(西蓮寺根際建立の)頌徳・石津静衛翁碑
  東広島市志和町の西蓮寺根際に建立されている「頌徳・石津静衛翁碑」です。
裏面碑文の最初に、石津静衛国手*頌徳碑と刻まれています。
石津静衛は、明治8(1875)年生まれ。明治39(1906)年東都で開業、大正4(1915)年帰郷して開業。戦後昭和26(1961)年健康保険医となり、村会議員や選挙管理委員長なども歴任した。
龍谷勧学梅原眞隆※撰竝書  昭和廿九甲午(1954)歳八月建立されたようです。
碑文全文を読み下すことが、わたしの漢文力のなさで、解読できませんでしたので、だいたいこういうことかと上欄に記述しました。
国手(こくしゅ)=〔「国語晋語」より。国の病を治す名手の意〕 名医。また、医者を敬っていう語。上医。
梅原眞隆 (うめはらしんりゅう:1885-1966)
浄土真宗の僧、政治家。富山県生。佛教大学卒業。
1919(大正8)年龍谷大学教授、1957(昭和32)年富山大学学長。1937(昭和12)年勧学、1950(昭和25)年勧学寮寮頭以後5期務める。顕真学苑を創設し、海外に布教した。1947(昭和22)年参議院に当選し緑風会に属す。勲二等瑞宝章。
辞世の歌「生きるよし 死するまたよし 生死の 峠にたちて ただ念仏する」
石津という名をみた時、ここ西蓮寺を開基したと縁起板にあった石津孫佐衛門の子孫の方かなと思ったのです。
碑文をみるとお寺の住職ではなく名医とのことでした。しかしここに浄土真宗の勧学が揮毫したことを思えば、石津の末裔なのだろうな〜と思いました。
揮毫者・梅原眞隆をNETで調べると、辞世がありました。南無阿弥陀仏と念仏を唱えているわたしに“お前は?”と問いかけておられるようにも思いましたので書きました。
14.09.30.裕・記編集

11.05.04.撮影
広島県東広島市志和町七条椛坂1253  西蓮寺根際

11.05.04.撮影



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