(太宰府天満宮)包丁塚、荻原井泉水句碑

  福岡県太宰府市宰府の太宰府天満宮社殿裏に建立されている「庖丁塚」と「荻原井泉水句碑」を取り上げました。
※他に、「筆塚」「野見宿祢碑」も建立されていますので別頁で取り上げています。
2018年太宰府天満宮を参拝した時に、以前は気が付いていなかったこの二つの碑をここで取り上げ編集しました。
19.10.06.裕・記編集
庖丁塚
  福岡県太宰府市宰府の太宰府天満宮社殿裏側に建立されている「庖丁塚」です。
     庖丁塚(ほうちょうづか)
この塚は、調理技術者の使い古した庖丁を納め永くその功徳に感謝すると共に調理した鳥、獣、魚菜の霊を慰め、業界の繁栄と庖丁の余澤にあずかる万民の福祉を祈念して例年、庖丁式を行います。
天神様の境域に建立したものです。
      昭和47(1972)年11月吉日
         西日本鮨調理研究福寿会
ニュースなどでみていた宮島・大聖院の庖丁塚を2007年撮影していました。
(調理材料に手で直接触ることなく)箸と庖丁で調理する儀式を庖丁塚の前でやっている報道です。
ここ太宰府天満宮にも庖丁塚が建立されているので撮影したのです。

18.04.28.撮影
福岡県太宰府市宰府   太宰府天満宮

18.04.28.撮影
庖丁塚

18.04.28.撮影
荻原井泉水句碑
  福岡県太宰府市宰府の太宰府天満宮社殿裏側に建立されている「荻原井泉水句碑」です。
この句碑の筆蹟は井泉水の自筆。句碑は、1967(昭和42)年5月建立。
筑紫耶馬渓産玄武岩製で高さ3,3m、幅1.4mだそうです。
荻原井泉水(おぎわら せいせんすい:1884-1976
俳人。東京市生。名は藤吉、別号に愛桜・随翁。東京帝国大学文科大学言語学科卒業。
河東碧梧桐(1873-1937)の新傾向俳句運動に参加し、「層雲」を創刊する。
作風は、季題を廃止した印象的な自由律で、門人に種田山頭火(1882-1940)・尾崎放哉(1885-1926)らがいる。句集に「原泉」「長流」等がある。
この石碑に刻まれた文字はわたしにも読めました。指を折り五・七・五ではないが、短歌でもないなと思ったのですが、その時は作者はわからなかったのです。
帰宅後NET検索すると荻原井泉水句碑ということがわかりました。
以前山口県防府市で門人であった山頭火の自由律句碑をみてきたので、この句もそうだったのだとわかりました。
この句碑の根際に御神牛(撫で牛)が建立されていましたので、引いた構図で撮影しました。
今回表参道突き当りの御神牛についで、2つ目の御神牛でした(太宰府天満宮のweb siteによると10箇所に建立されているようです)

18.04.28.撮影

















福岡県太宰府市宰府   太宰府天満宮

18.04.28.撮影
                  “撫で牛”    と   「荻原井泉水句碑」
御神牛(撫で牛)
天満宮では牛が聖獣とされ、境内に臥した牛の像が安置されています。
牛は菅原道真の乗り物と考えられることも多く、各地に「牛乗り天神」の人形が伝わる。また、撫牛には、天神の神紋である梅花紋が刻される像も少なくないそうです。



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