右四日市・左竹原:道標

  東広島市西条上市町に設置されている「(四日市・竹原分れ)道標」です。
右 四日市 
左 竹原
-四日市宿とは-
[現在地名]東広島市西条町西条・西条本町。
近世山陽道(西国街道)の宿駅。
"芸藩通志”に「館庁あり、伝馬十五匹を置く、逓送東は豊田郡本郷駅に至る、六里、西は安芸郡海田駅に至る、五里半、里程長くして東西とも坂路あり」とあり、東の助実(すけざね)から教善寺門前を経て、半尾(はんのお)川を渡って西条東へ至る道沿いに市町が発達。天正十五(1587)年三月十五日豊臣秀吉(1537-1598)が四日市で泊まっています(九州御動座記)が、「国郡志下調書出帳」に慶長(1596〜1615)以前の往還は四日市を通らず、下三永村から御園宇村江熊(えぐま)峠を経て寺家村に入るという南寄りの道であったとあり、「芸藩通志」に「四日市は天正年中に分て市駅とす」とあるように、四日市経由の道は近世になってからのものと思われます。
-賀茂郡西条町略沿革-
1889(明治22)年4月1日町村制の施行により、後日の西条町域には以下の各村が発足。
  四日市次郎丸村(単独村制)
  吉土実村(=助実村+土与丸村+吉行村)
  御薗宇村(単独村制)
  下見村(単独村制)
  寺西村(=寺家村+西条東村)
1890(明治23)年10月1日四日市次郎丸村が町制施行・改称して西条町となる。
1939(昭和14)年)7月1日西条町+吉土実村+御薗宇村+下見村+寺西村=新しい西条町発足。
2004年この道標をみた時(わたしは)何だろうと思ったのです。
その時近くにおられた方が、ここ西条町は昔四日市宿と呼ばれていたのですよ教えてくださいました。
2004年訪ねた時に比べ2009年にどれほどの知識が増えたかは怪しくはあるのですが、この道標がこの地に建てられたものではなかったと思うことはできますが、具体的にどこに建てられたかは(いまのわたしには)わかりません。しかし「道標など}編を編集している現在、「旧県立醸造支場」の頁から独立した頁にしなくてはと思いこの頁を編集しました。
2023年久しぶりに訪ねてあるかなとみたこの道標でした。
考えてみれば、道標がこの旧県立醸造支場の建物の前に建立されるわけではなく、街道沿いに建てられていたのを道標の役割が亡くなっていき時代にこの場所へ移設され、保存されたのだろうと思ったのです。
この建物の近くで、表を通る旧西国街道のどのあたりかなと考えてみましたが(わたしには)わかりませんでした。
23.05.25更新   10.02.02裕・編集

09.11.28撮影
東広島市西条上市町2-4

09.11.28撮影

09.11.28撮影

09.11.28撮影

23.05.14.撮影
東広島市西条上市町2-4 旧県立醸造支場前

23.05.14.撮影

23.05.14.撮影
左 竹原 右 四日市



「道標など」編



広島ぶらり散歩へ
旧県立醸造支場
  林万寿人作:橋爪陽胸像
  右四日市・左竹原:道標
  次郎丸井戸
  設計者:豊田勉之
  酒蓋コレクション


「東広島市」編


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