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中区中島町の広島平和記念資料館・東館に展示されている「原爆ドーム模型」です。
※ドーム下の壁には「各国核実験への広島市長の抗議文」が貼り出されています。 |
1994(平成6)年改築された平和記念資料館東館の資料展示室1階中央部の吹き抜けに原爆ドーム上部の鉄骨部分などを≒70%(73%だそうです)の大きさに復元した模型が展示されています。
その支柱(壁)部分に世界各地で繰り返されている核実験のたびに、歴代広島市長名で送り続けてきた抗議文(日本語、英語併記)が貼り付けられています。
現在、抗議文の数が増えて、支柱(壁)部分では収まらず、後ろの階段壁に貼り出されています。 |
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抗議文
歴代の広島市長は、1968(昭和43)年※から、各国の核実験に、そのつど抗議文を送り続けてきました。
毎回、これが最後の抗議文になることを願いながら。 |
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1968(昭和43)年9月山田節男(1898-1975)市長が、フランスに抗議文を送ったのが最初でした。
フランスは南太平洋の仏領ポリネシアのムルロア環礁で、(1968年)は、7月7日、7月15日、8月3日、8月24日、そして.9月8日には(2メガトンより大きい規模といわれる)水爆実験を実施したからです。 |
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1994(平成6)年開館当時、536通が貼り付けられたそうです。 |
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2013(平成25)年3月12日現在通算604通となっています。 |
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1949 |
昭和24年9月 |
広島中央公民館に「原爆参考資料陳列室」設置 |
1955 |
昭和30年8月24日 |
平和記念館(現在の東館)と平和記念資料館(現在の本館)が開館 |
1994 |
平成6年6月1日 |
平和記念館を改築し一体化、東館・西館(現在・本館)として開館 |
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1994(平成6)年広島平和記念資料館が改築されてから何度か見学したことはありましたが、館内撮影禁止であったので、わたしがHPを開設した2000年から、この原爆ドームの模型は編集できなかったのです。
報道機関が、資料館内の展示品の前で(見学者を追い散らすように)撮影していた処を横目でみていたわたしでしたが、2006年フラッシュを焚かなければ撮影することが出来ることを知ったのです。
しかし、撮影可となればいつでも撮影してこの頁を編集できると思いながら、2013年のいまになりましたが、撮影してこの頁を編集しました。
肩書もなく単なる広島市民であるわたしは、ここの処の北朝鮮の地下核実験、米国の新型核実験についても、続けて“われ思う・・・”の頁に抗議の文章を書いていなかったのです。
報道で毎回聞く、広島市長の抗議文は如何なる文章であったのだろうかと思ったので、今回撮影しました。 |
13.04.10. 裕・記編集 |