(牛尾山正明院)明光寺薬師堂

  安佐北区深川に創建されている「牛尾山正明院(うしおざん しょうみょういん)明光寺薬師堂(みょうこうじやくしどう)」です。
※広島新四国八十八ヶ所霊場第23番霊場です。
明光寺薬師堂は、浄土真宗本願寺のお寺です。
本尊は阿弥陀如来、主尊は薬師瑠璃光如来です。
現在、浄土真宗本願寺派のお寺・明光寺に属していますが、「薬師寺」として建立された時は、真言宗のお寺という縁起から霊場の一宇とされているのでしょう。
深川薬師縁起                            執事謹白
-開基-
832(天長8)年久島家勝が「薬師寺」を建立しました。
主尊・薬師如来像は、弘法大師(774-835)が福王寺不動明王像の二番木をもって製作されたと伝えられています。
仁明天皇(54代:810-850)より835(承和2)年正明院という勅号を賜り古義真言宗仁和寺末寺として栄えました。

-修復-
1523(大永3)年毛利元就(1497-1571)、三吉隆亮、大内弘世(1325-1380)*の寄進によって大修復工事が施行され、永禄年間(1558-1570)毛利元就の祈願所となりました。
*説明板には大内弘世とありますが、年代が違いますので、大内義興(1477-1529)かその子大内義隆1(507-1551)ではと思います
-改宗-
1601(慶長6)年広島城主・福島正則(1561-1624)により領地(寺領では?)没収され、末光にかくれた住職・存秀は本願寺第12世准如(1577-1630)上人の化導によって、1658(寛文元)年2月4日浄土真宗に転派しました。
-保存-
(1619年)福島正則が広島を去るや存秀は、この地に帰り、浄土真宗の本堂・明光寺を建てましたが、祖先仏たる薬師如来像および堂宇を保存し、浅野家の援助と旧安佐郡内の支持により今日まで護持することができました
現在「薬師如来像が広島県重要文化財」「薬師堂が広島市重要文化財」にしてされています。
明光寺薬師堂(建物)は、広島市重要有形文化財に1986(昭和61)年3月25日指定されています。
『薬師堂は、経年の傷みが激しかったため1993(平成5)年に保存修理がおこなわれました。
須弥壇の下に墨書が見つかり、建物の創建が1539(天文8)年であることが判明しました。
さらに、1763(宝暦13)年と1823(文政6)年の二度にわたって大きな修理が実施されたことが、墨書により明らかになりました。また、この薬師堂も、上層茅葺、下層柿(こけら)であったものが、上下層とも瓦葺きに改められていました。そして、正面入口が本格的な禅宗様の扉から一般的な板の扉に、また両脇の入り口の位置も改められていました。その上、間柱も追加されていました。
この宝暦と文政年間に行われた改造により、外観は江戸時代の建物の雰囲気をかもしだしていましたが、1993(平成5)年の修理では可能な限り創建された時代である室町時代の姿に復元されました。』と広島市の資料が紹介しています。
主尊・木造薬師如来坐像は、広島県重要文化財に1971(昭和46)年4月30日に指定されています。
寺伝では弘法大師の作と伝わっていますが、広島県教育委員会の資料によると
『室町時代中期(15世紀)の作で、肩より腹にかかる肩衣にはかすかな飜波(ほんぱ)式の彫法の痕が見え、体内には寄木を支える組み木がうかがえます。寄木を継ぐには、彫木の表面には荒目の麻布をはり、その上に黒漆を塗り、そして金箔をおくという本格的な手法がうかがわれます・更に差こみになっている左手首の柄には、時代を語る手斧(ちょうな)の削り痕が残っています。』と解説しています。
法量総丈270cm、膝張237cm、肩張145cm、顔面長93cm、顔面横52cm、右手幅29cmという主像は堂に鍵がかかっており(わたしは)拝見することは出来ませんでした。
縁起板をみると薬師寺として建立され、のちに明光寺が創建されたと云う歴史からか、明光寺薬師堂が第23番霊場になったのだろうなと(わたしは)思いました。
広島新四国八十八ヶ所霊場の第23番は、明光寺薬師堂ということですので、明光寺とは別に明光寺薬師堂のこの頁を編集しました。
13.12.04.裕・記編集

13.10.20.撮影
広島市安佐北区深川5-24-14    (薬師堂 と 本堂)

13.10.20.撮影

13.10.20.撮影

13.10.20.撮影



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