|
西区己斐東に鎮座している「大元稲荷社」です。 |
祭神 大元稲荷大明神 |
鎮座の由来 大正14年(1925)千手観音菩薩像が佐伯郡己斐町の百花園普門山慈眼寺に祀られました。このとき鎮護神として大元稲荷社が同地に鎮座され、後にイトーピア造成に伴い、観音像が蛇抜に転座、更に、軍人谷に仮安置、昭和49年(1974)己斐東2丁目の新山に観音堂が新築移転されました。稲荷社も常に動座をともにしており、現在の新山千手観音堂の後背の地に鎮座し、この地の保安と観音堂の鎮守に当たっています。
お社の様式は地辺2m角、頂辺が1.1m角・高さ1.2mの反りのある角錐状の石積み台の上に桁行0.65m、梁間0.5mの社流造りの社屋が東南向きに置かれ、小規模ながら正規様式を備えています。かつては、朱塗りの鳥居が建てられていましたが、現在は朽ち果てて柱が一本残っています。 |
新山千手観音堂の左手の小道を登るとすぐにこの大元稲荷社の小さなお社があります。
2006年撮影してこの頁を編集しました。 |
2012年参拝した時、社の屋根が新しい銅板で吹き替えられたのだなと思って撮影していました。
撮影画像を整理している2015年のいまになりましたが、再編集しようと思い画像をみると、稲荷社下の基壇を低くして改築されていることもわかりました。 |
関連頁:新山千手観音堂 |
15.03.20.再編集 07.02.12裕・編集 |
|