藤川製作鋼所供養塔

  安芸郡府中町茂陰の久蔵寺に1946(昭和21)年建立された「(藤川製鋼所)供養塔」です。
正面: 供養塔  
      真宗勧学 花田凌雲(広島県出身:1873-1952)題
側面: 昭和二十年八月六日国民義勇隊トシテ出動中原子爆弾ノ為戦災死
側面: 昭和二十一年八月六日株式會社藤川製鋼所
裏面: 戰災死者120名の方々のお名前が刻まれています
藤川製鋼所(現:藤川産業)は、第2次世界大戦中軍需工場として軍艦のスクリューなどを製造していたそうで、工場は広島市大州にありここ府中町にも社有地があり丘陵地に横穴を掘り製造機械を疎開させ作業をしていたそうです。
当時、学徒動員の松本商業の生徒や女子挺身隊員を含め600人ほどが働いていたそうです。
1945(昭和20)年8月6日(月)は府中工場は代休だったが、従業員、動員学徒、女子挺身隊員ら120名が国民義勇隊として県庁附近・主水町の建物疎開作業に出動して全員が原爆の犠牲になり亡くなったそうです。
1946(昭和21)年8月6日供養塔を藤川製鋼所(初代社長・藤川長市氏)が建立されたそうです。
資料で知っていましたが今までこの辺りは行ったことがありませんでしたので、2006年地図をみながら訪ねました。府中町には現在でも工場が多くあります。
藤川産業は、現在も山陽本線沿いにあります。山陽本線での通勤時に、窓外を眺めていて、「歯車の藤川産業」の看板を目にしたことがあったな〜と思いだしました。
2015年再び訪ねようと思っていましたので、時々乗る山陽本線電車の中から「歯車の藤川」の看板(上部画像)を探していたのですが、無くなったようでした。
11月終わりごろになって、久しぶりに訪ね撮影しました。
供養塔の撮影が終わって、山陽本線沿いに出て藤川産業はと見ましたが、そこには墓苑と久遠寺新本堂が建っていました。
藤川産業は廃業されたようで、藤川製作所はこれからこの供養塔に名を残すだけになるのだろうかと思いました。この頁を再編集しました。
15.12.10.再編集   07.01.14裕・記編集

06.12.25.撮影
安芸郡府中町茂陰1-13-21 久蔵寺

06.12.25.撮影

06.12.25.撮影

06.12.25.撮影

06.12.25.撮影

15.11.21.撮影

15.11.21.撮影

15.11.21.撮影

15.11.21.撮影



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