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(現在)呉市広古新開の広市民センターに建立されている「大林源蔵翁頌徳碑」です。 |
※題字はl呉市長・奥原義人(在職:1961-1977)揮毫。 |
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大林家は、広村が毛利氏の所領であった頃から、代々庄屋役を勤め村の開発に盡力されてきました。
特に大林家中興の祖とも云われる大林源蔵翁は、寛永10(1633)年に生れ、元禄14(1701)年に歿しました。在世六十余年の間に公共の福祉の増進に貢献したが中でも、荒れ果てた広村開発に思いをいたし、長年苦労の末 広村大新開132町1畝6歩、広村源蔵新開4町5反8畝11歩、隣村仁方村塩浜新開21町5畝?歩などの新田開発事業は、その最も顯著なるものです。工事にあたっては、土木技術の幼稚であったと思われる当時、道路、渠溝、樋管、水溜等、実に綿密周到な計画のもとに耕地整理を行ない、今日広町発展の礎を築きました。 |
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碑文:神谷伊津造撰 立花竹石書 昭和45(1970)年7月 呉市広郷土史研究会 |
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広市民センターで、広邑新墾碑を撮影して、呉市天然記念物のソテツを撮影しようと近づいた時にここで取り上げた「大林源蔵翁頌徳碑」がソテツの根際に建立されていました。 |
大林源蔵の予備知識は全くありませんでしたので、碑文で新開をつぎつぎと完成した人物であることがわかりました。 |
17.05.10.裕・記編集 |