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西区草津本町の西楽寺に建立されている「雪見山之墓」です。 |
正面: |
雪見山之墓 |
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裏面: |
万延二年酉十月廿一日 阪井川久太郎建之 |
※万延2年=1861年 |
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西楽寺墓苑に、草津村出身の相撲取り雪見山の墓が建立されています。 |
江戸相撲の幕内力士越ノ海勇蔵が、広島草津村出身であることははっきりしているそうですが、その墓(供養墓)や子孫などについての伝承がないそうです。
ところが、ここで取り上げた雪見山は、越ノ海と同一人物だったのではといわれているそうです。
文政6(1823)年大阪相撲で越ノ海は雪見山弦五郎と改名。天保2(1831)年京都相撲番付に越ノ海が待乳山鶴五郎と改名ともあるそうです。
当時の力士はお抱えの人物によって改名が付きものだった?ようですので、越ノ海と雪見山が同一人物だったのだろうと推測しているということだそうです。 |
2008年交流ウォーク時、ここ西楽寺に藤井家のお墓があるという藤井先生に、「小林五郎左衛門の墓」とこの「雪見山の墓」があることを教えていただいたのですが、雪見山については、草津村出身の相撲取り雪見山の墓であることはわかりますが、雪見山についてはよくわからないということでしたので、撮影のまま頁を編集していませんでした。
広島ぶらり散歩「草津付近」編を見直している時、上記のような事を教えていただきましたが、江戸末期の江戸相撲幕内力士だったようだということしかわかりませんが、この頁を編集しました。 |
12.03.12裕・記編集 |