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南区比治山公園(という住所)に公園として整備設置されている「比治山公園」です。
※国土交通省の資料によると公園面積は261,467uもある総合公園だそうです。 |
比治山公園には見るところが多くあります。
観覧料を払って広島現代美術館(開館10:00〜17:00)で作品を見るのもいいのでしょうし、野外に展示され無料で鑑賞できる作品も多数あります。〔2020年12月から休館中。2023年3月18日リニュアルオープン予定〕
陸軍墓地もありほかにも歴史的遺跡もあります。
漫画好きならまんが図書館もありますから、お勧めの公園です。 |
比治山は、昔は広島湾に浮かぶ島でしたが、太田川が運ぶ土砂で埋め立てられていきました。
また、比治山は、その姿が臥している虎のようだから臥虎山(がこざん)とか、虎山(とらやま)と云われていたそうで、肱山(ひじやま)、秘地山と書かれたものもあるそうです。
現在、比治山と云われていますが、標高およそ70mですので、小高い丘と云ってもいいのではと(わたしは)思っています。
ぶらり散歩するたびに(わたしは)いろいろな発見をするのです。
比治山に貝塚があったこと、1965(昭和40)年土砂崩れで七人の犠牲者を出したことなどまだまだ知らなかったことがたくさんあるように思っています。 |
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知新集に、比治山についての記述があります。
『御建山なり、廻り二十四丁(≒2,598m)高十七間(≒30.9m)此山比治山というが段原村の内にあり比治山村に渡ってはいません、比治山というのは此所に比治何某というものが住んでいたので名がついたといわれていますが、そのよりどころは何もなく土地の人の伝聞か、竊に謂われているのはこの山が横へ長くその形が肱を横たえるようなことから名がついたとも』という記述がありますので、少なくとも知新集の編集がはじまったといわれる1814(文化11)年ころには、臥虎山(がこざん)とは呼ばれていなかったと(わたしは)思っています。 |
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1872(明治5)年陸軍が陸軍墓地の整備を決定。1898(明治31)年比治山は江波山とともに都市公園として整備することが許可され、そのころから比治山公園と呼ばれるようになりました。
1908(明治41)年から広島市が整備しだした公園です。 |
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比治山公園にある広島市現代美術館などには訪れているのですが、2004年の交流ウォークのように弁当持参でいろいろな処を観て回りながらぶらり散歩したことがなかったわたしでした。 |
2008年11月交流ウォークの時に‘彫刻の丘’の「ねじられた錆の柱」が無くなっている事に気が付きました。強風などで倒壊して作品が壊れたのかなと思いましたが良くわかりませんでした。
今(2011)年3月中國新聞にここ比治山の‘彫刻の丘’に野田正明作:疾風フラッシュバックが建立された事を知りましたので7月になりましたが撮影に行きました。 |
2015年久しぶりにぶらり散歩しました。現代美術館北端に岡本敦生作の野外彫刻がある事を知り、御便殿跡広場にひっそり建つ御大典記念石燈籠があることも知りました。また、2本あった鉄塔が1本になってから撮影していませんでした。そして、御便殿広場前に新しい地図が設置されていましたので、この頁を更新しました。 |
20.02.08.更新 07.07.28再編集 04.07.20裕・記編集 |