思ったことを100%表現できたら良いのでしょうがわたしにはそういう能力はありません、ということで、思い考えた時だけですが「我思う故に・・・」に書いていっている、それがこの頁です。
     00.04.13裕・記編集
2016.01.07(木) 北朝鮮が行った4回目の(水爆と表明する)核実験に抗議します。
     
2016 平成28年1月6日 各国は水爆ではなくその手前に当たる核実験だったのではと報道を見聞きしていて思いましたが衝撃を押さええるための報道かなとも思いますがわたしにはよくわかりません。
2013 平成25年2月12日 ノルウェーの研究機関は10キロトンと推定。米シンクタンク12.5キロトン程度、独の連邦地質資源研究所最大40キロトン発表。
独の発表は、日本の気象庁が感知したデータと同じで、今回核爆威力はリトルボーイの3倍程度のものになる。そうです。
2009 平成21年5月25日 米の核専門家は4キロトン前後と分析
一方、露、韓は最大で長崎型原爆並(20キロトン)という見方
2006 平成18年10月9日 爆発規模、TNT換算で最小0.5キロトン、最大で15キロトン程度
国民生活を犠牲にしても自国の防衛のためという今回の核実験を正当化しようとしています。
間違った考え方で国民を導いていると思っていますので、
今回の核実験に対してもわたしは強く抗議します。
北朝鮮の指導者に是非に、核兵器の非人道性を知っていただきたいものです。
核兵器と人類は共存できない、武力での問題解決以外の方法を人類(各国の政治指導者たちは当然として)の英知で生み出し未来の地球人に残すことこそ今を生きるわたしたちの責任と思うのですが。
20141.05(水) 米国が11回目、12回目の新型核実験を実施した事に対して抗議します。
11月4日ラジオのニュースを聞いていたら
『米エネルギー省傘下の核安全保障局(NNSA)が9月4日と10月3日に、強力なエックス線を発生させる特殊装置「Zマシン」を使って核兵器の性能を調べる新たなタイプの核実験を、ニューメキシコ州のサンディア国立研究所で実施していた事を明らかにした。』と報道していました。
わたしは、被爆したお袋をもつ広島市民として原爆で亡くなっていった先達を思い、“核兵器なき世界”の願いを捨て去ることはできません。米国の今回(わかった)新型(核兵器性能)実験に対しわたしは、強く抗議します。
2013.08.22(木) 米国の9回目の新型核実験に抗議します。
    8月20日ラジオのニュースを聞いていたら
『米エネルギー省傘下の核安全保障局(NNSA)が4月から6月にかけて、強力なエックス線を発生させる特殊装置「Zマシン」を使って核兵器の性能を調べる新たなタイプの核実験を、ニューメキシコ州のサンディア国立研究所で1回実施していたことが8月20日分かった。』と報道していました。

8月21日中國新聞の報道でもう少しわかりましたが、実験の日付はまだわからないようでした。
『核安全保障局(NNSA)は、これまでの中国新聞の取材に対し、同様の実験を昨年10〜12月に2回実施したことを明らかにしているので、2010年以降の実施回数は計9回となった。
オバマ米大統領は実験が実施された(のと前)後、6月19日独・ベルリンでの演説で核軍縮への意欲をあらためて強調したばかり。「核なき世界」を掲げる半面、核保有の方針を曲げないオバマ政権の姿勢に疑問の声が高まりそうだ。
実験は核実験場や爆薬を必要とせず、少量のプルトニウムを高温高圧の状態にし、反応を調べる。NNSAは臨界前核実験と併せ「保有する核兵器の性能や安全性を確認するのが目的」としている。
広島市立大広島平和研究所の水本和実副所長(核軍縮)は「米国はロシアと配備済み戦略核の削減を進めると言いながら、その裏では核関連予算を増やしている」と指摘。「増額分を核実験に振り向けているのが実態だ。国際社会が米国に核戦略全体を改めさせるしかない」と強調した。
広島市平和推進課は「米政府に詳細を確認している。事実であれば厳重に抗議する」としている。』との報道でした。
   実験目的 実験場所 プルトニウムの量    実験方法
臨界前核実験 保有核兵器の有効性、保管上の安全性を検証するためデーターの確保 地下核実験場 1977年初回実験:1.5kg
実験でばらつき有
高性能火薬を爆発させ、衝撃波でプルトニウムを圧縮させる
新型核実験 -仝上- 研究施設内 8g未満 強力なエックス線を発する装置で、超高温・超高圧の環境を作りプルトニウムの反応を調べる
8月22日中國新聞の報道で
『新たなタイプの核実験は、5月15日に行われていたことを中国新聞の取材に対し答えた。』ということでした。

「核兵器なき世界」の願いは遠くにあるようには思いますが、いまを生きる広島市民として原爆で亡くなっていった先達を思い、「核兵器なき世界」の願いを(わたしは)放棄することはできません。
米国の今回(わかった)新型(核兵器性能)実験に対しわたしは、強く抗議します。
2013.05.24(金) 情けなさすぎる言論界:「原爆は神の懲罰」・・・
   

民主主義の国(とわたしは認識している)大韓民国の大手新聞のキムジン論説委員が書いたコラムを報道で知りました。
個人的見解を述べただけだと、中央日報は釈明したそうですが、情けなさすぎる新聞社と思います。

報道のおおよその内容は(新聞報道では)
『韓国の中央日報が、
1945(昭和20)年8月6日広島、8月9日長崎への米軍による原爆投下について「神の懲罰」などと表現したコラムを掲載、ソウルの日本大使館が抗議した。
コラムが掲載されたのは20日付で、筆者は中央日報政治担当の論説委員コラムは冒頭、「神は人間の手を借りて人間の悪行を処罰もする。もっとも厳酷な刑罰が大規模空襲だ」として第2次大戦時のドイツ・ドレスデンへの空襲と、広島・長崎への原爆投下を挙げ、「これらは神の懲罰であり、人間の復讐だった」と表現。
さらに「ドレスデンはナチに虐殺されたユダヤ人の復讐だった。
広島・長崎は日本の軍国主義の犠牲になったアジア人の復讐だった。特に、731部隊の生体実験に動員されたマルタの復讐だった」としている。』というようなことでした。

(広島の)平和記念公園に建立されている「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の碑文にはこう書いてあります。

『・・・・1945年8月6日原爆投下により、2万名の韓国人が一瞬にしてその尊い人命を奪われた。』
広島では約14万人の人々が原爆投下でその年亡くなり、現在に至るまで、原爆症とたたかっておられる多くの人がいます。
韓国にも原爆症とたたかっておられる人がいますので、その人たちにこのコラムを書いた論説委員は話を聞くことからはじめたらと思うのです。
韓国の一流紙とわたしは聞いている、その新聞社の論説委員ともあろう人が、あまりにも情けない人だと思いました。
事実を少しでも知ることからはじめたらと、わたしの個人的な怒りの感情は横に置き“知ろうとしない、無知とは恐ろしいことだ!”と思うのです。

きょう(5月28日)中國新聞をみていると『執筆者、遺憾の意』ということで
『中央日報27日付のコラムの末尾にキム・ジン論説委員の「趣旨に反し、日本の原爆犠牲者や遺族を含めて心の傷を負われた方々に遺憾の意を表します」と釈明する文章を掲載した。』そうです。
このような表面的な遺憾の意は、
韓国(人)が日本(国・人)に対して先の大戦の反省の弁は上っ面で心から反省したものではないと繰り返し主張し譲らない事と同じようにわたしには聞こえる上っ面の遺憾の意と思えてなりません。
米軍投下の原爆で無念のうちに亡くなったであろう人々(日本人ばかりではなく、韓国・北朝鮮の多くの人々、僅かではありますが米軍捕虜の人たちなど)の声なき声を聞こうとすることこそ、韓国言論を導く(であろう)大手新聞社の論説委員の姿勢ではないのでしょうか。     5/28追記
2013.04.10(水) 核兵器の廃絶を(わたしも)願い・・・



忙しいわけでもないのに、ここの処の2012年12月15日米国の臨界前核実験、2013年2月12日北朝鮮の地下核実験、2013年3月になって分かった米国の新型核実験について、ここ“われ思う故に・・・”で抗議の文章を書いていませんでした。
やる気がうせたわけではないと言い訳しつつ、
維新の会代表のように被爆地・広島に遊説に来て「理想としては核兵器廃絶。でも、それは全部が核を持たないことができて初めて成り立つ。現実的には無理」(核兵器廃絶を云うのは平和ボケだ)と発言したことに幻滅しましたが。
単なる広島市民のわたしですが、今後も理想をもち続けようと思っていますが、今回は、2013年4月8日(通称)原爆資料館を見学した時に、各国が実施した核実験に対して広島市長が当事国に送る抗議文を読んでいただくということにしました。

      米国の新型核実験が行われた事がわかっての広島市長の抗議文


アメリカ合衆国バラク・オバマ大統領 閣下
駐日アメリカ合衆国大使館 特命全権大使 ジョン・V・ルース大使 閣下

           抗 議 文
貴国が、昨年10月から12月の間にニューメキシコ州の研究施設で新たなタイプの核実験を2回も実施したことを公表した。
新たなタイプの核実験は昨年の5月、8月に続くものであり、また、12月*には臨界前核実験を実施している。このように、核実験を繰り返すことは、貴国が今後も核兵器を持ち続ける意志を表したものとも受け取れる行為である。
被爆者をはじめ核兵器廃絶を求める多くの人々の願いに背くとともに、疑念をいだかせる行為であり、断じて許すことは出来ない。被爆地ヒロシマを代表して厳重に抗議する。
これまで、核実験の度に抗議を行ってきているところであるが、平和を願う私たちの思いを受け止めることなく実験を繰り返すことに憤りの念を抱かざるを得ない。
貴国には、実際に原爆を体験した被爆者の辛く悲しい体験や平和への思いを深く理解していただき、私たちの期待を裏切ることのないよう、一日も早い核兵器の実現に向けて努力されるよう強く求める。

2013(平成25)年3月12日   広島市長 松井 一實
*米国は、2012年12月5日にネバダ州の核実験場で臨界前核実験を行いました。

      北朝鮮が2013年2月12日に実施した核実験に対しての広島市長の抗議文

朝鮮民主主義人民共和国 国防委員会第1委員長 金正恩様

           抗 議 文
本市は、世界の人々に、被爆者自身の被爆体験や平和への思いを共有し、その上で核兵器廃絶に向けた強い思いを持っていただくよう、2020年までの核兵器廃絶に向けた取組を始め、様々な取組を行ってきた。こうした中、貴国が核実験を強行した。
貴国が行った核実験は、被爆者の辛く悲しい経験に基づく平和への思いを踏みにじる暴挙であり、強い憤りを覚える。
先般のミサイル発射実験に続く貴国のこうした行動が、核兵器廃絶に向けた国際社会による懸命の努力に水を差し、他の核保有国や核保有願望国に核開発加速の口実を与え、世界の平和と安定の構築を損ねることを強く危惧する。
貴国には、全ての核兵器と核計画を即刻放棄するよう改めて強く要請する。

平成25(2013)年2月12日   広島市長 松井 一實
2012.09.26(水) 米国の6回目の新型核(兵器性能)実験に抗議します。
    2012年9月23日(日)中國新聞3(内政・総合)面右側上部に「米、6回目新型核実験」と報道していました。
『米国が、核兵器の性能を調べる新たなタイプの核実験を8月27日(現地時間)にしていたことが9月22日分かった。
同様の核実験は4〜6月に5回目を実施していたことが判明したばかり。これで少なくとも6回行われたことになる。
米エネルギー省傘下の国家核安全保障局(NNSA)の担当者が中国新聞の取材に答え、今後も核実験を継続する方針を示した。
担当者によると、最後に実験したのは8月27日(現地時間)。
それまでの5回と同じニューメキシコ州のサンディア国立研究所にある「Zマシン」という装置を使用。強力なエックス線を発生させ、超高温、超高圧の核爆発に近い状況を再現し、プルトニウムの反応をみる。核実験場や爆薬は必要としない。
担当者は「実験から得たデータでシミュレーションをする。保有する核兵器の安全性や確実性を維持できる」と意義を強調。使用するプルトニウムの量は「1回につき8グラム以下」と説明した。一方、この実験の通算回数などの質問には回答しなかった。
新たなタイプの核実験は、オバマ(1961-  :任期2009-  )大統領就任後の2010年11月18日に初めて行われた。
5回目の実施が明らかになった9月19日以降、広島県内の自治体は相次いでオバマ大統領宛てに抗議文を送付した。
新たに判明した8月の核実験に対し、広島市は「事実確認し、対応を検討する」としている。』という記事でした。
オバマ大統領は「核兵器なき世界」を標榜しながら、核抑止力に固執する国内の諸勢力に押され、だんだんと後ろ向きの施策となっているのが今回の新型核実験にも現れているように(わたしは)思うのです。
核兵器なき世界の願いは遠くにあるようには思いますが、米国の今回(わかった)一連の新型核兵器性能実験に対し(わたしは)強く抗議します。
2012.09.22(土) 米国の五回目の新型核(兵器性能)実験に抗議します。
    2012年9月20日(木)中國新聞5(国際・総合)面右側上部に「米、5回目新型核実験」と報道していました。
『米エネルギー省傘下の国家核安全保障局(NNSA)が、核兵器の性能を調べるための新たなタイプの核実験を今(2012)年4月〜6月の間に1回、ニューメキシコ州のサンディア国立研究所で実施していたことが9月19日、分かった。昨(2011)年11月に続き5回目。
NNSAが9月19日までに公式ホームページで公表した。
実験は、同研究所にある「Zマシン」という特殊装置を使用。強力なエックス線を発生させて超高温、超高圧の核爆発に近い状況をつくりだし、プルトニウムの反応を確認する。
NNSAは「地下核実験をせずに、保有する核兵器の安全性や有効性を確かめる手段」と位置付けている。
新たなタイプの核実験は、オバマ(1961-  :任期2009-  )大統領就任後の2010年11月に初めて実施。2011年には1年間で3回繰り返された。オバマ政権下では、これとは別に臨界前核実験も既に3回行われている。
いずれの実験も包括的核実験禁止条約(CTBT)の対象外(としている)。
オバマ政権はロシアと新戦略兵器削減条約(新START)を批准するなど、核軍縮を進める姿勢をアピールする。一方、核関連予算を増やし、核抑止力を維持する政策を貫く。
広島市立大広島平和研究所(中区)の水本和実副所長は「オバマ大統領は予算獲得を狙う軍需産業の影響と、その意をくむ連邦議会の力に屈し、核なき世界の実現に妥協しているのが実情だ」とし、「今後も核実験は続くだろう」と指摘する。』と報道していましたが、何時実験をしたかはわからないようでした。
今回の中國新聞の一面での報道ではなく5面という国際面で扱っていました。

「核兵器なき世界をつくろうではないかと国際世論を盛り上げ、ノーベル平和賞受賞者でもあるオバマ大統領自身にも背を向け、自国の核兵器の保有を充実させるだけでなく、さらなる核兵器開発に突き進もうとする新型核実験は到底許されるものではありません。」とわたしごときが云わずとも、平和を願うみなさんが思われていることでしょうが、わたしも黙ってはおられませんので、ここに抗議します。
2012.01.10(月) 米国の新型核(兵器性能)実験に抗議します。これに抗議しない日本政府にも抗議します。
    2012年1月6日(金)中國新聞1面左側上部に「米、3度目の新型核実験」昨夏ごろ研究所の装置で--と報道していました。
金崎由美記者の署名記事でした
『米エネルギー省傘下の国家核安全保障局(NNSA)が2011年11月16日に、プルトニウムは使うものの核実験場は必要としない新たなタイプの核実験をニューメキシコ州のサンディア国立研究所で実施していたことが(1月)5日、分かった。
新型の核実験は2010年11月18日と2011年3月31日に続き3回目(4回目)※。
  (朝日新聞では4回目としていますが、2011年11月16日以外の実験日は記していませんのでわかりませんでした)
  (広島市の問合わせに対しNNSAは、3回目が2011年9月22日、4回目が11月16日であった事を明らかにしたそうです)
オバマ大統領が唱える「核兵器なき世界」が遠のいているとの批判は免れない。
NNSAが報告書「備蓄核兵器管理計画(SSP)として実施された諸実験」の中で明らかにした。オバマ政権はこれで、臨界前核実験と新型の核実験を3回ずつ行ったことになる。同研究所はホームページで実験を「爆発を伴う核実験はせずに、備蓄核の安全性や有効性を維持するため」と説明する。同研究所のHPや2012会計年度の同省予算教書などによると実験は「Zマシン」という装置で実施。
世界で最も強いエックス線を発生させて地球の中心部以上に超高圧、超高温という核爆発の瞬間と似た状態を再現し、プルトニウムの反応を調べるという。使用するプルトニウムは8.
4g未満と少量なのが特徴。
オバマ政権はクリントン、ブッシュ両政権の方針を引き継ぎ、SSPに基づくさまざまな実験や研究をしている。集めたデータは爆発を伴う核実験をスーパーコンピューターでシミュレーションするのに活用される。
米国は爆発を伴う核実験を1992(平成4)年9月23日までに千回以上実施。1997(平成9)年からはプルトニウムに高性能火薬で衝撃を与え、核爆発に至る前段階での反応を調べる臨界前核実験をネバダ核実験場の地下施設で26回行っている。Zマシンでの実験は臨界前核実験を補完するとされる。』という記事でした。
わたしは、如何なる国の如何なる(屁理屈を付けようとも)地球上から核兵器の廃絶あってこそ全人類が享受できる平和になるのだと思っていますので、今回わかった、米国の新型核実験にも強く抗議します。オバマ大統領は、核兵器なき世界をつくるという崇高な理念を放棄することなく進んでいってほしいと(わたしは)思っています。
民主党を中心にした現在の日本政府はこの実験に対して「米国に抗議は考えていない」事を藤村修官房長官が1月6日の記者会見で述べたそうです(わたしは報道でしか知りませんが)。
核爆発を伴わず、包括的核実験禁止条約(CTBT)に反していないから抗議や申し入れは考えていないとの主張です。
米国の核の傘に入っている日本の生きる道という旧来からの考えを踏襲しているだけで、核兵器のない世界を実現しようとする被爆国日本国の進む道とは違っていると(わたしは)思います。
CTBTさえ批准していない米国の新型核実験へ抗議するとともに、地球上に再び被爆者を出さないようにする責務がある日本国政府には米国に抗議・文(声明)を出さなくてはと(わたしは)抗議します。
2011.05.25(水) 米国の新型核(兵器性能)実験に抗議します。
   5月22日(日)中國新聞1面に大きく「米、新型の核実験」-プルトニウム少量使用「臨界前を補完」-と報道していました。
『米エネルギー省傘下の国家核安全保障局(NNSA)が、昨(2010)年11月18日と今(2011)年3月31日の2回、プルトニウムは使うものの核実験場を必要としない新たなタイプの実験をニューメキシコ州のサンディア研究所とロスアラモス国立研究所のチームが実施したことが(5月)21日分かった。
2007年に改良された「Zマシン」と呼ばれる装置が発生させる強力なエックス線をプルトニウムに照射し、(超高温・超高圧状態での)データを収集した。NNSAのクック副局長は「実験の成功は、地下実験をしなくても保管中の核兵器の安全性や有効性を調べられることを意味し、オバマ大統領の核安全保障の考えの実現を支援するものだ」と述べた。』そうで、臨界前核実験との違いを表にしていましたので、其れを参照してこの項に記述しました。

*    実験目的 実験場所 プルトニウムの量    実験方法
臨界前実験 保有核兵器の有効性、保管上の安全性を検証するためデーターの確保 地下核実験場 1977年初回実験:1.5kg
実験でばらつき有
高性能火薬を爆発させ、衝撃波でプルトニウムを圧縮させる
今回新型実験 -仝上- 研究施設内 8g未満 強力なエックス線を発する装置で、超高温・超高圧の環境を作りプルトニウムの反応を調べる
耳にたこができるほど聞かされた「原発は安全です」という言葉が「想定外の事態」3月11日の東日本大震災、によって起きた福島第一原発事故。いまだ収束への道筋が見えぬまま、放射能汚染が深刻化してきています。
これが核兵器だったら・・・「想定外の事態」で核兵器が使用され、想定外が重なり核戦争がはじまったとしたら、人類は滅亡することでしょう。ノーベル平和賞受賞者オバマ米国大統領は、核兵器なき世界をつくろうと力強く訴え、世界の人々に共感を得たのですから、核兵器なき世界を構築する政策にカジを切るべきで、ここに(わたしの)今回の新型核実験へ抗議とします。
2010.10.14(木) 米国の臨界前核実験に抗議します。  ノーベル平和賞受賞者・オバマ米国大統領にも強く抗議します
    オバマ第44代米国大統領は2009年4月(核兵器なき世界をつくるという)プラハでの演説で「・・・核爆弾の製造に必要な物質の供給を断つために、米国は、国家による核兵器製造に使用することを目的とする核分裂性物質の生産を、検証可能な形で禁止する新たな条約の締結に努めます。核兵器の拡散阻止に本気で取り組むのであれば、核兵器の製造に使われる兵器級物質の製造を停止すべきです。これが初めの一歩です。・・・」などと述べています。この演説などが評価されノーベル平和賞に推薦されたことで、授賞を辞退することなく受けたのです。
あのブッシュ大統領時代でさえ、臨界前核実験を事前に発表していたのに、今回は実験(9月15日)が終わってから1ヶ月近く経って認める(10月13日エネルギー省ネバタ国家安全保障施設報道官が認めた)こととなりました、あと2回ほど臨界前核実験を実施するといい、事前には日程は公表しないとか。
実験を実施した屁理屈はいままで聞いてきた通りで、その一つがCTBTでいう核爆発を伴う前までの実験、だから条約には違反していないというものです。
核兵器保有国の中でもトップをいく米国がこのような屁理屈を云うことで、北朝鮮の核実験につながり、イランの核兵器開発に歯止めが利かない状態をもたらしていると(わたしは)思うのです。
核兵器の廃絶はなぜ必要なのかと(肩書きもなく、単なる広島市民のわたしごときにも)云われる事があります。
これに対しては、耳にタコが出来ようとも(わたしは)云うのです。
それは『核兵器が使用されると、多くの尊い生命を一瞬にして奪い、現代においては人類最後の日を招く恐れがあり、たとえ生き残ったとしても、放射能の後遺症で後々まで人々を苦しめている広島・長崎の被爆の悲惨な実態を繰り返すことになるからです。』と・・・人類はそれほど愚かではないはずで、理想(核兵器のない世界)を求め続けることが必要なのですと。

1997(平成9)年にはじまった米国の臨界前核実験は今回で24回目です。オバマ政権下ではじめての実験です。

関連頁 CTBT(包括的核実験禁止条約)  2009年4月オバマ大統領プラハ演説
2009.08.23(日) 尻尾ふる「ポチ」になる前に、わたしは考えるのです。
    わたしは、核兵器の廃絶を願っている単なる広島市民です。
今(2009)年8月6日通称・平和記念式典の折りたたみ椅子に座って聞いていた平和宣言、秋葉市長は『・・・オバマ大統領を支持し、核兵器廃絶のために活動する責任があります。この点を強調するため、世界の多数派である私たち自身を「オバマジョリティー」と呼び、力を合せて2020年までに核兵器の廃絶を実現しようと世界に呼び掛けます。・・・』と述べていました。
核兵器廃絶の活動の足を引っ張ることを良しとはしませんが、わたしは「オバマジョリティー」ではないと直観的に思いました。
原子爆弾を日本のいずれかの都市に投下する命令を下した米国大統領に対して、人間として許すことはできないと思う気持ちを捨て去ることはできません。時は64年を待たなければなりませんでしたが、いままでの米国大統領の思想とは明らかに違うと(わたしも)思う2009年現在のオバマ米国大統領であってもです。

しかし、プラハ演説の全文を聞いたことはありませんでした。米軍が原子爆弾を投下して64年もかかりましたが、TVニュース等で見聞きしたところ、核廃絶への一歩を核大国・米国が踏み出そうとしている演説のように思ったのですが、さわりを聞いただけでしたので、全文を読んでみました。読んで言葉じりを縷々することは専門家に任せることにして、ここでは(わたしは)核兵器廃絶の道を拒んでいたのは米国自身であると指摘したいと思います。
CTBTをいまだ批准していない米国ですので、米国が核兵器廃絶の道でのスターティングブロックに足を懸けてはいないと思うのです。しかしオバマ米国大統領は『・・・全世界的な核実験の禁止を実現するために、私の政権は、米国による包括的核実験禁止条約の批准を直ちに、積極的に推し進めます。この問題については50年以上にわたって交渉が続けられていますが、今こそ、核兵器実験を禁止する時です。・・・』と述べています。
期待を込めて、米国がCTBTを批准するか見守っていくことが必要と(わたしは)思っています。

関連頁 CTBT(包括的核実験禁止条約)  平和宣言2009年   2009年4月オバマ大統領プラハ演説
2009.05.25(月) 北朝鮮の再度の核実験に抗議します・・・(日本が過去に突き進んだ道?)
    2009(平成21)年5月25日に北朝鮮が核実験を実施したと表明しました。
                              ※(長崎型原爆と同程度20キロトンだったとか-26日の新聞報道では)
『わが方の科学者、技術者らの要求に従い、(朝鮮民主主義)共和国の自衛的核抑止力を各方面から強化するための措置の一環として、主体98(2009)年5月25日、いま1度の地下核実験を成功裏に行った。今回の核実験は、爆発力と操縦技術において新たな高い段階で安全に実施され、実験の結果、核兵器の威力をさらに高め、核技術を絶えず発展させる上での科学技術的問題を円満に解決することになった。今回の核実験の成功は、強盛大国の大きな扉を開くための新たな革命的大高潮の炎を力強く燃え上がらせ、150日戦闘に一丸となって立ち上がったわが軍隊と人民を大きく鼓舞している。核実験は、軍事優先の威力で国と民族の自主権と社会主義を守護し、朝鮮半島と周辺地域の平和と安全を保障する上に寄与するであろう。』との声明を出していました。
所謂、大日本帝國・大本営発表というものを直接聞いたことがないわたしですが、(軍都・廣島について、それまではまったく無関心で過ごしてき、無知だったのですが2000年頃から調べ、原爆関連慰霊碑など巡りだしました。)
この声明を読んだとき、国民を戦争への道に導くアジテート(扇動すること)だと思えてなりません、日本は敗戦によって誤った国の進む道を改めることができたのでしょうが、北朝鮮が選択しなければならないと国際社会が忠告している道を歩むことはないでしょう、そんな絶望感を解決する手だてを考えることができないわたしの歴史観の狭さと不勉強を思っています。
(単なる広島市民の空しい抗議と思いつつ、過去の軍事大国を目指した国々の末路を歴史の教訓にしてほしいと、そして何よりも、核戦争が如何に悲惨な結末を迎えるかを廣島・長崎に学んでいただきたいと)
核兵器を廃棄することこそ、北朝鮮の国民の為になると(わたしは)主張し、核実験への抗議をします。
2008.08.20(水) マンネリといわれる原爆関連報道
    8月16日(土)交流ウォークが終わって帰宅してラジオをつけると、中國新聞原爆関連担当記者の森田裕美さんが原爆報道について語っておられたのです。途中からでしたがRCCラジオ「63年目の新聞記者」という番組でした。
森田さんから以前わたしのこのHPについて話を聞きたいとメールをいただいたことがあるので覚えていたのです。
『日本の現状、核の傘のもとでの核兵器廃絶についても31代・32代広島市長だった平岡さん(RCC記者だったからか)にインタビューしていました。記者としての覚悟というものが必要だということを語っておられた。市長時代(1991年〜1998年)の平和宣言を改めて読んでみましたが、今回ラジオで語られていたような明確な言葉はありませんでした、現役市長での「しがらみ」があったのでしょうね。
森田さんが先輩記者からの言葉として引用されていた『原爆報道には大いなるマンネリも必要なのでないのかと・・・』とアドバイスを受けたこともあり、平和担当記者をいつまで続けられるのかもわからないが、担当を外れても強い意志を持って記者をやって行こうとしているということを述べておられました。
中國新聞は、わたしが(生まれ故郷)広島に帰り住み着いた昭和57(1982)年以来一貫して購読している新聞なのです(中國新聞がない地区・東北に長年住んでいたわたしは朝日新聞を購読していました)。
中國新聞こそマンネリ(新しい視点というものがありマンネリではないとわたしは思うのですが)になろうとも決して忘れてはならない出来事があります、それは原爆で多くの先輩(記者などなど)を喪ったことだとわたしは思うのです。「原爆犠牲新聞労働者の碑」に刻まれた125名の方々への追悼こそ、その原点ではと思うからなのです。
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2009年10月28日(水)中國新聞24面を見ていたら
「本紙記者題材ラジオ番組:放送文化大賞を受賞  中国放送」という記事が載っていました。
『日本民間放送連盟は2009年10月27日中国放送のラジオ番組「63年目の新聞記者〜35歳の女性記者を取材して〜」を第5回日本放送文化大賞ラジオ部門グランプリに選んだ。中国放送のグランプリ受賞は初めて。
番組は、原爆報道に携わる中国新聞社報道部の森田裕美記者に密着。原爆投下63年目のヒロシマの取材活動を通し、原爆報道の課題を問い掛けた。ラジオ番組の制作ディレクターが新聞記者に同行する構成が新鮮と評価され、7作品から選ばれた・・・』とありました。
2007.07.01(日) 最近の荒っぽい政治に思う・・・
     「長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」と初代防衛相(衆院・長崎2区選出)が昨日発言したとニュースで新聞で見聞きしました。
広島・長崎で多くの方々が原爆で亡くなり、現在もその後遺症とたたかっておられる多くの方々がおられます。そんな方が身近にいるはずであろう長崎県選出の防衛相がと・・嘆かわしい人だと思わずにはおられませんでしたのでここに書くことにしました。


『人類と核兵器は共存できない。』
唯一の被爆国にいま生きているわたし達、日本人がこの事を世界に訴えることを忘れ去れば核兵器の拡散に繋がり、悲惨でしかなかった廣島・長崎を再び地球上の何処かにつくる事は目にみえていると・・核兵器廃絶の願いを世界に広げなくてはと思うのです。

最近の政治は、ずいぶん荒っぽく、他人(特に少数意見、弱者の立場にある人たち)の意見に耳を傾けない独り善がりの政治になってきていると感じています。いま一度、わが国総理大臣、防衛大臣に日本国憲法の前文だけでも読んでみたらと云いたいのです。
『・・・日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。・・・』
関連頁 日本国憲法
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2009年8月30日
第45回衆議院選挙 長崎2区
120,672 福田衣里子
106,206 久間  章生
5,703 相浦喜代子
5,070 山崎  寿郎
1,947 柴田  愛
  今(2009年)衆院選挙で、かの元防衛大臣が立候補している長崎2区は注目選挙区ということで、盛んにTV報道番組、ニュースなどで取り上げられていました。
かの元大臣は、従来からの、国とのパイプを強調する利益誘導的な運動をしているところをTV報道番組などで見せつけられました。
選挙民はこの代議士が持つ、国から地元へ土建予算などを分捕ってきたという強者の理論の限界を知り、反戦反核を忘れたこの政治家を見捨てた(と云っても11万人近くの支持はあるのですが)のではないのだろうかと思ったのです。
福田衣里子さんのことは、少ししか知りませんが、薬害肝炎訴訟九州原告団団長として厚生省(厚労省)・国と裁判で戦っていた姿を見ていましたので、弱者の立場からの訴えが、この保守的といわれる選挙区民の心を揺さぶり当選されたのだろうとわたしは思いました。 
09.09.02追記
2007.04.11(水) お袋の被爆体験記
      現在病気から息子のわたしがわからないという状況になってしまいました。
そんなお袋に今まで親孝行というものをしてこなかったし、病気になったときからも何もしてやれない自分自身の情けなさに男のくせに涙が出る事もあるのです。また、お袋の被爆体験を詳しく聞く事もなかった情けない息子であるとの想いが強いのです。(幼時の時に被爆した)じき上の兄貴に『お母さんの手記が原爆死没者追悼平和祈念館に収めてある』とはじめて聞いたのです。
2007(平成19)年4月9日国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の体験記閲覧室で公開されていますので、みてきました。
※厚生省が平成7(1995)年11月1日 (水) 現在、原子爆弾被害者実態調査をした時にお袋が記入した手記だったのです。
関連頁 お袋の被爆体験記
2006.10.10(火) 思い起こせと・・・・
     北朝鮮が地下核実験に成功したと発表しました。
北朝鮮の地下核実験に強く抗議するものです、わたしは(蛇足ではありますが、如何なる国の核実験もです)。
今回の地下核実験は平和と安定に貢献すると北朝鮮は云っていましたが、間違っているとはっきり云えます。
力に頼るこのような考えが、21世紀に定着し核兵器拡散の21世紀になるのではと危惧しています・・・次はイラン?・・・その次はテロリスト集団と云われるアルカイダ??
北朝鮮を非難する中国も核兵器保有国、ならずもの国家と非難する米国も核兵器保有国、自国の核兵器開発は着々と進めている・・・核兵器廃絶の道のりが遠くにあることを思わずにはおられません・・・
広島平和記念公園に建立の韓国人原爆犠牲者慰霊碑の碑文によると2万人もの韓国の人、北朝鮮の人が犠牲になっていると云われています、原子爆弾に正義というものは存在してはいません、核兵器は人類の敵として捉えその廃絶の道を歩まなくてはならないとわたしは信じています・・・
関連頁 核開発関連略年表10/16裕編集  北朝鮮核問題関連略年表10/18裕編集
2006.08.30(水) 米国の臨界前核実験に抗議します。
      8月30日(現地時間)
ネバタ州の地下核実験場で(通算23回目)の臨界前核実験を実施すると発表しました。
実験名は「ユニコーン」だそうです。ことしは、(2月23日に)英国と共同実験をしたのについで2回目になります。

一瞬にして幾多の尊い生命を奪い人類の未来に重大な災いを招く核兵器の廃絶をわたしは願っているからです。
(廣島・長崎での被爆の悲惨な実態を繰り返してはならないと思うからです)


才能ない頭でどう考えても、
民主主義国家のリーダーを自負する米国であっても臨界前核実験は誤りだと思います。
自国の核兵器の開発は良しとし、印度とは核開発協力関係をもつことにしている。
北朝鮮、イランに核兵器開発の口実を与えるだけではないのかと・・・
核兵器が拡散する21世紀にしてはならないし、核兵器を廃絶した21世紀にしなくてはならないとわたしは思うからです。

2006.07.03(月) 高齢者にやさしくない社会
      いつから日本はこんなに薄情な国になったのだろうかと・・・
金にまみれた以前の指導者たちに比べれば、利権がらみの偏った政策には縁遠かったと思える良さはあるとわたしはおもっていた、今の国の指導者ですが、闇雲ともおもえる(聖域なき)改革、郵政民営化だけにはこだわり、近隣諸国の国民の感情を逆なですることをためらわない独りよがりの信念、そんな指導者を多数の国民が支持した5年間にあることは明白であると退陣間近なこの時期特に思っているのです・・・
 今日NHKニュースをみていたら生活保護費削減の話題を取り上げていました、
88歳のおばあちゃんが1ヶ月6万5千円(年収換算で78万円)の生活保護費で生活していると・・・風呂も5日に1回、眠くもないのに光熱費を削減するために早く寝る・・・涙が出ました。

一方年収3639万円+年金778万円の日銀総裁、1000万円を村上ファンドへ投資して1473万円の儲けを出したと・・・0金利の総元締めの人物、才能があり仕事ができるからその生活(年収)はいいのだと指をくわえて羨ましがっているだけではいけない、才能ないわたしですが認めることができない構造(ルール)だとおもっています・・・。
人生いろいろ、見解の相違、約束よりも大切なものがある・・・いずれも今、幅を効かす考え方です。
中流と云われそんな階層の中に身を置いていた頃はそんなことに目を向けることもなかったのに、
平和とはと改めて考えることの重要さがこんなところからもあるのではないのだろうかと・・・


国民みんなに知れ渡ったからでしょうが・・・
朝日新聞2006年10月12日駅売りの新聞を@130円を出し買い、読んでいるときに目にしましたので追記しました。
「日銀によると福井総裁は10月初旬払い戻しを受けた1400万円の内1000万円を日本赤十字社に、残り400万円を外国人留学生支援団体に寄附した」という記事を目にしましたので追記しました。
如何にいい訳をしようと福井氏が日銀総裁として現職の立場を利用して利潤を目的に投資し発覚しなければ懐に入れていたであろう1400万円を社会に戻したと・・・いまの日本では珍しくと云うのでしょう(少しばかりの良心が残っていたのでしょう)わたしが確かめたわけではありませんが新聞報道であるので事実であろうと云うことでここに記述しました。
   2006年10月13日(金)裕追記
2006.03.25(土) 岩国住民投票に思う・・・
    在日米軍再編に伴う米海兵隊岩国基地への米海軍厚木基地(神奈川県)の空母艦載機移駐の賛否を問う山口県岩国市の住民投票が3月12日、投開票されました。
反対は43,433票(投票総数の87%)、賛成5,369票。投票率は58.68%(投票成立に必要な50%を超えました)。
TVなど報道を見聞きしていると
住民投票の結果を無視して日米最終合意を強行するため、「安全保障の問題に、地域の論理を優先しようとする風潮」(武部幹事長)、「安全保障や防衛は国に責任があり、(住民投票は)適当ではない。一種の地域エゴイズムだ」(片山参院幹事長)と云っていました。また、小泉首相は「基地賛成か反対かと云ったらどこでも反対でしょう。ここが安全保障を考える場合、難しいところだ。地域の問題と国全体の問題とはなかなか難しい」と述べていました。
安全保障問題は国政のこと、地方の賛否投票は意味がないとやたら政府自民党が云っているように思いました。
黙って国民はついてくればいいのだと云う事こそ戦前の誤った道だったのではないかとわたしは思うのです、現在の憲法をどう読んでみても「安全保障」や「防衛」を、政府の専管事項と明記した規定はありません。
民主主義って国民一人一人の意見をたいせつにしてその願いを具現化していくものではとわたしは思うのです。
そもそも占領軍であった米軍の基地がいまだ独立国・日本国にあることから考える必要があり、国を守っていく覚悟というものが国民には必要とも思うのですが・・・

2006.02.25(土) 臨界前核実験実施に怒りをもって米国・英国政府に対して抗議します
     発表どおり臨界前核実験を米国東部時間2月23日午後3時(日本時間24日午前5時)実施しました。

※臨界前核実験
 核爆発を起こさずに核爆弾の性能を調べる実験。(核分裂が連鎖的に起きる状態を「臨界」と呼ぶ。)
臨界前核実験は高性能火薬を爆発させてプルトニウム等の核物質に衝撃波を当てて核分裂を起こさせる。しかし核物質の量や温度を調整しての「臨界前核実験」は、臨界に達しないようにするそうです。
 詳細は発表されていませんが、地下≒290Mの坑道に設置した鋼鉄容器の中にプルトリュームをいれ火薬の爆発で圧縮して、プルトリュームの飛散り方等を調べる事で、長年にわたる多数の核爆発実験データとスーパーコンピュータの導入でコンピュータシミュレーションにより核実験を行わなくても核兵器の管理や改良・開発が可能であると云われてれています。


2006.02.23(木) 臨界前核実験実施中止を願います
      (米国時間2月23日に)米国・英国共同の臨界前核実験実施することに強く抗議します。 

 米国・英国共同の臨界前核実験実施に抗議する(私の理由)
@一瞬にして幾多の尊い生命を奪い人類の未来に重大な災いを招く核兵器の廃絶を真摯に願っているからです。
   (廣島・長崎での被爆の悲惨な実態を繰り返してはならないと思うからです)
Aこの時期の実験はイランや北朝鮮などへ核兵器開発の口実を与え、新たな核軍拡に繋がりかねないと云うことからです。

 米・英共同で米国時間2006年2月23日 ネバタ州の地下実験場で臨界前核実験を(☆2004年5月実施以来22回目を)実施すると発表しました。今回の実験には『クラカタウ』☆と名称がついているようです。
 両国が実験をする屁理屈は次ぎのものです。
『米・英両国が保有している核兵器の安全性と信頼性の確保に極めて重要なデーターを得る為』としています。

 CTBT自体を無視する米国ブッシュ政権のエゴイズムは目に余るものがあります、
イランの核開発問題には強く反発していますが、一方では使える小型核兵器を開発していると云われており自国の核開発には甘い体質を如実に表したものと思います。
 唯一の被爆国として核兵器の廃絶を希求する日本國、政府として本当に同盟国というなら
苦言を呈すことも必要であり、中止を求めてこそ国際社会の中の日本の立場ではないだろうかとわたしは思っています。
☆1883年に大噴火したインドネシアの火山の名から採ったようです。

2006.01.25(水) 政治・思想的思惑に翻弄された被爆者の思い・・・
     たびたび取り上げていますが、原水爆禁止運動に2つの組織があり被爆60年を過ぎたいまでさえ存在する悲しい状況を何とかしなくては、被爆者の原水爆禁止の思いが世界の人々の心へ届かないように思うのです。
昨年秋に被爆者の森を歩きながら、思想の違い、過去のわだかまりあろうとも一つの方向を向いて、核兵器のない世界の実現を願い・・・・今年結成50年を迎える被団協の歴史を少しばかり紐解いてみようと思っていたのです。

1952 昭和27年 (昭和20年〜昭和27)米軍の占領統治
1955 昭和30年 広島市公会堂で原水爆禁止世界大会開催
1956 昭和31年5月
昭和31年8月
広島県原爆被害者団体協議会(被団協)が結成
被爆者団体の全国組織である日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が誕生
1963 昭和38年 日本原水協内の社会党系と共産党系勢力は、ソ連の核実験をめぐり「いかなる国の核実験にも反対」とする社会党と「防衛的立場の社会主義国の核実験を帝国主義国の実験と同列に論じるのは誤り」とする共産党のあおりを受けて対立。
1964 昭和39年 共産党系の広島県被団協が大会、県被団協が分裂
1965 昭和40年 社会党・総評系が「原水爆禁止日本国民会議(原水禁)」を結成
1973 昭和48年 共産党が「社会主義国の核実験でも反対する」と主張を転換
1977 昭和52年 原水禁と原水協が統一大会を開くことで同意、2つの広島県被団協が分裂後初の統一決起集会
1986 昭和61年 原水禁、原水協などの大会が9年ぶりに分裂
1997 平成9年 広島県被団協(伊藤サカエ理事長)の総会に、もうひとつの被団協(金子一士理事長)がはじめて出席。相互出席が実現

2005.10.27(木) 「怒りの広島、祈りの長崎」
     この“我思う故に・・・”に書いてきたことは怒りに任せて書いてはいないとは思っていますが・・・
被爆60年の今年10月14日、15日長崎に行ったのです、『長崎さるく博’06 さるくコースマップ浦上界隈1』というパンフレットを山王神社を訪ねたときに自由におとりくださいと書いてありもらったのです、パンフレット(長崎さるく博’06推進委員会事務局発行の前説)にこう書いてあったのです。

『・・・・「怒りの広島、祈りの長崎」といわれるゆえんを考えてみませんか』と・・・観光客に問うていたのでしょうが、
‘怒りの広島’と云われた広島に生まれ、現在住んでいるわたしはそれから怒りといわれることをズ〜と考えているのです。

When 原爆を米軍に投下され多くの犠牲者を出した事を知った時からか?
Where いまは広島の地で
Who 原爆を投下した米国に対してが一番目か、次にそういう状況にした日本の政治家・軍人の指導部にいた人々に対してだろうか?それとも戦争の道を歩むことを許した当時の国民に対してであろうか??
What 非戦闘員を無差別に原爆を使い米軍が殺したことを・・
Why 無差別に広島市民が殺されたことが許されないからか・・
How (報復という手段などできる力は持っていないので)反核反戦の考えによって?

 怒るだけで核のない世界が来るはずもなく、祈るだけでも恒久平和が来るとも思えはしませんし、力ないわたしですので、しがらみに捉われない何がしかの行動は必要だとはおもうのですが・・・
いまはこう書いていますが、いままで深く考えたことなどなかったのですわたしは・・・まだまだまとまった考えではありませんのでいまから少しずつ加筆・訂正していかなくてはと思っているのです・・・

2005.07.29(金) 傷つけられた原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)
      碑文『過ちは繰返しませぬから』には主語がない、過ちを犯したのは原爆を使用して非戦闘員を大量に殺戮した米国ではないのかという主張は昔からありました・・・
主義主張の違いを示す為に原爆死没者慰霊碑を傷つける行為は許せません、慰霊碑には23万余の原爆死没者名簿が納められているのですから・・・・


 
昭和58(1983)年に『碑文はすべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である。過去の悲しみに耐え憎しみを乗り越えて全人類の共存と繁栄を願い真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている』と広島市が慰霊碑のそばに日英両文の説明板設置したことで一応の解決がなされたのですが・・
今回の右翼の青年はそのことを蒸し返した事だとおもいますが・・・今回の事件は「約束よりも大切なものがある」「人生いろいろ」「見解の違い」で済ます政治手法と似ているように思えてなりません、わたしは・・・・


 平和を発信しなくてはならな日本の政治は近隣諸国からの反日のうねりに押し流されようとしているようで・・・
ニュースを見ていたら韓国の子供たちが日本を海の中に沈めろという主張をしている・・・
意見の相違や主義主張の違いは当然あろうとも気に食わないから殺しちまえとなったらテロであるのですから・・・
教育者でないわたしですが自分自身で物事を判断できるようになるまでの教育の難しさを考えてしまいます。

2005.05.29(日) NPT(核拡散防止条約)再検討会議の決裂(主要3委員会合意失敗)・・・
         国益とは何なんだろうという壮大なテーマを掲げているHPではないし、力ないわたしですので、みなさんがみなさん自身で平和を考えられる切っ掛けになればと思ってHPをつくっているのです。
 原爆によって一瞬にして多くの人々が亡くなり、その後遺症で亡くなっている事を・・・・60年前の廣島・長崎に(米軍投下の原爆で)おきた被爆の悲惨な実態を繰り返してはならないと思うから、核兵器のない世界の実現を願っています、わたしは。

 先日からNPTに関する報道を見聞きして考えているのです・・・

     テーマ 対立軸
第1主要委員会 核軍縮 米国(地中貫通型等核研究)vsエジプト・イラン(核保有国の非核保有国の保証)
米国vs日本(包括的核実験禁止条約の早期発効)
第2主要委員会 核拡散 米国(イランの核問題+★)vsエジプト・イラン(イスラエルの核放棄要求)
★NPT脱退に対する制約
第3主要委員会 原子力平和利用 米国(条約違反国の平和利用制限)vsイラン(平和利用の権利)

前回(2000年)のNPT再検討会議で(全会一致で)採択された「核兵器廃絶への明確な約束」を反古にした米国にその責任があるのは明白ではあるのですが、唯一の被爆国としての日本国が米国を説得できなかった事にも責任の一端があると指摘せざるをえません・・・・

 被爆から60年という期間をかけても被爆者の声が世界に広まっていない事に愕然としてしまうのです・・・
国内でさえ政治的、思想的違いで2つの反核運動がある事は、如何に、純粋な核廃絶の願いが世界に届かないのかという絶望感さえ覺えてしまうのです・・・

 未来志向でと言う言葉をしばしば聞きます、確かに過去に縛られた思考だけでは平和な世界をつくる事は困難ではとわたしも思います。しかし、60年前の被爆によって起きた悲惨な出来事を知ることもなく忘れ去る恐ろしさを考えてしまいます。
日本が戦争によって引き起こした悲惨な出来事を近隣諸国に60年前のことではないかと言う言葉が通じないことは、ここのところの反日のうねりを引き合いにだすまでもないこととおもうのですが・・・6/17追記


2005.05.01(日) 核兵器のない未来を見据えて日本国として・・・・
    5年に一度の核拡散防止条約(NPT)再検討会議が開催される事と小泉首相が印度、パキスタンを訪問している事の報道は小さく扱われています。
(107名もの尊い生命を奪ったJR福知山線の事故報道が多く取り上げられることは当然ではあると思うし犠牲者の方々の御冥福をお祈りすることしかわたしには出来ませんが※・・・)

 この『我思う故に・・・』をはじめた動機が、5年ほど前2000年秋葉忠利広島市長が世界平和連帯都市市長会議をNPT再検討会議を欠席するとの報道を知ったことでもありましたから・・・

そして、森首相が2000年8月19日より、地下核実験をした印度・パキスタンを含む南西アジア歴訪するという事もありました。


 小泉首相の印度、パキスタン訪問を取上げたのは、
唯一の被爆国首相として核不拡散の国際世論に背を向け核兵器を保有する両国に(署名さえしていない)包括的核実験禁止条約(CTBT)を署名し批准するように促し、核廃棄を求めたのであろうかと思ったからです。
パキスタンには地下核実験実施以来凍結していた円借款を解除したと聞きますからなおのことそう思ったのです・・・・
 核兵器のない21世紀をつくることは核兵器保有国をこれ以上増やさないことと核兵器を保有する国が核兵器を廃棄することで達成されるとわたしごときがいちいち言うまでもない事ではあるのですが・・・

(謝罪すべきは謝罪し)言うべきことをあやふやにして言ってこなかったツケが近隣諸国の反日運動のうねりになっているのではとおもうからです。
日本国は二度と戦争という過ちを繰り返さないことを誓い戦争を放棄した憲法を持っているということを・・・・

参考:日本国憲法  NPT、CTBT、インドパキスタン核実験実施などの資料が外務省HP『軍縮・安全保障』にあります。


※どう表現したらいいのか迷っているのですが、JR西日本の経営体質を縷々する意見に満ち溢れていますが、それは日本の少なくとも少数の企業の経営体質ではないと思うのです、改革の言葉だけが叫ばれている日本国自体の問題ではないのかと・・・またそういう立場になるような仕事ではなかったわたしですが、亡くなった運転手の方は事故を起そうとしていたのではないと思うのです、万が一自分がその立場だったら会社の為とスピードを出していたのではないだろうかと・・・・・・・人の非を責めることが得意になり、自分自身はどうなのかとわたし自身への問いかけなのですが・・・
5/6追記

2005.03.02(水) 『平和公園365日』に取上げていただきました。
 朝日新聞、広島版に『平和公園365日』という記者コラムのコーナーがあります。
現在わが家は朝日新聞を定期購読をしていませんが時々駅売りで買って読んでいましたからそのコーナーがあることは知っていました。

先月23日に『広島ぶらり散歩』を取上げたいと、朝日新聞広島総局(コーナー名)『鯛』記者よりメールがありお会いして「平和記念公園などをNETで案内しようと思ったきっかけ」などなどをお話しました。
2月27日(日)の新聞に掲載されるということで、あさ近くのコンビニで新聞を買いました。

五年近くHPを作って来たのですが、わたしがわたしのHP『広島ぶらり散歩』を説明するよりも実に要点よく紹介した記事になっていました。
そして最後に『「実際に公園へ足を運び、自分で平和を考えるきっかけになれば」と願う。』と締めくくった記事になっていました。

機会がありましたら、2005年2月27日の朝日新聞・広島版『平和公園365日』読んでいただくと幸いです。

こちらもHPを開設している身、最後に少々逆取材をさせていただきました。
広島に赴任されて約一年という『鯛』記者(他県出身)、わたしが五年かかってやっと辿りつき知ったことがらもご存知で原爆・平和担当とはいえよく勉強されていると率直におもいました(失礼な言い方なのかもしれませのでお許しをねがっておきますが)。
この「我思う・・・」で2004年5月27日にも取上げた朝日新聞が未臨界実験(他紙は臨界前実験)といっているが何かこだわりがあるのかと・・全社で用語の取り決めがあり未臨界実験となっているとのことでしたが、そう取り決めた時に拘りがあったのではとなおお聞きしわかれば教えていただくということで。
いまさら自分の文章の拙さを嘆いても仕方ない事、今後も画像で少しでも紹介していき・・・平和を考える資料になればと思ってやっていこうと考えています。たまにHPを覗いていただければ幸いです、それにしても何枚の写真を掲載しているか数えてはいませんが、1000枚は越えているかなと思っていますが数えはしていません。
2005.01.05(水)
2005.01.02(日)
被爆60年のことし・・・
昨(2004)年12月24日平和大通りに建立されている
広島・長崎青年交歓記念碑 1』を撮影に行きました。

昭和20年8月9日(木)11時2分米軍投下の原子爆弾で被爆(爆心地から700mの大学研究室で)したが負傷者を救護された、故・永井隆博士の言葉が碑文にされていました。
いままで知らなかったわたしですが、心に染み渡る言葉でしたので紹介しようとここに取上げました。





































04.12.24撮影
被爆60年の報道を目にすることが多くなってきました、新聞の特集を読んでいて目が留まりました。
『建物疎開に動員されその代休だったあの日』という処でした。1945(昭和20)年8月6日(8時15分)は月曜日だったのだと・・・年始に兄貴(幼児で被爆)に会った時に曜日のことを話したら、当時記憶に残る年齢ではなかったが後年に月曜日であったと聞いたことがあると、暦を調べると確かに月曜日であったのでした。
今までおじさんの『原爆記』を読んでも曜日のことを考えたことがなかったのですわたしは・・・月月火水木金金という歌があった時代、日曜日もなく働いていたのかもしれませんが、
原爆投下をした米軍は休み明けで仕事に取りかかろうとする、多くの人々を殺傷する為に曜日・時間を選んで投下したのだとおもったから原文になかった曜日を記入しました。

2004.12.14(火)
2004.12.07(火)
『 こころを一つに平和を宣べ伝えよう 』
被爆60年にむけて・・・
  国会の場でロクに議論されることもなくイラク復興支援特別措置法の活動期間を1年間延長してしまいました。
行ったこともない者がイラク・サマワの現状がわかるわけがない』と自民党の幹事長がいっているのをTVでみました。
力ないわたしですがあえて言いましょう、≒5〜6時間および腰で視察にいったからといってわかるわけがないさと・・・アパート選びだって昼ばかりではなく夜にいってみなくてはわからないこともあるよと、自衛隊を派遣することはアパート選びと違うんだよと教えてやりたい。
今まで気がつかなかったのですが、交流ウォークの帰りに世界平和記念聖堂の前を通った時に撮影しました。

04.12.11撮影

「自衛隊が活動しているから非戦闘地域だ」といいはなつ総理大臣、国会の場で禄に議論されることもなくイラク復興支援特別措置法の活動期間を変更しようとしている、法律で変更する場合は国会に報告すると義務付けられているだけなので、閣議決定で延長が決まるらしい。国民が選んだ国会議員で構成された国会とはなんなんだろうと思われて仕方ありません。法律の前には憲法があるというのに・・・ 
 
HPに原爆で息子2人を亡くしたおじさんの『原爆記』を掲載しています、軍人であったおじさんが感情にながされることなく書き残した日記(のようにわたしは読んでいるですが)、行間に平和の大切さを訴えていると・・・・

 
核兵器のない世界の実現に向けた「記憶と行動の一年にする」と今年の平和宣言で述べています。
力ないわたしですのでやれることが僅かしかありませんが、平和を考える幾ばくかの資料になればと「広島ぶらり散歩」を作成更新しています。平和を考えることは大切ですが、息抜きもということで平和とは直接関わりがない頁もありますからHPを見てやってください。
いろいろな頁を作成していますのでHP項目一覧をつくっていましたが今回改定してアイウエオ順に頁紹介できたらと「広島ぶらり散歩・索引」としました。広島について知りたいと思われた頁があるかもしれませんので覗いてみてやってください。


2004.08.11(木) ロシアの臨界前核実験に抗議する
 9日、ロシアのルミャンツェフ原子力相が(ロシア北極圏にある)ノバヤゼムリャ島の核実験場で臨界前核実験を今年初めから複数回実施したと明らかにし、「(核爆発を伴わない)実験は核兵器の信頼、安全性、戦闘能力を確保するため毎年行われている」と述べた事を報道で知りました。
 ロシアは米国と同様に包括的核実験禁止条約(CTBT)に違反していないと主張し臨界前核実験をおこなっていました、今回もその延長線上にあり身勝手な理屈と私は思っています。

 米国の臨界前核実験に抗議する私は、当然いかなる国のいかなる核実験も許すことが出来ないと思っています。
ロシアの臨界前核実験も許すことは出来ないと思っています。
“核兵器のない世界の実現”には核兵器保有国の核廃絶が必要なことは私が言うまでもないことだからです。

2004.08.06(金) 2004年平和祈念式・式典にて・・・
今年2004年も暑い日でした。
空席が目につく式典会場の椅子に坐ってじっとしていても汗が出てきました。
来年の被爆60年までを、核兵器のない世界の実現に向けた「記憶と行動の一年にする」との力強い平和宣言を表明する秋葉広島市長・・・・市民個々が心に受け止めたのではと思いました・・・


昨年につづいて小さな声で弱々しく棒読みで挨拶の言葉を述べていた小泉首相、その挨拶の言葉を聞きながら、
見解を異にする国民(広島市民と言い換えてもいいかもしれませんが・・)への説明が出来ていないあるいはしない人だな〜と思いました。見解の違い、人生いろいろと一言で済ませ、ろくに説明をしてこなかった人だからかもしれません・・・
(間接的とはいえ)選挙で多数を得て選ばれている事は私にもわかってはいるのですが、人類史上唯一の被爆国の首相、「平和憲法を順守し、非核三原則を堅持する」と小さな声でも言っている
その挨拶の言葉を聞きながら、いまの小泉首相の施策は挨拶の言葉とはかけ離れていると・・・平和に対する認識のズレが情けないことだと思ったわたしは、昨年一昨年にはなかった目から汗がこぼれ落ちました。
お袋が被爆した子どもで広島市民のわたしは
小泉首相が被爆の悲惨な実相から目を逸らし、再び戦争という過ちを繰り返えさないと誓った憲法そのことさえも過去のこととし忘れ去ろうとしているのではと思ったからでした。

04.08.06撮影
地球平和監視時計 
今年の8月6日は原爆投下から21550日目
2004.05.27(木) 臨界前核実験に強く抗議する声は届かず・・・

 米国が日本時間26日午前4時 ネバタ州の地下実験場で
臨界前核実験の予告をしていた通り(通算21回目)実施したとエネルギー省・国家核安全保障局(NNSA)が発表しました。
 ブッシュ政権下では(前回の実験から249日目)今回で8回目の実験となります。


 米国が実験をした屁理屈は、
米国の「保管している核兵器の安全性と信頼性を確保する為に不可欠な科学データーと技術情報の取得」といっています。

 
  実験に抗議する私の理由
@一瞬にして幾多の尊い生命を奪い人類の未来に重大な災いを招く核兵器の廃絶を真摯に願っているからです。
 (廣島・長崎での被爆の悲惨な実態を繰り返してはならないと思うからです)
A今回の実験は、イラクでの反対勢力へ情勢によっては小型核兵器を使うぞとの脅しそのものに思えてなりません・・・
戦争による犠牲者をこれ以上出してはならないと思うからです。


朝日新聞の報道では臨界前核実験の記事は1面ではなく7面に掲載、抗議行動の記事は所謂三面ではなく33面社会面に報道されています。
報道にも実験への抵抗感がなくなってきたと感じるのは私一人でしょうか・・・・
被爆の悲惨な惨状を知っている日本の報道機関(原爆犠牲新聞労働者の碑)は決して忘れてはならない反核の姿勢をと思わずにはおられません・・・


なお、朝日新聞は未臨界実験という表現を使っています。
(核物質を使用し、核分裂連鎖反応が起きる一歩手前で終えて、核爆発には至らない核実験の事で臨界前核実験と同義でしょうが何か拘りがあるのかはわたしにはわかりません)


 2004.05.27撮影

地球平和監視時計   
2004.04.03(土) 『誰にも迷惑をかけてない』なんて・・・


2004年4月10日 第1刷発行

編 :こどもくらぶ
    発行所:
株式会社 岩崎書店
Q&A
ジュニア法律相談
全7巻
1 親子って、なあに?
2 なぜ学校にいくの?
3 子どもが悪いことをしたら?
4 これも法律違反?
5 結婚するって、どんなこと?
6 通販で買ったものは返せるの?
7 遺産はだれがもらえるの?
いただいた本以外にも“結婚するってどんなこと?”などが・・・う〜〜ん、銀婚式もとっくに過ぎた私が答えられない成人している息子達に読み聞かせてやらなくてはならないのかとドキッとした次第なのです・・・
        

 昨(2003)年10月19日原爆ドーム説明碑がペンキのようなもので汚された事件がありました。

そのとき私が撮影した写真(上)を出版する本に使用したいとエヌ・アンド・エス企画(こどもくらぶ編集部)の方よりメールがきました。
裕の写真である旨を記述していただくのなら、お役立てくださいと返事しその後何回かメールをやりとりしました。
先日『Q&Aジュニア法律相談・4 これも法律違反?』ができたと送っていただいたのが左の本です。
次代を造る子供の本に少しでも役立ったのかととても嬉しくてこの頁に取り上げました(女房いわく自慢したかったのでしょうと言われ図星でしたが・・・)。



 
京都すばる高等学校学生のIさんより‘裕のコインコレクション’の中の画像をHPコンテストに応募する自分のHPに使わせてくれとメールをいただき、何回かメールをやりとりし、裕の画像である旨を必ず記載しますからということでした。
後日HPができたと連絡が入り拝見すると世界の国々の文化に言及したなかなかの力作、コイン画像は付け足しみたいなものでしたが、中に原爆ドームのことを取り上げておられ“広島平和記念碑”と記述しておられたいつから原爆ドームがそういわれるようになったのかとお尋ねし原爆ドームは原爆ドームでしかないといったのですが、ところが私が物事に疎かっただけでした。そして下記のようなお詫びのメールを送りました。


 「広島平和記念碑」という表現は世界遺産一覧表に記載された英語の表現『HIROSHIMA PEACE MEMORIAL(GENBAKU DOME)』を日本語に訳すとそうなるのでしょうね、
日本語でわざわざ「広島平和記念碑」という表現はなにかそぐわないように思いますが間違っていたのは私で、Iさんは間違っておられなかったのでお詫びいたします。

 メールの中にも書きましたが原爆ドームは原爆ドームで「広島平和記念碑」はあくまで英語訳からきたものと考えから日本語では原爆ドームという表現でいいと思うのです私は・・・・


2003.11.10(木) 人にわからぬ事を問うことなど・・・・

  2003年11月4日23:30になおさんという方より下記のような問いがありました
        質問なのですが…
初めまして!私は、中学校で今原爆についてしらべていて、わからない事があるので、質問をさせていただきます。現在、世界中で原爆を所持している国はどこですか??あと、どれだけ所持しているのですか??詳しい事がわかる方、お手数ですが、教えて下さい!!お願いします。

少しばかり忙しかったのですが下記のように2003月11月5日 23:36答えました。 RE:私が調べたところでは・・・
  
今晩は、なおさん。
中学生で私のHPにたどり着いたということはNETの知識もおありなのしょう、安直に人に聞くより自分で調べてここまでは解ったがあとここがわからないということならば、なおさんの平和への思いが人に通じるというものではないのでしょうか?
まずNPTでいうところの“核兵器国”は米国、英国、フランス、ロシア、中国の5カ国です。しかしご存知でしょうが、インド、パキスタンは核実験をしていますので核保有国です。また(フランスの支援を受けて開発したと言われる)イスラエルも核保有が有力視されています。
そして最近自ら保有していると言っている北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)、米国が必死で探しているイラク、イランにも疑惑の目がいっています。最後に南アフリカは保有していた核を廃棄したと言われ今は核保有国でないとされています。
 正式な保有数は公表していませんが5カ国で約14000発くらいだろうといわれているようです。
米国は最盛期には3万発を保有していたといわれ、現在も1万発を配備する世界最強の核兵器国といわれています・・・


 ぶっきらぼうな答えに対するなおさんの次ぎにNPTとは?核兵器国とは?などなどの質問がくるのではと期待していたのですが今日11/10まで音沙汰がありませんのでこれからもないのでしょう・・・
 先生などでない私ですが、平和に限らず自分自身で考える事がまずありきではと思うからあえてここに書いたのです・・・・
わからぬ事を人に尋ねるのは恥ずかしい事ではないと思いますし、この歳になるまで平和の事など考えてこなかった私自身の反省ではあるのです、平和を私なりに考えだしてきた事を頁にしているのが‘廣島ぶらり散歩’なのですが・・・・

2003.10.09(木) 米軍撮影写真を掲載して・・・
 『平和データーベース』にある米軍撮影の写真、『被爆後の広島県産業奨励館(原爆ドーム)』の画像、『万代橋上に影を残して亡くなった方の人影』の画像を“広島ぶらり散歩”に掲載したいと思い‘被爆資料等掲載(使用)許可申請書’を提出していました。
10月8日に許可がおりた旨の許可書が広島平和記念資料館から送られてきました。  
 掲載に関しては
☆目的以外の掲載はしない
☆広島平和記念資料館提供である旨を表示する・・・・ことが条件でした。
 即刻、原爆ドームの四季平和記念公園附近の橋に掲載しました。百聞一見にしかずなのではと・・・ 人影の写真を最初に目にした時は恐ろしくて恐ろしくてどうしようもありませんでした。 二度とこのようなことが繰返されてはならないと核廃絶を願う心が芽生えた写真でもありましたから・・・

 被爆当時(昭和20年11月撮影)原爆ドームの写真と被爆58年を経た今日の原爆ドームが対比できればと{今は同じ地点(爆心地)からはビルなどが邪魔して撮影できませんので}同じ方角から03.10.09に私が撮影したこの写真を一緒に掲載しています、裕でした。

2003.10.04(土) デジカメを壊し落込んでいますが・・・
 はや10月になり山野辺の我家金木犀の薫りもそろそろ終ろうとしています、今年もあと3ヶ月となりましたね。  
先月20日から“広島ぶらり散歩”をメンテナンスしながら引越していました。
今まで3つの無料HPスペースを使用してGlobeTown上で1つのHPにしていました、これらを統合してCMがないインフォシークのHPスペースに掲載中でしたが更新履歴など若干作業残っていますが大方は終りましたのでよければ見てやって下さい。
 10月1日におじさんの原爆記の関連資料を調べられないかと平和記念資料館に立寄った時資料館が収蔵保存している資料をデーターベース化した『平和データーベース』※のことを知りました。 資料館・東館地下一階情報資料室で無料で検索できることを知りました、また登録すればインターネットで閲覧できることも知りました(その場で登録して、今は家のPCで検索できるようになりました)。  
 先日立寄った国立広島原爆死没者追悼平和祈念館よりも(歴史も古いこともあるのでしょうが)はるかに豊富な資料があるようで整理されているようです、
立寄った 情報資料室で担当の方に兵器部の構内地図などの関係資料や戦前の市内地図などがないだろうかと尋ねてみました、地図は番地まで書いてある地図を見せていただきました今まで見た地図は番地まではありませんでしたのでよくよく見ました(コピー不可とのことでしたのでいつの日かトレースしたいな〜と思いましたが・・・)。兵器部の大水槽の位置関係などの資料の進展はありませんでしたが、おじさんが資料館に提出したと言う物品はデーターベースで検索してもらい印刷までしてもらいましたが、嘉光さんに見せてもらった事がある資料館から提出物品について尋ねた資料と同じようでした。
 色々と担当の方と話をさせていただいているうちに、データーベースにある米軍撮影の写真は無料で掲載できるものがあることも伺いましたので、 被爆後の産業奨励館(原爆ドーム)の画像を原爆ドームの四季に、
万代橋上に影のみを残して亡くなった方の人影の画像平和記念公園附近の橋の頁に掲載できればHPを見ていただく方に繰返してはならない被爆の実相を百聞一見にしかずなのではないだろうかと思い手続きをしようと考えています・・・
 ※「(財)平和文化センターが管理している資料・情報をデータベース化し、インターネット経由で公開することによって、多くの方々に被爆の実相の理解を深めていただくとともに、平和に関する調査、研究に活用していただくことを目的としています。」だそうです。


2003.09.21(日)  強く抗議します
  おはようございます、皆様。
米国が日本時間20日早朝 ネバタ州の地下実験場で臨界前核実験の予告をしていた通り(通算20回目)実施したとエネルギー省・国家核安全保障局(NNSA)が発表しました。
※当初19日に予定と私は報道で聞いていましたが「技術的な問題」から一日延期されて実験をしました。

 米国が実験をした屁理屈は、
米国の「保管している核兵器の安全性と信頼性を確保する為に不可欠な科学データーと技術情報の取得」といっています。
 {ブッシュ政権下では(前回の実験から113日目)今回で7回目と頻繁に実験を行っています}

 実験に抗議する私の理由
@一瞬にして幾多の尊い生命を奪い人類の未来に重大な災いを招く核兵器の廃絶を真摯に願っているからです。
 (廣島・長崎での被爆の悲惨な実態を繰り返してはならないと思うからです)
A今回は一向に好転しないイラク・アフガン情勢での反対勢力への威嚇と北朝鮮への軍事的圧力などの意味も含まれているように思うのですが・・・そしてそのことは新たな核軍拡に繋がりかねないと言うことからです。

朝日新聞の報道では未臨界実験と言う表現を使っています。
(核物質を使用し、核分裂連鎖反応が起きる一歩手前で終えて、核爆発には至らない核実験の事で臨界前核実験と同義でしょうが何か拘りがあるのかはわかりません)


地球平和監視時計       2003.09.24撮影
上段:米軍が原爆を廣島に投下して21233日目
下段:米国の今回の臨界前核実験から4日目
2003.09.06(土) 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館体験記閲覧室に行く
 こんにちは、みなさん。  

 おじさんの‘原爆記’が資料として既に展示されていると最近訪ねた兄夫婦に聞き行ってみたのです。
私では判読できないところがありますので整理された資料を見せていただこうと思ったのです。
 タッチパネル式の装置で検索でき、音のあるものはヘッドホンで聞くことが出来きます。
被爆当時の地域ごとの写真・動画(米軍撮影の空撮など)等の資料はなかなか見ごたえがありました。 (残念なことに、手が回らないのでしょうが詳細の説明はないのですが)
 原爆記は単に原稿を電子コピーしファイリングされたものでした(被爆体験記集第37巻P73〜P127にありました)。
おじさんが被爆した兵器部で(原爆で亡くなった)嘉忠さんの遺体を一時入れた兵器部・大水槽の位置は、祈念館体験記資料担当者・清水さんが別資料を持ってきてくださり一緒に調べてくださったのですが分かりませんでした。 コピーを見ていると最初の数頁に判明した字を加筆した部分がありましたので清水さんにお伺いしたのですが、こちら祈念館の資料は平和記念資料館に提出してあった資料をそのままコピーし展示していると言うことでしたので原稿にない書込みは資料館の方で書込まれたもののようでした。{その中で腕時計と判読してあった字は、腹時計(懐中時計か)と解釈していましたので私の間違いが分かりました}   

   また次ぎの2点も清水さんにお話したのです
1)資料をここに来なければ見られないという今のシステムではなくNETで検索・閲覧できるように出来ないのか?
2)体験記を英訳して原爆の実相を知らなといわれる米国人に読んでもらえるようにしなくてはならないのでは?
   祈念館体験記資料担当者としての清水さんとして答えられる範囲でのお答えは
1) 祈念館での公開は同意されてもNETで公開となればプライバシーの問題も解決しなくてはならないし・・・・
2) 少しづつではあるのだがやっている、現在一部を情報展示コーナーで展示しているのですが・・・・
 さまざまな障害があるとは思うのですがここに来なければ見られないのではなく、NET時代の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館として世界への情報発信拠点(資料のさらなる収集・充実とともに)としての発展を願わずにはおられません。


2003.08.07(木) 平和祈念式・式典にて・・・
 今年2003年も8月6日平和祈念式式典があった平和記念公園に行きました。
『・・・・戦後一貫して世界平和実現に向けて取組んできた市民の願いは‘ヒロシマ’の名前と共に世界中の人の心に届いていますヒロシマは世界平和を考えるシンボルとなり毎年多くの人々がこの街を訪れています。これからも、平和を希求する多くの人々を引きつける都市であるよう祈念します』三年連続平和祈念式典に出席した小泉首相の挨拶の言葉の最後の部分です。
日本國の代表である当の本人である小泉首相の心に届いていない‘廣島の願い’をどう考えているのでしょうか?
式典後の短い記者会見で「米国追随の姿勢にヒロシマからの非難の声が上がっています」との記者の問いに「見解の違いであり、米国に協力することが日本の平和を確保することに極めて大切」と語気を強めて述べたと報道で知りました。“約束よりも大切な事がある”という考えが根底にある人のうわべだけの挨拶の言葉だったな〜と私は思っています。

 被爆した、私の(下の)兄貴でさえもう還暦を過ぎています、お袋にいったては90を過ぎています・・・被爆者の高齢化を嘆いても仕方ない事で若い世代へ受継いで 行かなければならない事は広島市民わかってはいるのでしょうが・・・
 政治的、思想的違いで2つの反核運動がある事が被爆者の気持ちを萎えさせてきた事が厳然として存在していた事は平和運動の悲劇でしかなかったのですが、それを乗越える若い息吹が本年3月2日イラク戦争に突入しようとする米国への世界へのメッセージであった「NO WAR NO DO」の人文字などに芽生えてきたのではないかと思っているのです・・・・

 核のない21世紀を造って行くのはもはや年寄の硬直した平和運動ではなくて(原爆関連慰霊碑の撮影に行った処でよく質問される貴方は何者?肩書きは?と言う意味であろう問いにあう私は)肩書きにとらわれない“平和を願う”という一点で集結できる若い力が中心にならなくてはと思うのですが・・・


2003.08.03(日) 折り鶴放火事件は一側面?・・・
 58度目の8月6日広島原爆の日も近づいた、8月1日7:55頃広島の平和記念公園「原爆の子の像」周囲の折り鶴に何者かが火をつけて約14万の折り鶴が焼けた事件をみなさんもご存知でしょう、後で見ましたがNHKTVニュースでは燃え盛っている折り鶴の映像を流していました。
 私はラジオで知りその日の午後4時頃平和記念公園に行ってみました、事件現場はすでに片付けられシートで囲われていました、帰宅後関西学院大学四年生が「就職できずむしゃくしゃしてやった」と報道で知りました、一緒だった同じ大学の2人の友はどうして止めなかったのでしょうか?平和を願う人達の気持ちを逆撫ですることくらいは成人である彼らにもわかるはずなのではと・・・
 個人のモラルの欠如と言うことで片付けられる問題なのかと思わずにはおられませんでした。
最近起きる他の事件も含めて何やら歯車が狂って来ている日本を感じるのは私一人でしょうか?我々大人が築いてきた“お金中心”で“約束よりも大切なものがある”という社会がと思わずにはおられません、また現在の好戦的な世界状況を反映しているとも思われてなりません、私の気苦労であればいいのですが・・・

2003.04.22(火) おじさんの生きかたに思う・・・
 人は必ず死をむかえることを思えば如何に生きるかを考えさせらるおじさんの原爆記と思うのです私は・・・・
悲惨でしかなかったであろう原爆によって起きた色々な出来事の一断面ではあっても堂々と生きたと言う事を書き残すことが出来たおじさんの生きかた、感服せずには居られません、振り返って自分はとなると果たして何を残す事ができようかと思ってしまいます。
 戦後58年を迎えようとするいま、今更過去を振り返る事はないとの話を聞くこともありますが、過去があるから現在がありそして未来への希望に繋げなければならないと思われてなりません・・・・


(※生き様=小学館・日本語大辞典では用例として見事な生き様とあるのですが、ざま=あざけて言う言葉であり決していい事に使う言葉ではないとNHKラジオで聞き誤解を受けないために訂正しました03.06.21裕)


2003.04.14(月) おじさん(八束 要)の原爆記掲載にあたって
 おじさんが1945(昭和20)年に書き残した原爆記です。
従兄弟(原爆記にも書かれている八束嘉光さん)の話しでは、平成14年国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に原爆の資料として提出しているので今後“体験記閲覧室”で自由に閲覧できるようになり資料として保存されるという事ですので公開しても構わないと言われていましたが、実名で家族に起った実に生々しい悲しい出来事が書かれており、また部下の方々や上司の方々に起った事も書かれているので掲載してもいいのか躊躇っていました。再度公開してもいいのか聞いたのです、(既に故人である)おじさんの思いが凝縮されており再びこのような惨禍を起こしてならないとの警鐘になる事であろうという事で頁を作成して公開して行く事にしました。

2003.03.28(金) 世界平和記念聖堂を訪ねて
 私はクリスチャンではありません(昔々バブテスト系の高校には行ったのですが)、カトリック幟町教会は以前訪れた事はありますが、現在イラクを巡る戦争の即時停戦を願ってこの教会を訪ねてみようと思ったのです。

 ローマ法王が広島の地で世界に向けて出した平和アピールの一部を思い出したからです
『戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。・・・』
 という言葉です。またアピールを読み返して
『・・・平和へ向けての険しく困難な小径を歩み始めようではありませんか。人間の尊厳にとってふさわしい唯一の小径、人間として為すべきことを本当に完遂させてくれる唯一の小径、平等と正義と連帯とが、単に遠くにある夢としてではなく、現実に行われるようになる未来へ向けての唯一の小径を歩み始めましょう。・・・・』
という言葉もあるのです、戦争への階段を一段一段と登っていくような日本國は止まり考えなくてと思うのです・・・


2003.03.21(金) 米国を支持する政府にもの申す
 世界で唯一の大国になった米国の軍事力をバックにした力の外交、力の信仰であくまで押し通す強硬外交を支持する事は私にはできません。
フセイン政権を倒し、中東に米国型民主主義の国家を作ることが米国の使命だと言ってる、いわば、米国の価値観を軍事力をバックに世界に広めようとしているように思えます、米国の思うようにならなければ何でも有りと言うことのように思えてなりません・・・・
安らかに眠って下さい過ちは繰返しませぬから”と誓った広島市民として戦争には反対です、戦争に正しい戦争なんてないと私は思っています・・・


2003.03.03(月) 事実から目をそむけることなくと・・・
 こんにちは、みなさん。

 昨日は平和の人文字メッセージ
「NO WAR NO DU !」のNの端に立ったあと、
平和資料館ビデオシアターで(無料=入館料もいらない処で)上映されている“ヒロシマ・ナガサキ‐核戦争のもたらすもの‐”‘原爆白書とも言える「広島・長崎の原爆災害」に基づき。科学的な視点から原爆災害の全体像を描いた作品です’とサブタイトルがついた(46分)の作品を観ました。
廣島・長崎に実際起きた出来事を撮影したフイルムで構成された作品でした。
 真っ黒焦げの遺体、(蒸発していまい)遺体さえなく人影しか残していない映像、被爆で直接的に亡くなった人々、放射能の影響が年とともに違う病状で人々をおそい病魔に苦しんでいる被爆者・・・事実を淡々と伝えているように思いました。
 声高々に平和を訴えていなくとも核のない世の中をつくらなくてはと思う映像になっていると・・・私が観た上映時は私のほかは一人しか見ていない映像を色々な方にも見てもらいたいと思う作品でした・・・
 ※
萬代橋の説明碑に欄干の影の写真があります

2003.01.06(月) 好戦的な21世紀の軌道修正は・・・・
 新年の意気込みを述べる事もなく三箇日が過ぎました、ここにきて少しばかり思いましたので・・・・
今年も収集している外国マイナー・コインをコインコレクションの頁に掲載して行こうと考えています。今年第一段としてドイツのコインを掲載しました。独逸は日本と伊太利ともに世界を相手に戦争をした暗い過去を持っています、ナチスのハーケンクロイツを刻印したコインも発行しています(国旗にも採用されています)、よく言われる戦争責任を謝罪した独逸と周辺国に謝罪していないと戦後57年を過ぎる今日まで言われ続ける日本の事をチト考えながら編集しました。
 戦犯を合祀した靖國神社を参拝し続ける総理大臣の政治感覚の鈍感さに嫌気がします、戦争で亡くなった方々への鎮魂を決して忘れてはいけないと私も思っているのですが、“安らかに眠って下さい過ちは繰返しませぬから”との碑文に異論を唱える人の考えと同じように思えるのです。
 野猿が出没する我家の裏山には今日も雪が残っていますが、昨日5日は市内も雪が積っていましたので雪の平和記念公園を撮影に行きました。多くの方々が水を求め冷たさを求めて無念のうちに亡くなった過去を決して忘れてはならないと凍える手を合わせながら、戦争へギアを入れようとしている好戦的な米国大統領に平和記念公園を訪れ過去を考えてもらえればと思わずには居られませんでした。
今年もぼちぼちと更新して行きますのでよろしくお願いいたします・・・

2002.10.12 (土) 日本の主体性を考える
 日本政府は10月10日国連総会の第一委員会(軍縮)に「核兵器の全面的廃絶への道程」という決議案を提出し10月下旬の第一委員会で表決される事を新聞報道で知りました。
 決議案
1)CTBT(包括的核実験禁止条約)の早期発効
2)兵器用核分裂物質生産禁止(Cut off)条約の5年以内の交渉妥結
3)核兵器保有国全てによる大幅な核兵器の削減

 日本の核軍縮決議案の提出は九年連続という(困難で根気がいる事なのでしょう)。
昨年はこれにはじめて米国は反対票を投じた、ブッシュ政権はCTBTに批判的なのです(自国さえよければという姿勢がみえみえなのではと私は思っています)。
 猪口駐ジュネーブ軍縮大使は「日本がCTBT発効への姿勢を後退させる事は出来ない」と強調したそうです。
米国は今回も反対するであるろうが、賛成する国を増やして行き米国への包囲網を築こうという事であろう、米国にはっきり決断を求めて行く事はまさしく日本の執っていく道と私は思いここに書きました。
 先月この雑記帖に書いた
ニューヨークの国連本部において、日・豪・蘭で共同で呼びかけ開催した包括的核実験禁止条約フレンズ外相会合に参加した18ヶ国が解かりました(新聞ではなく外務省のHPで)
日本、オーストラリア、オランダの他、韓国、ニュージーランド、ハンガリー、ペルー、ジョルダン、トルコ、南アフリカの10ヶ国の外相が出席。
また日程上、英国、フランス、ロシア、カナダ、スウェーデン、チリ、ナイジェリア、フィリピンの外相の参加は得られなかったものの、外相共同声明の共同発出国となった。
外務省の軍縮と安全保障という頁にCTBTについての資料があります・・・

2002.09.29 (日)  強く抗議します。
 米国が臨界前核実験を米国東部時間9月26日午後3時(=日本時間27日午前4時)にネバダ州の地下核実験場で実施しました。
前回8月29日一ヶ月もしないうちにです。
 ブッシュ政権は、小型核兵器の開発の検討を、核兵器製造に不可欠のプルトニューム・ビット等の生産再開を決定している事を新聞報道で知りました、まさに核軍縮に反する行動です。
 廣島からの、世界からの臨界前核実験への抗議の声は届かないようです・・・・

 実験に抗議する私の理由

@一瞬にして幾多の尊い生命を奪い人類の未来に重大な災いを招く核兵器の廃絶を真摯に願っているからです。
Aここ一連の実験はブッシュ政権がイラクへの威嚇と軍事行動での使用を可能にしようとする意思のあらわれなのではないかと危惧するからです、3たび核兵器の使用を許してはなりません。(廣島・長崎での被爆の悲惨な実態を繰り返してはならないと思うからです) 廣島の裕でした。


2002.09.16(月)  核軍縮と核不拡散
 9月14日ニューヨーク国連本部で川口外相がダウナー豪外相、スヘッフェル蘭外相と共同し、18ヶ国(何処の国々かはわかりませんでした)の外相・外相代理による会議を開催して包括的核実験禁止条約(CTBT)の早急な署名と批准を求める共同声明を発表した’と新聞の報道で知りました。
声明は「大量破壊兵器に利用できる物質や技術、知識の拡散防止が世界の直面する最重要課題の一つで、CTBTが極めて重要な役割を持っており、核開発能力のある44ヶ国全てのすみやかな対応を求める」と要求しています、また“各国に対して核実験のモラトリアム(一時停止)継続を要請。CTBTの発効までに、核実験の検証制度確立に向け本格的に取組むように”訴えてたそうです。

署名済・未批准国 10 アルジェリア、コンゴ(民)、エジプト、コロンビア、イラン、イスラエル、
米国、中国、インドネシア、ヴィエトナム
未署名国  3 インド、パキスタン、北朝鮮
イラクは発効要件国に含まれておらず、いずれの手続きもしていない。
批准国 南アフリカ、スロヴァキア、ポーランド、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア、ロシア
ウクライナ、ペルー、ブラジル、アルゼンティン、メキシコ、バングラデシュ、オーストリア
フランス、イギリス、スペイン、ドイツ、スウェーデン、カナダ、フィンランド、イタリア
オランダ、ベルギー、ノルウェー、スイス、トルコ、日本、オーストラリア、大韓民国

@CTBTをみとめないというブッシュ政権がネックになっている事はいうまでもない事ですが、多くの国が核開発を止めないという事ではないかと私は思っています。
AODAは金のばら撒きではないかという反省がありますのでその資料にもなるかとここにあえて取上げました。
日本がODA援助をしている国が多く含まれている事を憂慮していますし、直接批准するように説得できる立場ではないかとも思うからです。
外務省の軍縮と安全保障という頁にCTBTについての資料があります、廣島の裕でした。

2002.08.31(土)  核大国の横暴に抗議します
  こんにちは、皆様。
米国が日本時間2002年8月30日午前4時 ネバタ州の地下実験場で臨界前核実験の予告をしていた通り(通算18回目)実施し成功したと発表しました。
 米国が実験をした屁理屈は、
米国が保有している核兵器の安全性と信頼性を確保する為といっています。 (≒1年半のブッシュ政権は今回で5回目と頻繁に実験を行っています)

 
実験に抗議する私の理由
@一瞬にして幾多の尊い生命を奪い人類の未来に重大な災いを招く核兵器の廃絶を真摯に願っているからです。
 (廣島・長崎での被爆の悲惨な実態を繰り返してはならないと思うからです)
A今回は悪の枢軸といってるイラクへの威嚇と軍事行動での使用を危惧する状況にあることです・・・そしてそのことは新たな核軍拡に繋がりかねないと言うことからです。


2002.08.07(水)  歴史を忘れず・・・
作:裕 02.08.09
 昨日は平和記念公園に行ってきました。
それぞれの慰霊碑ではそれぞれに慰霊式を行ったり既に終ったり、今からだったりしていました。
 その中に廣島市立高女原爆慰霊碑があります。
慰霊碑の中のレリーフの少女が持っている箱には「E=MC2」と刻まれています、当時連合軍占領中で「原爆」という文字が使用できなかったからだそうです、それほど連合国(主に米国)は世界への核反対の声の発信を恐れていたのではないのでしょうか、(こんにち対等なパートナーと日本が言っていても米軍の駐留は今だに続いている現状がありますよね)今でも米国の市民が原爆の惨禍を知らないといわれています、事実を知ればと思いますが・・・・。
 中曽根元首相の碑が元安河畔に建立されています、これもあまり知られてはいませんが、昨日に行ってみました、花もなくただ黒い折鶴が一つ置いてありました、とても印象的でしたので写真を撮りました。平和記念公園を歩いただけで疲れてしまいましたが、各地区の慰霊碑を廻りたかったのです、離れた所では幟町の慰霊碑、国泰寺の鎮魂碑を廻るだけでした、近くの大手町第1公園では革労協が独自の平和集会をやっていました、色々な8月6日を感じたかったのですが・・・
 小泉首相の挨拶と秋葉廣島市長の平和宣言に平和に対する温度差を感じました、私は。
J.F.ケネディー元米国大統領の「全ての人がお互いを愛する必要はない、必要なのは互いの違いに寛容である事」との言葉を引用していました、そして、宣言の中で「‘他の全ての国と同じように’戦争の出来る‘普通の国’にしない事です」といっていました。日本こそが全世界に向けて核廃絶を訴えなければならない重い重い歴史を背負っていると私は思っています、廣島の裕でした。

2002.08.01(木)  悲しい歌は無くならねど・・・
 今年も8月6日が近づいてきました。 今まで原爆慰霊碑等は私のHPでは写真を掲載しているだけでしたが、解かるものについては簡単な説明を付けて行こうと思っています。
原爆犠牲國民学校教師と子どもの慰霊碑が国際会議場の南側に建立されています。
その碑文    “太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり”  
被爆歌人正田篠枝さんが占領軍の目をさけ、広島刑務所の印刷部で秘密出版した歌集「さんげ」からのものだそうです。
私には到底想像できない光景を目の当たりにした歌人が詠んだ短歌・・・・・何たる歌だと怒りさえ覚えます、2度と起してはならぬ惨禍・・・平和を述べる事さえ憚れるようになりつつある日本國に危惧を憶えてなりません。被爆者との対話を労働厚生大臣に任せるという小泉首相そして米国大統領ブッシュ氏にこの歌人のこの歌を送りたいと・・・廣島の裕でした。


2002.06.15(土)  何処の国の核も許してはなりません・・・
こんにちは、shizukaさん。
>突然ですが、今、日本の一部の政治家さん達で、「核容認」の話が出てるらしいですね。。
 そのような政治家は昔からいるのですが今回は、政府首脳と言われる人=日本の施策を推し進めようとしている人物、官房長官、官房副長官の口から語られたと言うことに問題があると思うのです。

>世界中の国がどんなに多くの核を所有していようとも、
>日本だけは、絶対に、核を持ってはいけないと思う。。
 唯一の大国になった米国がリーダーシップを取って核廃絶に進むのが理想なのでしょうが、自國はいいが他國はいけないという施策なのですから・・・ましてCTBT自体を認めないというブッシュ政権なのですから、それに追随する事が日本の取る道というのが今の小泉政権の施策なのですだから危惧しているのです、日本の非核三原則のもとに米国にも物申すのが真のパートナーシップと思うのです私は、廣島の裕でした。


2002.06.15(土)  はじめまして♪ 投稿者:shizukaさん
 こんにちは!
突然ですが、今、日本の一部の政治家さん達で、「核容認」の話が出てるらしいですね。。
 私は、世界で唯一日本が原爆を落とされた国なのに、なんでそんなこと実行できるんだろう。色んな理由があるにせよ、平和を願う、日本国民の代表でないと思いました。。確かに、日本の周りの国達はほとんど核を持っているといわれているが、世界中の国がどんなに多くの核を所有していようとも、日本だけは、絶対に、核を持ってはいけないと思う。。永遠に、「核、いかんぜよ」と共に、「世界平和」を主張していくべきだ!!
((長々と、失礼しました。。))☆シィ☆

2002.06.09(日)  米国臨界前核実験に抗議します
米国が日本時間2002.06.08AM6:46 ネバタ州の地下実験場で臨界前核実験を(通算17回目を)実施したと発表しました。
 米国が実験をした屁理屈は次ぎのものです。
1) 米・英両国が保有している核兵器の安全性と信頼性を確保する為。
2) プルトニュームを使用するが核反応が連鎖的に起こる臨界には達していない。
(クリントン前政権とは違い)ブッシュ現政権は包括的核実験禁止条約(CTBT)自体を否定しています、
 自分さえよければいいという発想ではないのかと自国の主張が全て正しいと主張しているようで危惧しています、
 環境問題にしてもそのような行動をとろうとしている・・・民主国家としての理性有る行動を望んでいます、私は。
2002.06.03(月)  政府首脳の非核三原則の見直し発言に反論する
 「日本は唯一の被爆國として核廃絶の先達として重要な役割がある」と
日本國政府及び国民はそのことで国際社会に貢献して行くのだとしてきたのですよね、
 今回、政府首脳による非核三原則を将来見直す可能性があると発言した事や※、福田官房長官の理論上は核兵器を保有できるとする発言を知りました。これに小泉首相はいつものように、反発が出ていることに関して「どおってことない」と他人事なのです。
 これにらに対してあやふやにし責任をとらないことで決着しないようにしなければと思います。
現在の日本國政府は好戦的な思考が強く反映した施策を取ろうとしているのではと危惧していた矢先でした。

 “被爆の惨事を二度と繰り返してはならない” 
その為の施策を推し進めていくことが国際社会の中での日本に課されたことなのですから、たとえ、その施策が‘北風の強さがない’と感じようとも‘太陽の暖かさで’最終的に核兵器のない世界を造ると信じて進んで行かなくてはと改めて思っています・・・
   ※実は福田長官自身の発言だったのです、追記:裕

2002.02.16(土) 平和を語れない國になるのか・・・          
 米国・英国共同の臨界前核実験実施に強く抗議します。 

 米国・英国共同の臨界前核実験実施に抗議する(私の理由)
@ 一瞬にして幾多の尊い生命を奪い人類の未来に重大な災いを招く核兵器の廃絶を真摯に願っているからです。
 (廣島・長崎での被爆の悲惨な実態を繰り返してはならないと思うからです)
A 今回の実験は新たな核軍拡に繋がりかねないと言うことからです。
 初の米・英共同で日本時間2002年2月15日 AM6:30 
ネバタ州の地下実験場で臨界前核実験を(☆1997年以来16回目を)実施したと発表しました。
 両国が実験をする屁理屈は次ぎのものです。
1) 米・英両国が保有している核兵器の安全性と信頼性を確保する為。
2) プルトニュームを使用するが核反応が連鎖的に起こる臨界には達していない。
∴包括的核実験禁止条約(CTBT)が禁止している核爆発を伴う実験には当らないと。
今回はCTBTの批准を進めるように米国に求めるなどしてきた英国が「CTBTの抜道」に参加したことに怒りを覚えます。
 英国はトライデント核ミサイル等の更新、新たな核弾頭を検討している事から実験に参加?
唯一の被爆国として核兵器の廃絶を希求する日本國として情けない政府の対応
a 小泉首相「核爆発を伴わない今回の実験はCTBTの違反にならないのが国際常識」と発言、
b 福田官房長官「もし臨界前核実験を禁止することになれば、本物の実験をさせろという話の可能性がある」という、ブッシュ政権におよび腰なのです。
本当に同盟国というなら苦言を呈すことも必要であり、中止を求めてこそ国際社会の中の日本の立場ではないだろうかと思っています、廣島の裕でした。
2001.12.15(土)  ご存知のように実施しましたので
米国の臨界前核実験実施に強く抗議する(私の理由)

@一瞬にして幾多の尊い生命を奪い人類の未来に重大な災いを招く
 核兵器の廃絶を真摯に願っているからです。
 (廣島・長崎での被爆の悲惨な実態を繰り返してはならないと思うからです)
A今回の実験は新たな核軍拡に繋がりかねないと言うことからです。

 米国が日本時間2001年12月14日午前6時 ネバタ州の地下実験場で臨界前核実験を(☆1997年以来15回目を)実施したと発表しました。
 米国が実験をする屁理屈は次ぎのものです。
@米国が保有している核兵器の安全性と信頼性を確保する為。
Aプルトニュームを使用するが核反応が連鎖的に起こる臨界には達していない。
 ∴包括的核実験禁止条約(CTBT)が禁止している核爆発を伴う実験には当らないと。
B今回の実験はオーボエシリーズと言われ今回が8回目に当り、今回で実験終了した。
(このシリーズは終るが来年以降も実験継続すると表明している。今後の実験継続に対しても抗議し中止を求めます)
無力感を考えなくもありませんが言う事は言って行かねばと思う、廣島の裕でした。

2001.12.13(木)  実験実施の中止を強く求める
   臨界前核実験実施の中止を強く求める    2001年12月12日
 米国の臨界前核実験実施の中止を強く求める(私の理由)
@一瞬にして幾多の尊い生命を奪い人類の未来に重大な災いを招く 核兵器の廃絶を真摯に願っているからです。
 (廣島・長崎での被爆の悲惨な実態を繰り返してはならないと思うからです)
A今回の実験は新たな核軍拡に繋がりかねないと言うことからです。

 米国が日本時間2001年12月13日ネバタ州の地下実験場で臨界前核実験を(☆1997年以来15回目を)実施すると発表しました。
米国が実験をする屁理屈は次ぎのものです。
@米国が保有している核兵器の安全性と信頼性を確保する為。
Aプルトニュームを使用するが核反応が連鎖的に起こる臨界には達していない。
 ∴包括的核実験禁止条約(CTBT)が禁止している核爆発を伴う実験には当らないと。
B今回の実験はオーボエシリーズと言われ今回が8回目に当り、今回で実験終了する。
(このシリーズは終るが次なる核実験の準備と考えられますので今回の実験に対しても
中止を求める理由でもあります)   廣島の裕でした。

2001.12.08(土)  平和は戦ってのみ得られるのか・・・
 昨日、市内を少し歩いて(運動不足解消の為も兼ねて)慰霊碑の写真を撮りました。
東照宮と牛田公園の2箇所の慰霊碑と原爆ドームの写真を撮ろうと思って・・・・東照宮は参道から階段へ登る脇にあった、牛田公園は近くに住んでいるお袋、以前近くに住んでいた女房とも当然知っていた、先日まで知らなかったのは私だけであったなんと情けない事であろうかと・・・。両方とも被爆してボロボロになった人々が水を求めて逃げてきた(と廣島駅裏で被爆したお袋もいっていた)。慰霊碑・供養塔には亡くなった方々の無念さがこもっているであろうと目頭が熱くなった。先日撮影した白島九軒町の慰霊碑(爆心地にはこちらの方が近い)は亡くなった方々をそこで火葬したと説明にあった。
 あの世界貿易センターのテロ以来米国のやる事を支持するのかしないのかで区別しようとする米国の怒りに恐れ世界が米国支持に廻ったように見えた。テロを良いという者はテロリストしかいないであろうが・・・・
米国がする事が全部正しいとは言えないのではと・・・自分の國が出きる事を武力中心に据えての議論を聞きながら戦前の戦争に向って行った同じ道を歩むのではないかと・・・戦争の反省のもとにできた(であろう)憲法の解釈を詭弁を使って曲げた今の政府を思う・・・・勇ましい意見が幅を利かすことはある程度仕方ない事であろうとも「しかし・・・」と考えなくては‘過ちは繰り返しません’と誓った廣島の市民として思っています。めめしく力ない私ですが、原爆慰霊碑を見て手を合わせながら考えています、武力無いものはどのように平和に関われるのだろうかと・・・

2001.10.24(水)  無知蒙昧
 一昨日から廣島平和記念公園の簡単説明を付け出しました。画像を見ながら平和公園が散歩出来ればいいなーと思っていましたので、ほとんど説明を付けていませんでした。
 女房が「被爆体験証言者交流の集い」に行き資料を貰って来ていました。(今まで見ていませんでした)少しは知っていると思っていた事もありました、しかし、大違いでした。
 廣島市民であったのに如何に平和公園を知らなかったかが解りました。その資料をもとにその施設の説明を付け出しました、まだまだ途中ですが見てやってください。
 安らかに眠って下さい 過ちは 繰返はせぬからの趣旨の説明板がある事を知りませんでした、その説明文は、
「碑文はすべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である過去の悲しみに耐え憎しみを乗り越えて全人類の共存と繁栄を願い真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている」と記されているそうです。 碑文の趣旨はそんな事だろうとは思っていましたが、歪曲して捉える人がいたからでしょうね、正確に伝える事の難しさを知りました。今後少しづつではありますが画像の説明を付けていきたいと思っています・・・

2001.09.28(金)  米国臨界前核実験に抗議する
 米国が日本時間2001年9月27日AM5:47 ネバタ州の地下実験場で臨界前核実験を(1997年以来14回目を)実施したと発表しました。
米国が実験をした屁理屈は次ぎのものです。
@米国が保有している核兵器の安全性と信頼性を確保する為。
Aプルトニュームを使用するが核反応が連鎖的に起こる臨界には達していない。
 ∴包括的核実験禁止条約(CTBT)が禁止している核爆発を伴う実験には当らないと。
★テロへの報復目的の軍事威圧 関係ないとエネルギー省のスポークスマンは言っているが。

※臨界前核実験
 核爆発を起こさずに核爆弾の性能を調べる実験。核分裂が連鎖的に起きる状態を「臨界」と呼ぶ。
臨界前核実験は高性能火薬を爆発させてプルトニウムに衝撃波を当てて核分裂を起こさせる。しかしプルトニウムの量や温度を調整しての「臨界前核実験」は、臨界に達しないようにする。
 詳細は発表されていませんが、地下≒290Mの坑道に設置した鋼鉄容器の中にプルトリュームをいれ火薬の爆発で圧縮して、
プルトリュームの飛散り方等を調べる事で、長年にわたる多数の核爆発実験データとスーパーコンピュータの導入でコンピュータシミュレーションにより核実験を行わなくても核兵器の管理や改良・開発が可能であると言われています。
 米国の臨界前核実験に強く抗議します
@一瞬にして幾多の尊い生命を奪い人類の未来に重大な災いを招く
 核兵器の廃絶を真摯に願っているからです。
 (廣島・長崎での被爆の悲惨な実態を繰り返してはならないからです)
A今回の実験は新たな核軍拡に繋がりかねないと言うことからです。


2001.09.22(土)  PDCAのプランの提言を・・・
 2001年9月18日「平和政策研究会」の初会合が開かれた。
※広島平和創造センター(仮称)の基本構想策定  (国際平和に寄与する地域のあり方を考える)
・広島県 と NIRA が共同設置  NIRA=http://www.nira.go.jp/menu2/
・委員7人+アドバイザー役研究顧問4人で構成。
 ※藤田知事『広島は安全な国際社会を築く使命があり提言を政策に生かしたい」と挨拶。
※安全保障や国際平和に関する考え方を各委員が述べた。
・明石 康=元広島平和研究所長     
  「国際平和や安全保障は政府レベルだけでなく地方自治体や市民レベルでも 考えて行かなくてはならない現実的な提言をしたい」
・小和田恒=元国連大使
 「米国など世界的にテロが発生している。今後新たな安全保障の枠組みが求められている」
・水本和実=広島平和研究所助教授
 「広島は憎しみの連鎖を絶つ『和解の場』になれる」
※10月にWGを設置月1回のペースで有識者の意見を聴く、研究会は今後2回予定されている。
・今年度中に報告書まとめ、政府や政府関係機関にも提言する。との事だそうです。先日も言いましたが。
研究会が建物整備(器ではなく)の提言の場になるのではなく。

2001.08.19(日)  平和も研究から・・・
 こんばんは、MATUさん。

>ずっとずっと、平和が続いてほしいです。
 私もそう思いますが、日本だけが平和であればいいという事ではない時代でしょうね、きっと。
 報道によると8月17日に廣島県が模索を続けてきた 被爆50周年後の国際平和貢献構想が実現に向けて動き出す。「平和政策研究会」(仮称)の初会合を9月18日に開く事を決めたそうです。(委員に明石元国連事務次長、広大平科研小柏助教授、市大広島平研水本助教授など)県の想定は、東南アジア地区に対する安全保障政策、紛争予防策に研究を、整備施設の機能としているようです。 研究会のメインが施設の整備(器ではなく)になるのではなく。政策・予防策を研究し策定して行く人材育成や研究成果の情報発信の方を重点に検討していただきたいものです・・・

2001.08.18(土)  無題 投稿者:MATU
 はじめまして。凝ったページですね。
短歌や俳句にはない面白さ、川柳もやれば面白いとわかっていますがなかなか・・・・ですね。
広島といえば、原爆の町。戦争は知らない世代ですが「同期の桜」の歌・・・・悲しいですね。知らず涙ぐんでしまいます。でも、今の広島は明るくて日本のシンボルの街になりました。ずっとずっと、平和が続いてほしいです。

2001.08.17(金)  早速ご返事頂き 投稿者:yamateru
 恐縮でした。
靖国神社参拝の件、評論家の佐高信氏著「孤高を恐れず(石橋湛山の志)」に、1945年10月、「東洋経済新報」の社論として石橋湛山氏が書いた一文があります。当時は、戦いに負けたとはいえ、依然”靖国神社崇高”勢力の強い中で、同神社の廃止を提言しています。同神社の存続が、我が国の将来に不面目と不利益(他国からの干渉・批判など)を招くと看破している先見性には、敬服させられます。
この一文を、小泉首相の公式HPに、12日にメール投稿させて頂きました。できれば、参拝中止くらいの決断が欲しかったと思ってます。因みに、小生も首相と同じくS17年うまれで、普段は首相の言動を支持してます。

2001.07.19(木)  暑い夏がやってきて・・・
 梅雨が明けて、暑い夏がやってきました。
原爆を米国が投下した8月6日、祈りの日がまたやってきますね。今年は、ミサイル防衛構想とやらで軍拡の一歩を踏み出しそうですね、そして京都議定書の発行に反対する国益優先の国、その国に追随している我國。
 皆が望んだ強いリーダーシップを持った首相は、近隣諸国の感情を逆撫でしている(としか思えない)靖国神社へ参拝されるとか。   『自分達は侵略という犯罪行為に携わっていたのではない。日本はただアジアの抑圧された人々を。白人の帝国主義から解放していたのだ』スウィーニー空軍少将の言葉を持ち出すまでもないでしょうがね。
 未来志向の建設的な近隣諸国との交流はまだまだほど遠いのかも知れませんね、この一年平和に関する行動を何もしていません、被爆2世の裕でした。

2001.03.21(水)  大変早く、詳しく回答ありがとうございます 投稿者:ゆうゆう
 流石にわかりやすい回答ありがとうございます。日本は、巧みに正当性を主張していることもよくわかりました。

2001.03.21(水)  米国側からは・・・
 C.W.スウィーニー空軍少将(=廣島・長崎の原爆投下作戦に参加した退役軍人)の著書「私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した」からの引用からですと、お断りを致しておきます、戦勝国アメリカ合衆国側から見た意見です。
 『原爆投下目標を選定する基準は、マンハッタン計画と陸軍省のトップの人々によって出来た。
@前に爆撃を受けていない都市(=焼夷弾と原爆の破壊力をはっきり示せる事)
A其処が軍事拠点である事。
 其処で、廣島・小倉・新潟が最初のリストから残され長崎がそのリストに加えられた。廣島には第二総軍司令部が置かれ、米軍の上陸に対する防衛を組織する事になっていた。また、三菱重工業※などの主要な軍需工場や巨大な陸軍軍需物資集積所を抱えていた。』 ※余談ですがオーム事件でもクローズアップされましたね(裕記)
 そして彼はこう言っています。
『第二次世界大戦を引起したことと戦争中に行った残虐行為について自らの責任を認めたドイツと違い、日本は米國の歴史学者の助けをえて、自分達は当時の状況の犠牲者であったという幻想をかたくなに主張しつづけている。今日、日本は自分達の行為を正当化する為に人種という切り札を巧みに使おうとしています―自分達は侵略という犯罪行為に携わっていたのではない。日本はただアジアの抑圧された人々を。白人の帝国主義から解放していたのだ、と。・・・・・・・・・
 私は核兵器の使用を祝うためにここに立っているのではありません。むしろ逆なのです。私は自分が行った作戦が、そのような作戦の最後のものである事を願っています。我々は1つの国として、核兵器の存在を憎むべきです。私は心から憎んでいます。・・・・・・・・・
 アメリカの人々が、戦争の終りについてすべての事実を吟味し、洗練された判断を下すだけの良い感覚と公正さ持ち合せる事を、信じています。これは大切な議論です。わが国の魂が―その本質である歴史が―危険にさらされているからです。』 という事で結んでいます。
 細川貴幸さんという若い闊達な青年と森首相の発言で議論した事があります、過去の懺悔ばかりでは未来は築けないということと近隣諸国に対する戦争犯罪の謝罪と行動などをです。 ゆうゆうさん、少しばかり答えになりましたか?・・・

★原爆投下理由は次ぎの3つが指摘されています(裕追記)
1)早く降伏させて、連合国軍(米軍)の犠牲を少なくしたい
2)独降伏後3ヶ月以内にソ連の対日参戦が決められていたので参戦前に原爆を投下して、戦後世界でソ連より優位につきたい
3)原爆を実践で使いその効果を測定したい

2001.3.20(火)  NHKテレビシーメンスをみて 投稿者:ゆうゆう
 ビデオで撮った先日の番組を少しみて、軍需産業の会社が存在することが戦争につながったと思います。この件では、アメリカの銃規制が全然進まないのを以前見たテレビ番組で思い出します。今の不景気が戦争につながらないことを祈ります。所で広島の裕さんは、なぜ、最初の原爆の投下に広島が選ばれたのでしょうか。

2000.12.15(金)  如何なる国の実験にも反対です
 米国が今年5回目の臨界前核実験を日本時間12月15日AM8:28にネバダ州の核実験場で実施したと発表しました。
1997年の臨界前核実験開始してから通算13回目の実験だそうです。今までこの実験について、この掲示板では抗議していませんでした。それは謝りだったと反省し、皆様と一緒に反対を表明することにしました。
『強く米国の臨界前核実験に反対する』


2000.10.15(日)  核兵器の全面的廃絶への道程
 日本政府は10月13日に国連ミレニアム総会の第1(軍事)委員会に核兵器廃絶への新決議案『核兵器の全面的廃絶への道程』を提出したそうです。
 5月NPT再検討会議での2005年までの核廃絶を展望する最終文書を採択を受けての事であるそうです。(また1994年から提出し続けていた「究極的核廃絶」に変わるものとしてであるそうだ) 核保有の国々は本気になるであろうか? いな、国家エゴが優先している!本気にさせる事がこれからの困難さの大きさを感じさせる。
 まず、今訪日中の中国・朱鎔基首相に働きかけたのであろうか?森首相は。政府開発援助(ODA)で中国の軍事力強化の手助けをしているのではないのか?過去の戦争責任は忘れてはならぬし・あるが、未来に向けての核廃絶に反する事ではないのかと充分な検討が必要である。
 今を考える事は大切であるが、未来ある子供達によきパートナーシップとしての日中関係を築き残さなくてはと思ったのでした。アジアの一員として、中・印・パの核廃絶、そして欧米の核廃絶に向かう道程を指し示す事が、被爆國日本の責任であろう、言葉では簡単に言えるが現実での障害は計り知れませんね。核廃絶の声を実現に向けて着実に根づかせる努力を皆でして行きましょう。

2000.08.19(土)  印・パの核廃棄を・・・
 森首相が8月19日より、印度・パキスタンを含む南西アジア歴訪するという。
私は、この両国に対して外交得点を得る為だけの安易な妥協をすべきで無いと考えます。両国とも貧困を抱えながら、核開発をして1988年5月に地下核実験を強行した国である。
 日本は両国に円借款等の経済援助をしてきた、貧困からの脱皮への手助けは当然であったと思うが、世界の願いを無視して核実験をした事実を真摯に捉えておかなければ成らない。しかし印・パの国民の大半は核実験を歓迎し賛成している事も知っている。ここに21世紀において核廃絶の道の遠さ、困難さを示していると思います。
 口先だけの「当面新たな核実験は実施しない」と表明すれば、森首相は経済解除をしようとしていると報道で知った。(米大統領がイスラエル首相・パレスチナ自治政府議長と試みている調停交渉が1つの例)印・パ両国の‘対話と核廃棄の実現’を話し合う機会を作り粘り強い説得こそが、日本の取る道と考える、場所は広島国際会議場にすればいい。日本の首相にその資格があると思う。第1歩として、ぜひに両国の対話の再開を渾身の言葉で訴え実現させる事こそ日本の役割なのではと思っています。それからはおのずと経済援助がついていくものと考えます。足元おぼつかない森首相で有ろうとも歴史に残るではないのかと思うがどうでしょうか?

2000.08.06(日)  自問
 15年来の知合いのKおばあちゃん、先日話してくれました。
戦後再婚した(今はなくなった)ご主人Kさんの事です。 当日は、兵役中でたまたま廣島から離れていたKさんでしたが。白島(爆心から900mくらいですか)で先妻、三男を原爆にあってなくした。 葬儀の時、原爆にあって顔の皮が剥けた妻見られる姿ではなかった。そして、その姿が焼き付いている長男は幼くして見た悲惨な母の姿そんな経験があったからであろうか?実母の事を決して語らなくなった との事です。
 それぞれに被爆した方々に深い痛みを与えているのでしょう。声を出して話さない方がたくさんいます。人の心へズカズカと入り込む事は出来ません。しかし、無念の思いを聞かねば解らぬ事が多くあるはずです。皆どうすれば 核のない21世紀 を創れるのか考えているのでしょうが、具体的な行動となると声なき人達は、? なのでは、既存の原水爆運動組織の限界なのでしょう?か。
 お前はどうなのかと問うているわたしでした・・・昨日平和公園近辺散歩した時に撮った資料館写真に差替えしました。

2000.08.05(土)  原爆の日 投稿者:ムーン
 こちらへも時々きて読ませてもらっています。
平和について語ることは簡単なようで実は一番難しいことなのではないかなと思っています。 一言では決して語れないと思うのですが明日の原爆の日を前に思うことは二度とあのような悲惨なことがこのわたしたちの地球上でおきて欲しくないということです。
 私は広島に住んでいながら原爆資料館へはまだ三度しか行った事がありません。できれば避けて通りたいとさえおもっています。それはあの悲惨な現状を見せられた時に自分の無力さを嫌というほど感じるからです。ただ祈ることしかできないという自分から逃げ出したくなってしまうのです。だけど自分は祈ることは出来るんだと気付いてから気持ちが少し楽になりました。明日もまたその日がやってきます。  平和への想いを込めて黙とうします。

2000.08.02(水)  8月になりました。
 20世紀最後の八月六日がまもなくやって来ます。
この欄をはじめるきっかけの「世界平和連帯都市市長会議」102カ国・地域、493都市のうち大半がその意義を忘れ、入っている事さえ忘れているとの報道がありました。
 4年に1回の総会と年2回の機関紙発行のほかは日常的活動がないとの事。まず会長の積極性が市民に通じていない。そう思っています。
ダメな人を批判しても始まらない。自分が何をしてきたかを自問すれば、何もしなかったが答えである。
 ただただ核なき平和を祈るだけでは核のない世界は来ない。平和研による学問として平和を追求する事も必要であろうが、色々な方法による核なき21世紀を作れるように少しずつでも考えて行きたい。

2000.07.04(火)  建築屋から
 建築屋の私から最近の少年等の犯罪を建築から見るという無謀な意見です。
個人主義の履違えがあるのではないか、と住宅(住空間)事情は私の少年時代から見ると劇的に変わっている。つまり、子供個々に個室が割り当てられるようになったと言う事です。
 その個室の中で何があり行われているか親は知らないという事件が度々有った。青春時代を奪われたあの少女の例を見るまでもない。 昔が良いと判断するわけには行かないが、卓袱台を中心に家族が身を寄せ合い、兄弟喧嘩をし、親に怒られた、あの住空間がなくなった。茶の間と言う空間(食堂、寝室にもなった)。
 先祖に手を合わせた仏壇を置く空間を無くした現代?住宅、教会に家族で行くという習慣がない日本では貴重な場所であったはず。人は必ず死ぬ からこそ 生を大切にしようという教育の場で合ったはずだ。
 私の家はどうか? 仏壇は有る。子供の部屋は有るが鍵はない。会話、それはないと女房はいう。男はペチャクチャ喋るものではないと私。親の背中を見て子は育つと思うのだが、違うと女房は言う。
 まあいい、茶の間に私が座る位置には私がいる限り子供は座らないから。2人とも就職である、自分の人生を歩んでくれればいい。女房の人生ではないのだから、ましてや私の人生ではないのだから。 住空間の変化が人の考えを変えてきていると思っている。そして携帯に向かう姿、パソコンに向かう姿。これもまた人を変えている。
 先日学校関係者のWさんに聞いた話「パソコン導入前の書籍購入費が年間1億から導入後6000万になった」事をこの事に付いては別の時に。うさぎ小屋であるわが家は・・・

2000.06.24(土)  嬉しかったです
 今晩は、貴幸皇帝さん。細川さんとしては、はじめましてですね。
 最近私は30年近く働いてきて今の私に育ててくれた会社にこれからの短い期間に何を与えて(残して)やれるかと考えています。確かにわが社においても法の裁きで有罪となった人物を出しています。今般とみに聞かれるようになったゼネコン根源悪説。100年以上続いたそんな会社でもつぶせばいいじゃないかと。否違うぞと。
 会社人間であった事に来年銀婚式を迎える女房にも言われています。私のような会社人間が今の世の中の悪の根源の1つであったと。 会社を離れたら友と呼べる人がいない事も知っています。近所付合いもせず近所の人の顔も知らず。会社のみの人生であった事をです。寂しい人生であったのだろうかと。否違うぞと。
 細川さんと言う我が息子世代の人と会社関係無く話せる事、本当に嬉しいわたしでした。  ありがとうでは、また。

2000.06.24(土)  読ませていただきました 投稿者:細川貴幸
 ご意見、素直にすばらしいと感じました。
今まで歴史の教科書・マスコミの報道などを少し目にした程度で表面的にしか理解していなかった自分を反省すべきだと感じました。
お母様が被爆なさったとのことですが、私の祖父もあの時広島にいたらしいです。でも数年前に亡き人となってしまい、もはや話を聞くこともできないのは非常に残念です。戦後30年以上たってから生まれた私は正に平和ボケもいいところで、社会の講師を目指している以上、平和について、核について、学ばなければいけない点、考えなくてはならない点が山ほどあると思います。

>表面上「平和」であるように見えても
>社会的な差別や不正義が存在する以上は「真の平和」(積極的平和)であるとは言えない
この言葉には同感です。特に部落差別には激しい怒りを覚えます。館主もおそらくこのようなテーマに関心があると思いますので、この‘我思う故に・・・’のことを伝えておきますね。

2000.05.24(水)   NPT最終文書採決
 NPT(核拡散防止条約再検討会議)2000年5月20日ニューヨークで会議が閉幕した。2005年までの核廃絶を展望する最終文書を採択して閉幕した。核保有国のエゴ丸出しの姿勢を打破る一応の成果を納めたといえるであろう。
「核廃絶は義務ではなく単なる究極的な目標である」という仏国の主張があった。兵器用核物質生産禁止(カットオフ)条約の開始に抵抗した中国があり。
あくまでも‘核兵器の廃絶は約束されたが、期限はついてない’妥協の産物と言う事も確りと受け止めなければならない。
核保有国は本気であろうか?と いな口先だけであろう!
本気にさせる事がこれからの困難さの大きさを感じさせる が、やって行かなくてはならない事を廣島市民は背負っているのであろう。力ない自分であるが、その思いを強くしたのである。思い と 行動 のギャップにもあせりも感じるが。意見は確りとある。

2000.04.23(日)   平和とは?
 自分の言葉で語ることの難しさを感じ辞書を引いてみた。 
広辞苑によると「@やすらかにやわらぐこと。おだやかで変わりのないこと。 A戦争がなくて世が安穏であること。」とある。
 平和に相当する英語peaceは、ラテン語paxを語源とし、協定の締結による戦争の不在を意味する。ここから外交的には戦争状態の終結を国家間の協定締結によって実現した状態を指すようになった。しかし、平和とは本来もっと豊かな意味内容をもち、文化や時代で違い同じ文化空間でもエリートといわれる人と民衆の間での違いも有る事に注意が要る。 日本人は中世以来法華経にある「現世安穏、後生善処」が根底に流れているそうだ。(ごしょうぜんしょ=来世には極楽や天界に生まれること)
平和学によると国際的・国内的な「構造的暴力」のない状態として広く捉えられているとのこと。(構造的暴力=1969年ノルウェー平和研究者J.ガルトングにより体系化された暴力概念)
暴力の行為主体が存在しない状態(消極的平和)であるだけでは「平和」の要件として不充分だと言う事であり表面上「平和」であるように見えても社会的な差別や不正義が存在する以上は「真の平和」(積極的平和)であるとは言えない。 さらにガルトングはこのように直接的・構造的暴力を文化的に正当化する働きを文化的暴力として位置付けた。つまり実際に行われる暴力行為や搾取を神や歴史の名において正しいと認めたり支持したりする事も広い意味で「暴力」と考える学問である。
 平和とを知ることから、自分自身で平和を考えるヒントにはなると思っていますが・・・・

2000.04.22(土)  他国の悪い所はよく見える
  核拡散をめぐる動き
@核不拡散条約(NPT)1968年調印 1970年発行。1995年NPT延長・再検討会議で無期限延長を(国連で)採決。
Aロンドン・ガイドライン(1978年合意、現在27カ国)先進原子力供給国による自発的原子力汎用品輸出規制体制。
Bミサイル関連技術輸出規制 MTCR(1987年合意、現在29カ国)
C包括的核実験禁止条約 CTBT 1996年9月賛成158反対3棄権5で採択。
1995年5月 中国 地下核実験を再開(1996年7月凍結)
1995年9月 フランス 南太平洋で地下核実験を再開(1996年1月凍結)
1997年7月 アメリカ 臨界前核実験を開始
1998年5月 印度、パキスタン 相次いで地下核実験
 他国の人権問題に介入する米国は、CTBTを1999年10月上院で批准否決をしている。2000年4月21日ロシア下院が批准承認(核5大国では、英国・フランスに続き三番目)国際的な核拡散防止に弾みがつくのだろうか?
 「米国は世界の安全保障に責任を持つ以上、核の選択肢を手放すべきでない」との米国特別論が根強いといわれていると報道で知っていますが。米国を説得する役割が日本にはあるのだが、核の傘に入っている現状ではCTBT批准を政府からでは説得すら出来ないでいるのであろうが、被爆地広島からは堂々と発言する必要があると私は思っています。心有る米国人に向かって1歩づつ。

2000.04.18(火)  チッキ思出した言葉
 チッキ、今日広島駅の裏側(新幹線口の外れ)を通りながらふと思い出しました、ここに‘チッキ’受付の窓口が有ったな〜と・・
広辞苑によると「cheeckの訛 旅客が旅行に必要な物品として乗車券を呈示して託送する手荷物。また、その引換証。国鉄では、1986年廃止。」とある。
宅配便という今のような便利な運送便がなかったころの、手に持っていけない布団袋などを預けたものです。
1972年仙台支店に転勤になった時にお世話になりました。駅から駅まで、持って行って取りに行く(それでも有りがたいものでした)ある時点でそれ以上に便利なシステムが出来てそれが廃止になり忘れ去られてしまった 言葉。
便利になりそれが当然の事のように思う状況、平和に成りそれが当然のように思っている 現在の状況。川の町・広島その川に水を求め何人の人が亡くなったか、私には解りませんし、見てもいませんが、無念の気持ちが有ったのでは と余り関係ない言葉から思った日でした。

2000.04.15(土)  老婆と競艇
 2000年4月15日宮島口方面へのJR電車に12時過ぎに乗っていた。通路を隔てた客席にスポーツ新聞を小さく折りたたみ鉛筆を走らせているひとりの老婆に目が止まった。良く見ると2つのスポーツ新聞の競艇欄を見比べ一心不乱に予想している姿を眺めてしまった。
この老婆も50余年前廣島で生活していたか?なとふと思った。老婆がひとりでしかもギャンブルを楽しむという場所ではないだろうにと、ボケない為の頭の体操でもなかろうにと。これから迎えるであろう老人と呼ばれる人生の終りを如何に迎えるか、自分自身をダブらせて見てしまった。心穏やかに人生を過ごしてこなかった事を。
4月16日は第60回皐月賞順当に収まるのかダイタクリーヴァでは?宮島競艇12Rオートザムハイドロ 北川頭で決まりか?
手元のスポニチを見ながら予想してしまいました・・・

2000.04.14(金)  広島からの声
 私は、自己紹介のページに書いているように、廣島生まれです。「戦争を知らない」(団塊世代の)子供達の中の一人です。
私のお袋は、米軍機エノラゲイ(機長ティベッツの母の娘時代の名から取った)より投下された原子爆弾により、広島駅裏で被爆しました。つまり私は被爆二世という事で此の世に生を得ました。
そんな事深く考えたことは余りなかったのです。が、人生の後半を迎えた今。平和について考えるようになりました。
 あと何年生きるかは、解りませんが平和の大切さを声に出していかなくてはと、思うようになりました。
テンフィート運動(米軍撮影の被爆フィルムを日本に10フィートづつ 買戻そう? と言う運動)の画像を見たとき(もう何年も前)の悲惨な状況フィルムに涙した時を、忙しさにかまけて忘れていました。 そのときの怒りが蘇えりました。
特定の組織、運動に組することなく 「声ある声」をと言う事で掲示板(※2007年迷惑メールならぬ書込みが多く廃止しました)を立ち上げました。あなたの声をお聞かせ下さい。(今後はメールでお願いいたします)

2000.04.13(木)  この「我も思う故に・・・」について
 昨日、2000年4月11日秋葉忠利広島市長が世界平和連帯都市市長会議を欠席するとの報道がありました。
被爆地の市長として平和の願いを世界に向けて訴えてもらいたかった。と私は思っています。
NPT再検討会議での核保有国のエゴ剥き出しの会議に悲観論が漂っている。とも言われています。しかし出席し発言する事が大切なのではと思います。広島のフラワーフェスティバルの日程と重なるなどと消極的なこと言わずに。
平和活動家ではない私ですが、平和の声を世界に広げなくてはと思っています。

今まで、何の行動・運動にも参加していませんが、発言して行かなくてはと思いこの‘我思う故に・・・’を開設しました。ぜひ皆さんの意見を寄せてください。




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