|
中区新天地の中央通り・歩道に建立されている「堀川町原爆慰霊碑(堀川町町民慰霊碑)」です。 |
資料によると慰霊対象者は、194柱とあります。(別資料では188柱としています)
爆心地から≒750mに位置しこの地(当時堀川町は、お名前さえわからず無縁となった方々は数え切れないほどであったと思われます。
台座の上のブロンズ像(彫刻家:坂手譲の作)は、被爆者の悲しみと苦しみを表しており、高く伸ばした手は、原爆が炸裂した爆心を指しているそうです。 |
正面: |
殺身以成仁
They sacrificed their lives to preserve their virtue complete! (Confucian
Analects) |
裏面: |
堀川町原爆慰霊碑 1957(昭和32)年8月6日建之 世話人(24名) |
|
 |
|
※ |
「無求生以害仁、有殺身以成仁」(論語の一節)
(生きることを望んで仁徳を壊すことはなく、自身の身を殺して仁徳を完成する)
孔子(前551-前479:儒教の祖)が「殺身以成仁(命を賭けて人の道を守る)」をする機会がなかったため、謙虚に云ったということだそうです。 |
|
2008年7月30日昼のNHKローカルニュースで堀川町の原爆慰霊碑が倒され破損との報道に接しました。 |
要約すると
『・・・広島東署によると、7月25日午前1時ごろ「石碑が倒れている」と通行人が交番に届けた。
歩道上に設置した石碑が台座から倒され、中央部分が縦15cm、横13cm欠けているのを署員が確認。直前に男数人が石碑に乗っていたとの目撃情報もある。慰霊碑は、昭和33(1958)年2月(碑文と違っていましたが)、原爆の犠牲になった住民185人(わたしが資料で知った数と違いましたが)を追悼するため町内会有志で建立。論語の一文を刻んでいる約85cmの石碑に人型ブロンズ像が載っている。』との事でした。 |
※ |
今回の事件報道で、わたしが調べていたものとの違いを知りました。 |
|
1)慰霊碑名称:(堀川町町民慰霊碑)堀川町原爆慰霊碑 2)慰霊対象者数:(194人)185人
3)建立:(1957年8月6日)1958年2月 |
|
|
2002年撮影してこの頁を編集しました。 |
※ |
交流ウォーク時に質問を受けました「指している位置は爆心地方向と違うのでは?」
こう答えました「若干方向性は違っているようにわたしも思いますが、爆心地から水平約750mくらいのこの地点ですが、上空約600mで原爆が炸裂したということから爆心を指していると解釈できるのではないのでしょうか」と。 |
|
2008年報道で、この慰霊碑が何者かによって倒され破損したことを知り撮影に行き、この頁にも画像を載せましたが、別頁で編集しました。(下段のリンク先からみていただければ幸いです) |
資料で彫刻家・坂手譲の作という事を知り、(わたしは)その事を像をみて確認することもなかったのです。
2011年11月女学院中高学校のゲーンズ先生胸像の作者はと思い見に行き「Y.SAKATE」のサインが刻まれていましたので、この像の作者「坂手譲」と思ったのです。近くに行った時に像をみてサインを確認しようと思ったのです。12月になって立ち寄ってみると、同じサインでしたので、確認できました。 |
2015年久しぶりに撮影しましたので、この頁を再編集しました。 |
15.04.13.再編集 02.10.15裕・記編集 |