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南区比治山公園に建立されている「忠魂墓碑」です。
※1949(昭和24)年にこの忠魂墓碑へ遺骨が改葬され、
1960(昭和35)年に忠魂墓碑から、現在の陸軍墓地に改葬されました。 |
資料を見ているときに、ここ比治山にあった戦前の陸軍墓地(今は当時の墓地より大幅に縮小されています)は、(高射砲陣地構築の為と云われているようですが)1944(昭和19)年に個人墓石を取り除いたとあります。
その時に合同墓碑を建立したとありますので、この忠魂墓碑ではないかと碑銘からも想像できるのです。
しかし、碑の回りをみたのですが、建立年代などをわたしは見つけることができませんでしたので確かなことはわかりませんでしたが、上記のようなことがわかりました。 |
2004年比治山公園を訪ねた時にこの「忠魂墓碑」をみたので撮影しこの頁を編集しました。
忠魂碑は、戦死者を記念・祈念する石碑。日露戦争後、全国に広がったといわれていますが、この地に建立されたものではなく、おそらくこの忠魂墓碑がもともと何処に建立されたのではと、想像しているのです。
この比治山公園にいつ何処移設されたかはいまのわたしにはわかりませんでした。
2008年、資料を見ていて上記の想像は間違っていたのではないかと思いますので、追記し、更新しました。 |
2015年(被爆70年)久しぶりに訪ね頭を垂れました。
この忠魂墓碑前の献花用石壷をみると“御仏前献花”と彫られていましたので、ここに納められている戦死された方々は(神さまや軍神ではなく)仏さまになられたのだと思ったのです。 |
陸軍墓地の入口礼拝堂が解体され、2019年3月新しいエントランススペースが造られました。
その中の陸軍墓地の説明板に、上記のようにABCCを造るとき、その地にあった墓地の遺骨をこの忠魂墓碑に移しお祀りしたが、いまの陸軍墓地が整備された1960(昭和35)年に遺骨をこの忠魂墓碑から(再び)移したことがわかりましたので、加筆しました。 |
19.05.28更新 04.07.20裕・編集 |