幸崎町能地のまち

  広島県三原市幸崎町能地の町並みをここでは取り上げました。
※ここで行われる「能地春祭り」の説明文が南山資料館前に貼ってありましたので祭りのことも取り上げました。
  (ただ、わたしはこの祭りをみたことがありませんし、TVなどの報道でみたこともありませんので)
JR安芸幸崎駅から南山資料館までの道すがらの狭い範囲でわたしの見聞の頁です。
能地(のうじ)を地名辞典でひも解けば、瀬戸内海の三原瀬戸に面して位置するとあり、
〔近世〕能地村=江戸期~明治22年の村名。安芸国豊田郡のうち。
はじめ広島藩領、1632(寛永9)年三次藩領、1720(享保5)年から再び広島藩領。明暦頃(1655-1658)忠海村から分離。
1889(明治22)年4月1日町村制施行により豊田郡能地村+渡瀬村=佐江崎村(さえざきそん)。
1929(昭和4)年1月1日佐江崎村が町制施行し幸崎町(さいざきちょう)に改称。
  1931(昭和6)年4月28日国鉄三呉線(現在の呉線)須波駅~安芸幸崎駅開通。
  1949(昭和27)年幸陽船渠(こうようせんきょ)株式会社設立

1956(昭和31)年9月30日三原市に編入。
  2014(平成26)年今治造船に吸収合併され、今治造船広島工場となりました。
  幸崎町能地春祭り    広島県無形民俗文化財  指定:平成7(1995)年9月21日
南山資料館玄関に貼り出されていた「幸崎町能地春祭りのながれ」(画像は下段)によると、
『三原市幸崎町能地(のうじ)は、古来より漁業で栄えた町で、その記述は日本書記にもみられ、瀬戸内海漁業の発祥の地とも伝えられています。
ここで、毎年行われる「浜の祭り」は、常磐(ときわ)神社の春祭りで、豊漁を願う勇壮な祭りとして知られます。
能地の漁業はいまは全く姿を消した家船(いえぶね)と呼ばれる住まいを兼ねた船で近海の漁をし、また打瀬(うたせ)船で、九州や讃岐方面まで出掛けて漁を行い、一年のほとんどを船の上で過ごす人々も、この祭りに先駆ける旧正月十四日の明神祭りまでには必ず帰り、賑やかに祭りを行っていました。
祭りはまず明神祭りで、世話人である「当家(とうや)」を決めるくじ引きから始まります。それから当家を中心に旧正月二十七、二十八日(平成5年から三月の第四土、日曜日)の祭り当日に向けて、一~四丁目の各町内から出される四つの「ふとん楽車(だんじり)」の準備、楽車に乗り太鼓を打つ八人の神童の決定、その稽古と準備が進められます。
祭りは御神体を乗せて常盤神社を出発した神輿が町の氏神・幸崎神社(東の祭)へ行き、御神体を迎え、ニ神となってその夜を御旅所となる老婆(うばく)社で明かし、翌日常盤神社(西の祭)に向かって進み、
見所は、何と言ってもこの渡御(とぎょ)する神輿を挟む四つの楽車の激しい練り合いと、要所要所に奉納される「獅子太鼓」です。
楽車を使うようになったのは天保(1830-1844)から明治にかけての頃で、伊予新居浜の辺りに出漁していた者が見て帰ったのがはじまりと伝えられています。楽車には五歳から八歳くらいで化粧をし、着飾った男の子が神童として乗り込み、太鼓を打ち続け、町内の若者たちがそれを加谷担いだり引っ張ったり、時には楽車同士がぶつかり合って練り合いをします。その練り合いの激しさは、渦潮に乗る船の様子を表し、勇壮で男らしい迫力あるもので、時に通りの家の軒先を壊すこともあります。
「獅子太鼓」は、平和と五穀豊穣、大漁を祈願して奉納されるもので、八人の神童の手によって行われます。三十八手(以前は四十八手あった))の打ち手があり、ちゃんぎりや笛、獅子舞も加わり、軽快な中にも優美さを備えたリズムで、神楽の音ではなく、雅楽の流れをくみ、日本でも珍しいものと云われています。
1974(昭和49)年三原市の無形文化財に指定され、1995(平成7)年9月21日には広島県無形民俗文化財に指定されました。』というような記述でした。
広島県教育委員会の資料では「能地春祭のふとんだんじり」の解説として
『これは毎年3月の第三土曜日と翌日日曜日に常磐神社の春祭に行われる、山をふとん状に飾っただんじりが町内を練り歩くものです。
このような「ふとんだんじり」は(広島)県中央部の沿岸部及び島嶼部に残っていますが、能地のこれは江戸時代中期(18世紀)から伝承され、だんじりの神幸がしっかりと残っていること、間に獅子舞を伴った太鼓(獅子太鼓)が演奏されるなど、民俗芸能として古い姿を残しており、四国地方北部の沿岸地域との文化交流を知る上で貴重なものです。』ということで指定されたようです。
今(2017年9月)回、呉線三原駅から吉名駅間(竹原駅は以前撮影済)の未撮影駅を撮影に行きました。
この地のJR駅・安芸幸崎駅で下車して次の三原駅行き電車の時間まで1時間ほどありましたので、幸崎神社を参拝すること、南山資料館は外観しか見学できないということでしたが見てみようと事前に計画しました。
この頁ではJR安芸幸崎駅から南山資料館までの狭い範囲での能地のまちの紹介でしかありません。
駆け足で、常磐神社まで行くことはやめましたので、能地春祭りに欠かせない常盤神社の画像がない頁になっていることに、まず触れておかなくてはなりません。
漁業で栄えたまちでありながらぶらりした(春祭りのだんじりも通る)通りは、旧街道の商家が並ぶ道筋のように感じる佇まいを残しているものでしたので取り上げこの頁を編集しました。
  18.02.11.裕・記編集

17.09.08.撮影
これからは、広島県三原市幸崎町能地4-19-15 幸崎神社階段から南山資料館までのまちなみ

17.09.08.撮影

17.09.08.撮影

17.09.08.撮影
広島県三原市幸崎町能地3369 南山資料館に貼出されていた「幸崎町能地春祭りのながれ」

17.09.08.撮影
(「幸崎町能地春祭りのながれ」説明紙です-説明文上記-)

17.09.08.撮影
(説明紙の写真を使用しています)

17.09.08.撮影

17.09.08.撮影
(これ方は)幸崎神社からJR安芸幸崎駅への道すがらをみました

17.09.08.撮影
やはりいまの今治造船所の門型クレーンが目に入ります

17.09.08.撮影

17.09.08.撮影
広島県三原市幸崎能地3-4-1  JR安芸幸崎駅

17.09.08.撮影

17.09.08.撮影
清水南山説明板 
三原市上水道幸崎地区通水記念碑 
天野禮次翁頌徳碑



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