(広島市)京橋会館説明板

  広島市南区京橋町に建てられていた「京橋会館説明板」を取り上げました。
※2011年年末に解体され、跡地には“フロンテージ広島”が建てられましたが、その前の公園に“京橋会館の説明板”が設置されました。
京橋会館について、〔説明文:広島大学大学院教授杉本俊多(西洋・近代史専攻:1950-  )〕
『大きなロの字形をなして設計された。鉄筋コンクリート造四階建てのモダニズム建築で、被爆都市・広島市の復興を象徴する、新しいタイプの協同住宅でした。コンクリート造の共同住宅は20世紀初期のヨーロッパで大衆民主主義社会の建築として普及し始めました。
日本では、第二次世界大戦後の戦後復興に際し、全国に登場しましたが、京橋会館もその斬新な姿を見せていました。それは、直線的で幾何学的な輪郭、無駄な装飾を排除したコンクリート造の白い壁」、整然と並ぶ大きなガラス窓の列など、機能的なモダニズム建築のスタイルそのものでした。これに和の伝統が取り込まれ、独特の木造軸組みのような外観デザインが加えられていました。また、室内には畳敷きの和室を含むコンパクトな間取りが考案されていました。
屋上には空に開けた共同洗い場があり、またロの字形の中庭は四層の廊下で囲まれ、子どもたちの声が響きあうふれあいの空間となっていて、新しい時代のコミュニティ像を教えるものでもありました。』
沿革
1950(昭和25)年~1951(昭和26)年
都市計画道路駅前吉島線上にあった商店約40戸の権利者で京橋商店街協同組合を設立し、現在地に店舗付き住宅及び共同住宅の建設を計画したが、資金難やその他の事情により、工事が中断しました。
1953(昭和28)年2月
広島県、広島市、住宅金融公庫及び広島県住宅供給公社で、再建について協議、広島県住宅供給公社が公庫融資などを受けて京橋会館を建設する。
公庫融資金の償還後、建物を広島市に無償譲渡することになりました。
1954(昭和29)年11月
京橋会館竣工
総戸数102戸〔住宅68戸、住宅付き店舗25戸、店舗0戸〕
1990(平成2)年4月
広島県住宅供給公社から広島市へ建物の無償譲渡。
2011(平成23)年11月
京橋町地区第一種市街地再開発事業により解体。
2022年まだコロナ禍が終息していない中、わが家から菩提寺・源光院に行くのに、わが家からバスで広島駅まで乗り、降りてここフロンテージ広島前の公園を通った時、ここで取り上げた説明板に目が留まりました。
京橋会館の頁は、解体が話題に上っている2008年に撮影し頁を編集していましたが、この説明板には、わたしが撮影できなかった内部画像や屋上画像などがありましたので、撮影してこの頁を編集することにしたのです。
  23.09.10.裕・編集

22.08.13.撮影
 広島市南区京橋町6-1 フロンテージ広島前公園

22.08.13.撮影
(道路沿いに設置の)説明板 
説明板にある写真を使用しています

22.08.13.撮影
(ロの字形がわかる構図)

22.08.13.撮影
(直線的で幾何学的な輪郭) 

22.08.13.撮影
(中庭)

22.08.13.撮影
(外廊下から中庭を望む)

22.08.13.撮影
屋上の共同洗い場、室内のたたみ敷きの部屋
階段

22.08.13.撮影
説明板を撮影後源光院の方に行く途中撮影

22.08.13.撮影
 京橋会館後に建った“フロンテージ広島”の全体像を撮影
地図は広島市都市整備局 住宅部・京橋会館資料を使用しました



「建物など」編



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