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南区西本浦町に鎮座している「邇保姫神社」です。
※邇保姫神社本殿・拝殿は、1945(昭和20)年8月6日爆心地から3,620mで被爆した建物です(でした)。
※2007年9月27日出火し本殿・拝殿などを焼失してしまいました。(再建の本殿などは別頁で編集) |
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祭神 : 邇保都比売神(にほつひめのかみ)
相殿神:帯中津日子神(仲哀天皇)、息長帯日売神(神功皇后)、品陀和氣神(應神天皇) |
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神功皇后が三韓出兵を終え、お帰えりの途中この所に一夜ご宿陣になり霊験を頂いた邇保都比売神を鎮祭報賽され鎮護綏撫の神祐を祈られ翌日出発の際邪気祓いのため白羽の矢を放たれたところこの山に矢が止まったので矢を納めて島の鎮守とした。仁和元(885)年8月上旬宇佐八幡宮を勧請し正八幡宮と称した。
正應元(1288)年三浦公より社領三十石を賜ったが、慶長年間福島正則公の時、悉く召上げられた。社殿は文暦二(1235)年に再建、さらに現在の本殿は享保年間(1716〜1736)の再建といわれる。旧村社。 |
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現在の本殿、拝殿竣工は享保年間(1716-1736)に建てられました。
爆心地より≒3,620m (被爆当時町名:仁保町) |
2004年交流ウォークで(わたしは)はじめて訪ね、参拝しました。 |
2007年9月27日朝ラジオを聞いていたら邇保姫神社9月27日午前1時半ころ出火、(市消防局は消防車など16台を出動させたが)本殿や社務所などを焼失(全焼)したそうです。
爆心地から≒3,620mで被爆した貴重な被爆建物でもありますので驚き、実に残念に思っています。 |
11.01.22再編集 04.12.30裕・記編集 |
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