(防府天満宮)萩狛犬

萩狛犬       防府天満宮幕末の史跡めぐり
  文久2(1862)年に寄進されたこの狛犬は、萩の石工・武村唯昌とあることから萩狛犬と呼ばれています。
北野天満宮、太宰府天満宮にも同様の萩狛犬が建立されており、幕末における長州藩での天神信仰の広がりを感じさせます。
禁門の変で長州藩は敗走。その後、京都守護職の会津藩が北野天満宮に鳥居を奉納。しかし、鳥居の側に奉納されていた萩狛犬を会津藩士が見つけ「長州獅子、汝まだ去れざるか」と神社に撤去を要求、実力で倒そうとしたところ、一天にわかにかき曇り雷鳴が響き渡りました。会津藩士は、雷神である菅原道真公の祟りと恐れ逃げ帰ったと伝えられています。
きんもん
   のへん

禁門の変
元治元(1864)年長州藩が京都に出兵し、会津・薩摩などの藩兵と蛤御門付近で戦って敗れた事件。前(1863)年8月の政変で京都を追放されていた長州藩の勢力回復を図ったもの。これを機に、江戸幕府の第一次長州征伐が行われた。蛤御門(はまぐりごもん)の変。元治の変ともいう。
菅原道真(845-903)は、死して天神(雷の神)になったと伝えられています。
民間伝承では惧(おそ)れと親しみをこめて雷神を「雷さま」と呼ぶことが多く、雷さまから逃れるための方法は、蚊帳に逃込む、桑原・桑原(くわばら:菅原道真の亡霊が雷さまとなり、都に被害をもたらしたが、道真の領地であった桑原には雷が落ちなかったという伝承から由来)と唱えるなどが伝えられています。
1984年、2003年初詣をした防府天満宮でしたが、この萩狛犬といわれるものの説明板には気が付きませんでした。今(2011年)回初詣の時と違い静かな環境で参拝しましたので、この狛犬の前に設置されている説明板に目がいき読むと、明治維新を成し遂げた長州藩に伝わる伝承のように(わたしは)思いましたので、説明板が設置されていた阿形の狛犬を中心に撮影しこの頁を編集しました。
 11.11.25裕・記編集

11.09.22.撮影
山口県防府市松崎町14-1 防府天満宮

11.09.22.撮影

11.09.22.撮影

11.09.22.撮影

11.09.22.撮影

11.09.22.撮影
阿形萩狛犬

11.09.22.撮影
狛犬台座に刻まれている、牛(天満宮祭神の使者と云われています)、梅(飛び梅の伝承があります)



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