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中区中島町の平和記念公園に建立されている「朝鮮民主主義人民共和国帰国記念時計」です。
※1959(昭和34)年12月14日建立。
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平和を祈願し、朝・日友好のしるしとして帰国記念のために(北朝鮮へ)帰国した人たちを中心に約20万円の資金で建設され、広島市に寄贈されたそうです。 |
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平和記念資料館東館(の駐車場)の東南角に建てられた時計塔です。
時間を知るのに設置されているのかなとおもっていたのですが、その役目もあるのでしょうが傍に行くと『朝鮮民主主義人民共和国帰国記念 広島県在留朝鮮人帰国者1959(昭和34)年12月14日』とあったのです。
当初は、市公会堂(現・国際会議場)の南側緑地帯に建てられたそうですが平和記念公園の整備にともない現在地に移設されたそうです。 |
建立台石:高さ20cm×幅71cm×奥行70cm 時計部分:高さ≒5m |
資料は(被爆体験証言者交流の集い編)慰靈碑解説のしおりを参考にしました |
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1959(昭和34)年8月13日に日本の赤十字社と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の赤十字会との間で結ばれ、帰還に関する協定に基づいて集団的、組織的に在日朝鮮人が日本から北朝鮮へ(新潟港から)帰国していきました。
第一船1959(昭和34)年12月14日、広島県内関連では12月17日56名、12月24日23名が帰国したそうです。 |
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(上記)資料を見て2002年撮影してこの頁を編集しました。
2005年時計塔とその記念碑がもう少しわかるようにと撮影しました。 |
2017年8月JR呉線安浦駅舎前に建立されている北朝鮮帰国記念植樹碑をみて、ここ平和記念公園のこの朝鮮民主主義人民共和国帰国記念時計を久しぶりに撮影してみるかと思ったのです。
11月になりましたが、撮影しようと平和記念資料館東館駐車場端からみたとき“おや!”と思ったのです。
以前撮影した時に見えていた時計(面)がみえなかったのです。
北面が壊れ?蓋がされていました。広島市に寄贈されたのですから故障を直したらいいのにと思いました。
最低限、南面は動いていましたので、駐車場から見える面に動いている時計面を向けて、蓋で塞がれた面を北側にしたらよかったのにと(わたしは)思いました。 |
17.11.28.更新 02.11.25裕・編集 |