財団法人 原爆被害者福祉センター広島平和会館

  中区大手町に建てられている「原爆被害者福祉センター広島平和会館」です。
(通称)広島平和会館は、1956(昭和31)年財団法人広島県被爆者団体連絡協議会が設立され、1959(昭和34)年世界中からの募金によって広島平和会館が大手町に建てられました。その後、1985(昭和60)年に中島町に移転し、2004(平成16)年1月に現在地に再度移転しました。
広島平和会館での活動は、日本原水爆被害者団体協議会に所属する、広島・長崎で原爆の被害を受けた被害者の生存者の活動です。
活動目標の2本柱は、「核兵器の廃絶」と「国家補償による援護法の確立」とされています。
他に、日本国政府や国際連合、諸国政府への要請行動や被爆者の相談、援護活動などで、語り部として被爆体験を継承する活動も各地で行っています。また、繰り返し行われている「核実験」「臨界前核実験」などのたびに平和記念公園・原爆死没者慰霊碑前での抗議の座り込みをおこなっています。
被団協への参加者は当初、被爆者に限られていましたが、結成後50年目頃より被爆2世の参加が始まり、現在では有識者で関心のある方の参加も認められるようになっています。
被爆者の多くはすでに高齢で、身体を思うように動かすことのできない役員も多く、役員の高齢化に伴い、会館の維持・運営に携わる世代が必ずしも被爆者ではなくなることで、被爆体験のリアリティが薄れていくことも危惧されています。このような役員の高齢化による後継者不足が問題視され、後継者の養成などの対応が必要とされています。
交流ウォークのコースで云えば、(被爆ソテツがある)長遠寺から(加藤友三郎生誕の地碑がある)大手町第二公園から本逕寺へと行きますので、この(通称)平和会館の前は通らないので撮影したことがありませんでした。また、わたしが勤め人だった時、この前の道路を歩いて通ることはたびたびありましたが、当時は(通称)平和会館は中島町にある時代で、この新しくなった建物を撮影することもありませんでしたので今回撮影しました。原爆被害者福祉センター広島平和会館の資料を参考にこの頁を編集しました
12.05.07裕・記編集

11.08.30.撮影
広島市中区大手町3-13-25

11.08.30.撮影

11.08.30.撮影

11.08.30.撮影



「無知からはじめた豆知識集」編


「建物」編



広島ぶらり散歩へ
被爆者の森・全般をみる
日本原水爆被害者団体協議会略史

(財)原爆被害者福祉センター広島平和会館



inserted by FC2 system