(広島新生学園)上栗頼登先生之像

  東広島市西条町田口の広島新生学園に建立されている「上栗頼登(かみくり・よりと)先生之像」です。
※胸像の作者は、西平孝史(岡山県出身:1949-   )です。
上栗頼登先生は、1919(大正8)年6月14日広島県高田郡吉田町に出生。
同志社大学文学部厚生学科卒業後、陸軍に召集され広島の司令部に見習士官として配属中、1945(昭和20)年8月6日の原爆で九死に一生をえ、被災者の救援活動に奔走、1945(昭和20)年10月22日広島新生学園の前身である戦災・孤児収容所を開設、以来五十年間児童の保護育成に心血を注ぎながら社会事業の発展に貢献し、後進の育成にも努める。
1995(平成7)年8月30日、幾多の苦難を共にした和子夫人たちに見守られ永眠。享年七十四歳。
先生の徳を慕うもの、ここに胸像を建立して敬意と謝意を表し、その偉業が後世に伝わることを願う。
 1997(平成9)年8月30日
   上栗頼登先生記念事業  桑原達夫書
学園略沿革
1945(昭和20)年10月 原爆孤児、戦災孤児、引揚孤児など収容保護を目的として、
広島市(南区)宇品の暁部隊兵舎の一部を借り、経営主体未定で事業開始。
1945(昭和20)年12月 戦災援護会広島支部(現在の広島県同胞援護財団)の経営となる。
1946(昭和21)年 4月 広島市(西区)草津東町、さくら母子寮の一部を借り移転。
1946(昭和21)年 4月 広島市(中区)基町、旧陸軍野砲部隊跡に移転。
1971(昭和46)年 4月 広島市の都市計画により、現在地東広島市西条町に移転。
1971(昭和46)年10月 広島県同胞援護財団より分離独立、社会福祉法人広島新生学園設立許可。
1971(昭和46)年11月 新法人の経営となる。児童養護施設:定員80名。
2018(平成30)年4月 園舎全面改築。児童心理治療施設認可。
昨(2022)年暮れ、休暇で帰ってきた息子が行きたいところに連れて行くと云ってくれたので、東広島市に建立されている原爆関連の慰霊碑を巡りたいと頼んだのです。
ここ広島新生学園に建立されている慰霊碑もめぐることにしたのです。
上栗現園長先生に慰霊碑の案内をしていただき帰るときに、先代(初代)園長先生の胸像を建立したと教えていただいたので撮影しました。
敗戦時の混乱していた時代とは云え、26歳独身の時に原爆孤児、戦災孤児、引揚孤児などを保護し収容しようとした志の高さはわたしごとき凡人にはただただ眩しい方だなと思いながらこの頁を編集しました。
23.01.20..裕・記編集

22.12.30.撮影
東広島市西条町田口391-2  新生学園内

22.12.30.撮影
忘我の愛 上栗頼登先生之像

22.12.30.撮影

22.12.30.撮影
(正面) 台座に碑文板(上記)

22.12.30.撮影
上栗頼登園長像

22.12.30.撮影

22.12.30.撮影
上栗頼登先生縁者有志
平成九年八月吉日建立  (平成9年=1997年)
制作  西平孝史

22.12.30.撮影



広島ゆかりの人物関連彫刻像など


「野外彫刻など」編



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広島新生学園慰霊碑
  西平孝史作:上栗頼登先生之像
(広島新生学園玄関前)被爆石で作られた敷石


「東広島市」編


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