|
東広島市志和町七条椛坂に建てられている「鳳生山・西蓮寺」です。 |
西蓮寺は、浄土真宗本願寺派(西本願寺)のお寺です。
位置:七條椛坂字宮迫
縁起:人皇102代後花園天皇(1419-1470)の御宇長禄9(1465)年*僧・浄西の開基です。浄西は沼田郡(現在:安佐南区)銀山の故城主武田氏の族・石津孫左衛門義光の法号です。はじめは真言宗でしたが後数世を経て人皇106代正親町天皇(1517-1593)の御宇永禄2(1559)年に真宗に改宗しました。明治維新の際には本堂が暫時神機隊の営舎に充てられた事があります。明治31(1898)年回禄の災に罹り本門及び経蔵を除く外堂宇悉く烏有に帰しました。明治33(1900)年再建。
鳳生山と号し、志和第一の巨刹です。本堂:11間四面。境内:346坪。
|
|
|
*長禄期は、長禄元(1457)〜長禄4(※閏年で1461となります)年が一般的標記で、長禄9年は寛正6(1465)年です。 |
|
|
神機隊(しんきたい)屯所跡地 東広島ウエストライオンズクラブ |
神機隊は、慶応3(1867)年9月賀茂郡檜山村の出身であった木原秀三朗らの尽力によって、民間有志の壮丁をもって編成された諸隊の一つです。西連寺を屯所とし、もと長州藩騎兵隊に属して木本壮平を教師として新旧流の訓練をしました。
また、戊辰戦争(1868年1月-1869年5月)では出征していますが、激戦を経て、多くの戦死傷者及び病死者を出しています。
凱旋後も解散されず、再編成されましたが、廃藩置県(1871年)後の明治5(1872)年に至り、生涯扶持の給与と300人づつ交代で広島城内松原講武所出勤を条件に解散しました。 |
|
|
2011年わが家から安芸高田市美土里町に行く時ここ(東広島市)志和町を通って行くので立ち寄ってみたお寺だったのです。
本堂の正面梁の処にお寺の縁起板が掛けてありましたので、撮影していました。
2014年未整理の画像を整理していて頁を編集していなかったのでいまに成りましたが編集しました。 |
14.09.28.裕・記編集 |
|
|
11.05.04.撮影 |
広島県東広島市志和町七条椛坂1253 |
|
11.05.04.撮影 |
|
11.05.04.撮影 |
|
11.05.04.撮影 |
鐘楼、 本堂修復記念・碑 本堂 |
|
11.05.04.撮影 |
11.05.04.撮影 |
平成5(1993)年4月本堂修復記念、鬼瓦など |
親鸞聖人像 |
|
11.05.04.撮影 |
11.05.04.撮影 |
|
「明治維新 神機隊本陣跡」碑 昭和60(1985)年3月8日建立 |
|