(護国寺)笠塔婆

  山口県防府市本橋町の護国寺に建立されている「笠塔婆」です。
県指定文化財  護国寺笠塔婆(かさとうば)  昭和51(1976)年11月24日指定 防府市本橋町820番地
笠塔婆は、柱状の塔身の上部に笠石をのせた石造塔婆の一種で、死者の霊をなぐさめるための供養塔です。平安時代末頃から江戸時代初期頃まで造られていました。
当寺の笠塔婆は、塔身に刻まれている銘文から鎌倉時代初期の貞永元(1232)年、刑部(いさかべ)氏(周防国府の目代であった刑部丞忠康)が中子(なかつこ)の供養のため建立したことがうかがえます。このように笠や基礎も建立当初のままほとんど完全に(宝珠・請花は後補)残っている笠塔婆は、全国的にみて貴重なものです。さらに塔身がそのまま埋め込まれているものが多いなかで立派な一段の基礎があり、そこに梵字を刻んだ意匠や、塔身下辺の巴文(ともえもん:弓をいるときに左手につける鞆という防具をかたどったC字形模様のこと)を配した装飾など他に例をみないものです。
                          平成6(1994)年3月   山口県教育委員会
この笠塔婆は、凝灰岩製で、基礎19cm、塔身50.5cm、笠16cm、露盤3.5cmからなります。
上部にある受花宝珠(ほうじゅ)は別のもので、受花宝珠を除く高さは89cm。平面は各部分とも長方形です。基礎正面は三区側面は二区に分けて、それぞれ線刻の月輪内に梵字「ア」を陰刻しています。塔身は下方に連子と三巴文を交互にめぐらし、上部には蓮坐上に月輪を置き、弥陀三尊を平底彫りであらわします。背面は蓮座上に八葉蓮花を作り、胎蔵界の中台八葉院としています。その下方に銘文があり、貞永元(1232)年に刑部中子の供養の為に建立されたことがわかります。笠は寄棟造りになり、軒反りはゆるやかです。蓮華や梵字の形式、笠の反りなどすべてが鎌倉時代中期の手法がよくあらわれていて、小形ながら優秀な石造遺品ということができます。
そとば
卒塔婆
(梵語)stpaの音写。髪の束・頭部の意
1. 仏舎利を安置したり、供養・報恩をしたりするための建造物。インド・中国では土石や(せん)を積み、日本では木材を組み合わせてつくる。塔。塔婆。そとうば。
2. 死者の供養のため、墓石の後ろに立てる細長い板。上方左右に五輪塔の形を表す五つの刻みを入れ、表裏に梵字・経文・戒名・没年月日などを記す。板塔婆。そとうば。
種田山頭火のお墓が建立されていると云うので訪ねた護国寺でした。
山門を入ってすぐのところにこの笠塔婆(山口県の有形文化財に指定されている)があり、(わたしは)梵語が読めるはずもありませんが、説明板が設置されていますので阿弥陀三尊を刻んだものかと思い撮影しました。
 11.11.18裕・記編集

11.09.22.撮影
山口県防府市本橋町2-11

11.09.22.撮影

11.09.22.撮影
正面:阿弥陀三尊を表す種子(しゅうじorしゅじ)を刻んでいます

11.09.22.撮影
背面:中台八葉院曼荼羅を刻んでいます

11.09.22.撮影

11.09.22.撮影



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