しんとく
進徳高等女学校慰霊碑
  南区皆実町の進徳学園に建立されている「進徳高等女学校(職員生徒)慰霊碑」です。
  被爆当時、進徳高等女学校は南竹屋町(爆心地から≒1.400m)にあり全焼したそうです。
 * 資料によると、原爆犠牲職員11名、生徒374名、そして学園関係物故者2400名を合祀とのことです。
3年生約110人は袋町の中央電話局(爆心地から≒540m)に動員、電話の交換業務や事務についていた時
2年生は
鶴見橋付近の建物疎開作業への出動で校庭に集合しつつあった時に被爆したそうです。
  ※動員資料は広島平和記念資料館の資料を参考にしました。
碑正面: 波羅蜜多 
 碑裏面: 昭和三十四(1959)年八月(三日)建之  (建立者)進徳学園
波羅蜜多(はらみった)=波羅蜜
仏教、とくに大乗仏教の実践の根幹となる術語(≒学問・技術など専門分野で、特に限定された意味で用いられる語)
サンスクリット語およびパーリ語のパーラミターの音写。
原語はparamaは完全・最上を意味して、パーラミター「完成、極致」を表すが、漢訳者はパーラは他・彼岸(ひがん)、イは「行く」を表すから、これ全体を「到彼岸」「度」と訳す場合が多い。
大乗仏教は、布施(与える)、持戒(戒律を守る)、忍辱(耐え忍ぶ)、精進(努力修行)、禅定(精神集注)、智慧(般若ともいう)の六波羅蜜(ろっぱらみつ)を説く。
その際、布施には、施者、受者、施物にいっさいこだわらず、とらわれないのを、布施波羅蜜と称するように、かならず「空(くう)」思想によって裏づけられる。
悟りに至る為菩薩が行うべき実践修行の徳目
進徳学園略沿革
1908(明治41)年4月 進徳女学校材木町誓願寺で開校、 創立者:永井龍潤。
1909(明治42)年3月 千田町に移転。
1911(明治44)年3月 進徳実科高等女学校設立
1935(昭和10)年2月 進徳高等女学校と改称  1938年南竹屋町に移転
1945(昭和20)年8月6日 原爆により全焼(爆心地より≒1,400m)
1948(昭和23)年 進徳女子高等学校を設立
2002年訪ね撮影しましたのでこの頁を編集しました。
2007年ふたたび訪ね撮影しましたので、頁を更新しました。
2015年久しぶりに訪ね撮影しましたので、この頁を再編集しました。
15.09.28.再編集    02.11.05裕・編集
   関連頁:広島中央電話局鎮魂碑

02.10.25.撮影
 広島市南区皆実町1-1-58 進徳学園

02.10.25.撮影

02.10.25.撮

07.04.14.撮影

15.09.12.撮影

15.09.12.撮影

15.09.12.撮影

15.09.12.撮影

15.09.12.撮影



「原爆関連慰霊碑等巡り」編
「平和祈念碑等建立地一覧」編



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進徳高等女学校慰霊碑
学園創設者:永井龍潤像


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