(広瀬神社の)被爆した石造物

  中区広瀬町の廣瀬神社に残る被爆した石造物「被爆狛犬、被爆燈籠、被爆した記念碑」などを取り上げました。
資料によると、うっそうとしていた広瀬神社の社叢は原爆で焼失しましたが、(被爆の跡が残る)狛犬、石燈籠などが残されているとあります。
爆心地から≒930m
2004年9月交流ウォークで訪れた広瀬神社、参道の狛犬がひどく痛んでいるなと、思ったのです。
被爆後59年の月日を重く感じた交流ウォーク時でした、改めて(10月21日)訪れ撮影したのがこの頁です。資料(ヒロシマの被爆建造物は語る)の1945年8月末という写真と照らし合わせながらこの頁を編集しました。
07.03.25更新     04.11.22裕・記編集

04.10.21.撮影

04.10.21.撮影
狛犬 土台(礎石)のひびの現状
広島市中区広瀬町1-19 廣瀬神社

04.10.21.撮影

04.10.21.撮影

04.10.21.撮影

04.10.21.撮影
石灯篭 安政六(1859)年五月吉日

04.10.21.撮影

04.10.21.撮影

04.10.21.撮影

04.10.21.撮影
(昭和天皇)御大典記念の碑 御翠簾奉納  昭和三(1928)年十一月

06.09.15.撮影

06.09.15.撮影

06.09.15.撮影
御銀婚式記念
陸軍中将田部正壮書
裏面:神馬奉納名
側面:発起者
大正14(1925)年5月10日

06.09.15.撮影

06.09.15.撮影
従一位勲一等侯爵浅野長勲閣下題字   修理記念碑 社殿修理、社務所改築、玉垣新設
たいしょうてんのう
大正天皇
(1879-1926)
第123代天皇(在位 1912-1926)。名は嘉仁(よしひと)。明治天皇の第三皇子。
1900(明治33)年5月10日九條節子(15歳)と結婚。1912(大正元)年7月30日明治天皇死去し、皇位を継承、大正と改元。1915(大正4)年即位の大礼。1921(大正10)年以後、裕仁(ひろひと)親王を摂政として政務を執らせた。
田部正壮
(1849-1939)
十二代広島市長、1917(大正6)年10月-1921(大正10)年10月
安芸国出身。大阪陸軍兵学寮(陸軍士官学校の前身)。1907(明治40)年陸軍中将。広島市長。



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(広瀬神社の)被爆した石造物
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