1598)年秀吉の死によって完成をみないまま今日に至っています。
天井が貼ってなく、小屋組が見えたり、また正面縁側が切り込みになって床に竹のすの子張りのところがあり、正面入口がつけられる予定だったとか(全部畳を敷けば857畳だそうです)。
明治初(1868)年の神仏分離令※により仏像を大願寺に移し、千畳閣と改称して豊臣秀吉と加藤清正(1562-1611)を祀り豊国神社と称する。 |
 |
|
* |
厳島神社末社。国指定・重要文化財、1910(明治43)年8月29日指定。 |
※ |
1868(明治元)年3月、明治政府によって出された、古代以来の神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(きしやく)運動が起こった。神仏判然令。 |
|
2008年厳島神社に初詣に行ってその帰りに千畳閣の内部を撮影していなかったと、立ち寄りました。編集は今(2009年)になりましたが、追記しました。
宮島観光協会のweb siteに『軒瓦には金箔が押してあることから 完成していれば、さぞや豪華な桃山文化を取り入れた大経堂になっていたと思われます
。』と紹介があるのにその画像はありません。
2012年訪ねた時に思い出し撮影していましたが、そのままで2017年撮影画像を整理しているいまになりましたが、画像を加えこの頁を更新しました。
*鬼瓦には文字が彫り込まれているのですが正確に読めないのが情けないところです。 |
17.03.07.更新 06.02.02裕・記編集 |