(南区丹那町)倉田百三文學碑

  南区丹那町の穴神社近くに建立されている「倉田百三文学碑」です。
倉田百三は、明治二十四(1891)年庄原市で生まれ、大正から昭和にかけて活躍した有名な文学者です。
代表作である『出家とその弟子』は、大正五(1916)年から書き始めましたが、同年十一月、医師の勧めで静かな漁村であった丹那の民家(この隣にあった谷口花松氏宅二階)に身を寄せ、八ヵ月の療養中に病気と闘いながら著作した作品で、二十五歳の時完成させました。この作品は当時ベストセラーとなり翻訳されてフランスの文豪ロマン・ロラン※も絶賛しました。
この碑は、この世界的な名作が百三ゆかりの地、丹那で生まれたことを記念し、後世に伝え残すために建立しました
倉田百三(くらた ひゃくぞう:1891-1943)
大正〜昭和初期の劇作家、評論家。広島県(庄原市)出身。一高中退(結核を患い)。
一高在学中に西田幾太郎(哲学者1870-1945)の影響を受ける。
1917(大正6)年戯曲「出家とその弟子」により求道的な文学者として出発。1921(大正10)年評論集「愛と認識との出発」を発表当時の青年の必読書となる。
1926(大正15)年「生活者」を創刊、主宰。白樺派と交流を深め社会問題に関心を寄せたが、晩年は超国家主義に傾いた。戯曲「俊寛」など.。
    ロマン・ロラン [Romain Rolland] (1866-1944)
仏の小説家・劇作家・思想家。
平和主義者・ヒューマニストとして戦争・ファシズムとたたかった。長編「ジャン=クリストフ」「魅せられた魂」、戯曲「愛と死の戯れ」、伝記「ベートーベン」「ミケランジェロ」、エッセー「戦乱を超えて」、1915年度のノーベル文学賞受賞
作品を読んだこともない文学に疎いわたしですが、名前だけは知っていました。
しかし広島県庄原市の人であったことをわたしは(この碑で知りました。
2004年交流ウォークで立寄りましたので撮影してこの頁を編集しました。
資料で、棲んでいた家の写真をみましたので、近くに来た時に探したのですが、無かったと交流ウォークの増田先生に話したら、既に解体されているということでした。
2012年中央図書館の展示資料にありましたので撮影し、この頁を更新しました。
12.05.18更新   04.12.26裕・記編集

04.12.11撮影
広島市南区丹那町23 (穴神社の北隣)

04.12.11撮影
「出家とその弟子」 完成の地

04.12.11撮影

12.04.13.中央図書館展示資料を撮影
1916(大正5)年(写真の)土蔵の2階に住んでいたそうです    写真は川上雅之さん提供



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