(被爆建物)段原中学校旧東校舎・説明板

  南区段原の段原山崎第2公園内に建立されている「段原中学校旧東校舎・説明板」です。
2008年旧段原中学校を訪ね、(被爆した)東校舎を撮影し、別頁で編集しています。
      段原中学校旧東校舎           爆心地より≒2,640m
段原中学校の旧東校舎1階部分は、1932(昭和7)年3月に広島市第一高等小学校の校舎としてこの地に建設され、当時としては数少ない鉄筋コンクリート造の校舎でした。
1941(昭和16)年4月に広島市第一国民学校と改称し、
1945(昭和20)年8月6日原爆投下時には爆風による窓枠や窓ガラスの破壊はあるものの倒壊を免れ、被災者の臨時救護所になりました。
臨時救護所の解散後、1949(昭和24)年4月広島市立段原中学校と改称し、旧東校舎は、三度の増築により2階建てとなりました。以降、教育活動を支える学びの場として使用されました。
2011(平成23)年4月段原中学校は段原地区の区画整理事業により、この地から約500mの南区霞一丁目へ移転しました。
多くの人々に戦争や核兵器の悲惨さを訴え続けるため、段原中学校跡地に整備された段原山崎第二公園に、被爆した旧東校舎の1階外壁のほんの一部を、旧校舎の正門柱とともに保存します。
時は2021年になりましたが、この地に移設された第一国民学校・原爆被災説明板を撮影するために訪ねました。そこでこの公園が、段原中学校跡地で、段原山崎第二公園ということを知りました。
見ると原爆被災説明板とこの地にあった(解体時・段原中学校)被爆時・第一国民学校の説明板が設置され、後側には被爆した東校舎の一部が切り取られ設置展示されていました。
ここでは、段原中学校旧東校舎・説明板を取り上げています。
22.02.20.裕・記編集

21.07.21.撮影
広島市南区段原山崎2-6 (段原山崎第二公園)

21.07.21.撮影
段原中学校旧東校舎・説明板        段原中学校の門柱

21.07.21.撮影
段原中学校旧東校舎・説明板
写真提供:岡田睦雄さん〔撮影日は不明ですが2008年以降〕

21.07.21.撮影

21.07.21.撮影
 
解体前の東校舎を2008年撮影しました

08.01.29.撮影
東校舎は2階が増築されています(被爆当時は平屋)

08.01.29.撮影
東校舎、東側外壁の窓下の部分が保存展示されています



「その他」編
学校関連記念碑など



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段原山崎第二公園
  第一国民学校・原爆被災説明板-移設後-
  段原再開発事業・東部地区完成記念碑
  (被爆建物)段原中学校旧東校舎・説明板
(被爆した)第一国民学校・東校舎-解体消滅-


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