江波射撃場跡 (江波射的場跡)

  中区江波西に戦前あった「江波射撃場」についてこの頁では取り上げました。
広島市内の軍用地は、日清戦争(明治27・28年戦役:1894・1895年)前は旧広島城内・第5師団練兵場(西練兵場)、東練兵場、工兵大隊用地、江波射撃場、比治山陸軍墓地等に限られていましたが、日清戦争、日露戦争(明治37・38年戦役:1904・1905年)によって広島市は軍都・廣島を形成していきました。
※1875(明治8)年第5師団練兵場設置、江波射撃場設立。
平和記念公園に建立の「原爆供養塔」根際の説明板を読んでいると、『昭和23(1948)年に発掘された遺骨を納骨するという中に「旧陸軍江波射撃場100柱を納骨」』とありました。
現在の地図を参考に(マップファンウェッブからの)地図掲載しましたが、みていただくと市内電車・江波線があることがお分かりになると思います。
現在の広電江波線は、当時陸軍の要請で1943(昭和18)年12月28日土橋-舟入本町間を開業し、 1944(昭和19)年6月20日舟入本町-江波口(旧電停)間を開業したそうです。

敗戦後、1951(昭和26)年8月29日旧陸軍射撃場跡に広島市立江波中学校校舎が新築され、
1978(昭和53)年 6月旧江波町射撃場(広島市中区江波東1丁目・土地 12,212u)が地方公共団体へ公営住宅(現在・江波みなと西住宅として)売払いの決定されたと大蔵省が公表しています。
おじさんの「原爆記」の関連資料を調べていくうちに陸軍軍用地としてこの「江波射撃場」のことも知ったのです。
今回交流ウォーク探検隊として、江波地区をウォーキングしたときこの場所が射撃場跡だったことを教えていただき撮影しました。
当時の面影が山肌に残っていないかと江波西の下から、そして江波皿山公園上からみましたが、平成になって行われたと聞く防災工事からでしょうか?わたしにはわからなかったのです。
 08.01.13裕・編集

06.12.16撮影
                広島市中区江波西1 (中区江波二本松1江波皿山公園をみました)

06.09.20撮影

06.09.20撮影
江波皿山公園から射撃場があったという処をみました



「軍都・廣島関連施設戦跡」編



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