(原子爆弾犠牲者慰霊)宮島平和観音

  廿日市市宮島町の大願寺に建立されている「平和観音像」です。
※佐伯郡宮島町は、2005(平成17)年11月3日廿日市市と合併編入されています。
1954(昭和29)年発足の原水爆禁止宮島協議会が地元宮島の原爆犠牲者慰霊の要望に答え宮島仏教八ヵ寺、遺族、有志の協力を得て1955(昭和30)年12月陶製慈母観音像の慰霊碑を建立したそうです。
陶製観音像は台風時の飛石などで傷つき破損が目立ってきたので、1988(昭和63)年に宮島町社会福祉協議会、寺社関係者が平和観音建立実行委員会を組織して再建を目指し、広く町民の浄財を募り、
1994(平成6)年に開眼供養されたのが現在の石造座像の平和観音(2.6m)だそうで、六体の地蔵菩薩が平和観音の(背後)周りに鎮座されています。
社会福祉協議会の資料では、戦没者227名中59名が動員学徒で、原爆死没者は60名を超えているだろうということだそうです。
厳島神社をお参りしてから廻廊を通り出口へ行くのですが、出口前には大願寺の境内があります。その境内の東側にこの(宮島)平和観音が建立されています。
資料でこの宮島平和観音が建立されていることは知っていましたが、2007年原爆関連慰霊碑としてやっと撮影し編集しました。
2015年久しぶりに撮影しましたので、掲載画像も見直し、この頁を再編集しました。
2020年被爆75年に原爆関連慰霊碑を再びできるだけ巡ろうと計画していたのですが、コロナ禍でほどんど巡る事が出来ず、ここ宮島へも来ることは無かったのです。
コロナ禍が収まったとは云えない2021年1月GO TOも一時停止になり観光客が激減していると報道で知っていましたので、閑散とした宮島町を訪ね、碑前で頭を垂れ撮影しましたので更新しました。
21.01.27.更新  15.12.21.再編集  07.12.13裕・記編集

07.11.19.撮影
広島県廿日市市宮島町北大西町3 大願寺境内

07.11.19.撮影

07.11.19.撮影

07.11.19.撮影

07.11.19.撮影
1955年建立時の台座の一部が残されています 平成六(1994)年夏建立(大願寺住職)平山真明代(再建時)

07.11.19.撮影
平和漢音 と (大願寺)護摩堂

15.12.18.撮影

15.12.18.撮影

15.12.18.撮影

15.12.18.撮影

15.12.18.撮影

15.12.18.撮影
(2007年当時あった竹柵が撤去されていました)

21.01.22.撮影
(コロナ禍の中閑散としていました)

21.01.22.撮影

21.01.22.撮影

21.01.22.撮影
(雨模様の中長男とお参りしました)



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