角倉了以すみのくらりょうい・銅像

  京都市右京区嵯峨亀ノ尾町の亀山公園に建立されている「角倉了以・像」です。
翁(本名与七)の生誕は天文23(1554)年京都・嵯峨に生まれました。
徳川家康は慶長8(1602)年に幕府を開き続いて駿府城に政経文化の中枢審議機関を設置して京都から翁を迎えました。翁は息子の素庵(与一)の協力を得て12月には「安南国貿易」「御朱印船貿易」の第一船を出航慶長9(1604)年6月に歸国以来慶長13(1608)年まで角倉船は年一回の出航を続けたが七度目に烈しい風波のため難破し翁は家業を素庵に譲り隠退。以後その蓄財を基にして河川の開削事業を始めました。
現在の銅像は二代目です。初代は大正元(1912)年に建立、第二次世界大戦中に供出されました。しばらく台座だけが残り、昭和63(1988)年有志が新たに銅像を建立しました。
1)慶長11(1606)年「保津川大堰川の開削」完成 (丹波からの水上輸送を確立、京都の近代の発展)
1)慶長12(1607)年「富士川疏通」完成
1)慶長13(1608)年「天龍川開削」は未完成
1)「方広寺大仏殿再建」のため鴨川の疏通実施
1)慶長16(1611)年「高瀬川の開削」完成
1)慶長19(1614)年六十歳にて没しました
                 趣意書
海をもたない京都に運河として大堰川、高瀬川を開削した角倉了以翁像を大正元(1912)年三十五聖人が建立し、名所となりましたが第二次世界大戦で千人針とともに征きて蘇らず。主待つこの台座も四十数星霜を経ました。今般私共町衆は先人の功績を継承し再建されました天下の名勝嵐山亀山公園内に角倉了以翁像再建山段会長世話人となり45年目の春を迎えて寿   
               角倉了以翁像碑保存会  
嵐山に来たのは学生時代でしたので、40余年前になり、それ以後何度かきた事がありますが、バスツアーで来た2009年、昼食を摂った後嵐山散策の時間があり亀山公園をぶらりした時にみたのが、この「角倉了以銅像」でした。
碑文、趣意書(小西恭・文)はわたしが解釈した記事にしましたので、原文通りではありません。
現在の位置に渡月橋を最初に架けたのがこの角倉了以だったそうです。
11.12.19裕・記編集

09.01.08撮影
京都市右京区嵯峨亀ノ尾町  亀山公園

09.01.08撮影
「大堰川高瀬川開削王角倉了以翁銅像再建」 鍬を手に大堰川を見つめる

09.01.08撮影

09.01.08撮影



「京都ぶらり散歩」編



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    (京都市)亀山公園
周恩来総理詩碑
角倉了以銅像
(現在の)渡月橋
津崎村岡局銅像


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