周恩来総理詩碑

  京都市右京区嵯峨亀ノ尾町の亀山公園に建立されている「周恩来総理(記念)詩碑」です。






















































































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詩の前半は嵐山を詠い。後半の部分がいいたいことではなかったのかと(わたしは)思ったのです。
『世のもろもろの真理は、求めるほどに(曖昧)模糊(あいまいもこ)としていているものですが、模糊の中に一点の光明(希望)を見出せば真(まこと)になまめかしく(美しく)覚えるものです。』
ということで、中国の革命運動に光明を見出し帰国を決意したことへの表明かな?と解釈しましたが。
*2010年9月27日この詩碑にペンキが吹き掛けられるといういたずらがあったことをNETニュースで知りました。
          周恩来(しゅうおんらい;ヂョウ・オンライ:1898-1976)
中国の政治家。江蘇省淮安(わいあん)の人。日本に留学後、天津で五・四運動に参加。のち、パリ留学中に中国共産党フランス支部を組織。第二次大戦中は国共合作・抗日統一戦線結成に活躍。中華人民共和国成立後は国務院総理として敏腕を振るった。
1917(大正6)年9月から1919(大正8)年4月にかけて日本に留学、予備校や明治大学に通うが、帰国を決意し船に乗るために神戸に向かう途中、京都の嵐山に2度寄って(遊んで)「雨中嵐山」の詩を詠んだそうです。
          廖承志(りょう しょうし;リャオ・チョンヂー:1908-1983)
中国の政治家。東京生まれ。父は国民党左派の指導者・廖仲ガイ。長征、抗日戦に参加。中華人民共和国成立後は日中国交回復に尽力。中日友好協会発足以来、その会長を務めた。
嵐山に来たのは学生時代でしたので、40余年前になり、それ以後何度かきた事がありますが、バスツアーで来た2009年、昼食を摂った後嵐山散策の時間があり亀山公園をぶらりした時にみたのが、この「周恩来総理詩碑」でした。
周恩来を語る時、誠実な人柄、権力を欲しない謙虚な態度からか、文化大革命に於いても失脚することがなく、TVニュースでみた日中国交回復の1972(昭和47)年日中共同声明調印式での田中角栄(1918-1993)元首相と握手していた処を(わたしはいまだ)覚えています。
周恩来が親日の人物だったかはわたしにはわかりませんが、少なくとも知日の人物だったろうと思うのです。現在日中関係を考える時、反日の人物が中国の政治を動かし、反日の若者を多く輩出している事を思うに付け、日本を知っている人物が政治の中枢に少ない(いない)不幸を思いながらこの詩碑の頁を編集しました。
12.01.05裕・記編集

09.01.08撮影
京都市右京区嵯峨亀ノ尾町  亀山公園

09.01.08撮影

09.01.08撮影

09.01.08撮影



「京都ぶらり散歩」編



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