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福岡県太宰府市宰府の太宰府天満宮手水舎手前に建立されている「徳富蘇峰詩碑」です。 |
菅原家から道真が出て右大臣に抜擢されました。宇多上皇や醍醐天皇の厚情によるもので、その恩に感謝して身命を投げ打って勤めにはげみました。このことが、讒言されて(無実の罪で)太宰権師においやられました。その悲しみに心が痛むときは、ひまわりの花が太陽の方を向いているように、青空を仰ぎ宇多上皇や醍醐天皇の情けを思い出して慕いました。天満宮は、全国各地にあり参拝されていますが、道真の天皇に対する純粋な心は、いつの世までも、手本とすべきものでしょう。 |
*昭和29年=1954年 1954-1863=91(数え年で)92歳 |
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(とくとみそほう)
徳富蘇峰:
(1863-1957) |
評論家。熊本県生まれ。本名、猪一郎。筆名、菅原正敬。蘆花の兄。
民友社を創立し「国民之友」「国民新聞」を刊行。進歩的平民主義に立つ時論家として知られたが、日清戦争前後より国権主義に転じた。第二次大戦中は大日本言論報国会会長となる。戦後、公職追放。著「近世日本国民史」「蘇峰自伝」など多数。 |
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今(2011)年、三年ぶりに福岡に行き、福岡博物館で、本物の金印をみたりしました。
頁を編集しようとしていた時、まだ2008年に編集途中のこの頁を思い出し、(尾道市の)文学のこみちで、徳富蘇峰・詩碑を先に編集していたりしましたが、今回編集しました。
2018年天満宮を参拝した時、この蘇峰詩碑の隣の麒麟像に人だかりがしていましたので、麒麟像を撮影する前にこの蘇峰詩碑の回りがわかるように撮影しましたので、その画像を加えこの頁を更新しました。 |
19.08.04.更新 11.06.28裕・記編集 |