(安芸高田市)消火栓のマンホール蓋

  安芸高田市甲田町でみた安芸高田市の消火栓の蓋を取り上げました。
安芸高田市の公開資料によると、市章選定については
2004(平成16)年3月1日高田郡の吉田町、八千代町、美土里町、高宮町、甲田町、向原町の六町が合併し安芸高田市となりました。「人 輝く・安芸高田」のスローガンのもと、市章のデザインを応募し、2,221点の作品の中から「安芸高田市」に最もふさわしい市章を選びました。』ということだそうです。
デザインについては『
「安芸高田市」の「高」を図案化し、下部の円は「人々と自然」・「信頼と協働」を意味し、人々と自然が融和・調和しながら市が円満に発展するようにとの願いを表現したものです。市章全体は人間の姿を思わせるものとし、次代へ躍進する安芸高田市民を表しています。』と説明しています。
市章をみた時わたしは、安芸高田市の“高”という字と、旧・吉田町が生んだ中国地方最大最強の戦国武将・毛利元就(1497-1571)の“冑(かぶと)”をイメージしたものかなと思ったのですが、(上記のように)違っていました。
旧吉田町、旧美土里町、旧向原町のマンホール蓋などをみていましたが、安芸高田市の市章が鋳込まれたマンホール蓋を(わたしは)みていませんでした。
JR吉田口駅を撮影した時、駅近くで、消火栓の蓋でしたが、安芸高田市の市章と思ったマークが入ったマンホール蓋をみたので、撮影しました。
次の日お隣のJR甲立駅付近でみた消火栓の蓋はどこか違っているかなと思って撮影しました。甲立駅付近の方は黒色塗装が残っているので違った印象をもったのだったと、この頁を編集する時に思いました。同じマンホール蓋ですが、両方ともこの頁に掲載しました。
24/06.11.更新  14.02.11.裕・記編集
安芸高田市市章が」鋳込まれた消火栓マンホール蓋
芸備線の駅舎を撮影していた2013年吉田口駅で次の列車を待ちながら付うろついた時にみた消火栓用万ほーれう蓋をみたので撮影しました。
次の日、神立駅付近でみた安芸高田市市章が鋳込まれたマンホール蓋をみたのですがこれは吉田口でみたふたと同じでしたが、摩耗していなかったので撮影したのです。

13.10.19.撮影

13.10.20.撮影
安芸高田市甲田町下小原240 JR吉田口駅付近 広島県安芸高田市甲田町高田原1994 JR甲立駅付近 
サンフレレ森崎兄弟足形マンホール蓋
新聞報道によると
『サンフレッチェ広島の双子選手として活躍し、3度のJ1優勝に貢献した森崎和幸さん、弟の浩司さんの足形をかたどった二つのマンホール蓋が2020年11月26日、安芸高田市吉田町の道の駅「三矢の里あきたかた」に設置されました。
チームカラーの紫のボール上に2人のサインが入っています。
サンフレはトップ、ユースチームの練習拠点が安芸高田市吉田町にあり、ユースから所属した2人には縁があり、和幸さんは「第二の故郷に設置もらえるのは光栄です。」、浩司さんも「たくさんの方にしっかりと踏んで頂きたい。」と語りました。
マンホール蓋は、友鉄工業(安佐北区)が製造。見学者たちが足形の上に乗ることを想定し、摩耗軽減やサビ止めとして亜鉛めっきを施ししたそうです。
2人が立ち会い、2020年4月道の駅の開業に合わせて設置する予定だった。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大などを受けて開業が6月に延期になり、お披露目式は11月26日に開かれましたた。
サンフレと友鉄からマンホール蓋を寄贈された安芸高田市の石丸伸二(吉田町出身:1982-  )市長(2020.8.9-20246.9)は「サンフレッチェと安芸高田の固くて丈夫な絆を形にして頂きました。」と喜んだ』そうです。
森ア 和幸(もりさき かずゆき:1981-   )兄 森ア 浩司(もりさき こうじ:1981-   )弟
安芸区出身:矢野中学。(ユースへ入団)吉田高校。
現役:1999-2018。ミッドフィールダー。
足サイズ:27.5cm、利き足:右。
現在:サンフレ.クラブリレーションズマネージャー
安芸区出身:矢野中学。(ユースへ入団)吉田高校
現役:2000-2016。ミッドフィールダー。
足サイズ:27.5cm、利き足:左。
現在:サンフレ.アンバサダー

23.06.10.撮影

23.06.10.撮影
安芸高田市吉田町山手1059-1 道の駅 三矢の里あきたかた 



「マンホール蓋」編



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JR吉田口駅
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安芸高田市マンホール蓋



「安芸高田市」編


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