ひろしまながれかわきょうかい
(前)広島流川教会

  中区上幟町に建てられている「(日本基督教団)広島流川教会」です。
※2013年新しい会堂に建替えられていますのでここで取り上げた建物は(前)広島流川教会と表現し、
  被爆した建物は(旧)流川教会と記述しています(ので)。
 旧・流川教会、爆心地から約900m
現在の鉄砲町10(旧町名:上流川町)に日本メソヂスト3代目会堂として竣工。
1939(昭和14)年宗教団体法公布(宗教団体への国家統制が強化)され、1941年日本基督教団に統合されたそうです。
設計 W・M・ヴォーリズ
(1880-1964、米国人)
構造 内藤多仲(1886-1970)
施工 藤田組
流川教会略沿革
1927 (昭和2)年12月 日本メソヂスト教会竣工
1928 (昭和3)年1月 日本メソヂスト広島中央教会、献堂式
1941(昭和16)年6月  日本基督教団広島流川教会
1943(昭和18)年 教会一部徴用され軍服仕立て工場となる
1945(昭和20)年8月 6日8:15原爆で屋根窓吹飛び大破
  1970(昭和45)年 上幟町に移転(1971年1月10日献堂式)
1971(昭和46)年 被爆建物でしたが解体されました
  2013(平成25)年 現在の(新)会堂が建設されました
世界平和記念聖堂のことを調べていくうちに流川教会のことをし知り、訪ねてみようと思ったのです。
2003年撮影しこの頁を編集しました。
資料でみた被爆当時の写真が移転した現在の教会の外壁に埋め込まれていましたので撮影して紹介しました。
2013年新しい教会建物になっていましので、縮景園から広島駅に行く途中撮影していました。
2018年になりましたが古くなったこの頁を更新しなくてはと、訪ね新しい教会内部も撮影させていただきましたので、とりあえずこの頁を更新しました。
18.07.22更新   03.07.18裕・記編集

03.07.18.撮影
広島市中区上幟町8-33 

03.07.18.撮影
屋外階段外壁に旧流川教会の説明板が設置されています

03.07.18.撮影
日本キリスト教団広島流川教会(CHURCH) 

04.02.08.撮影

13.05.13.撮影
 新しい教会建物になっていました。(隣はマンション工事中でしたので桁方向はいまだけみえるのでしょう)

18.05.16.撮影
(教会正面からわたしのデジカメでは全体が撮影できなかったので斜めから撮影しました)
下の写真は現流川教会・屋外階段外壁に掲載されていた説明板の写真を掲載しました
 旧・流川教会、爆心地から約900m
現在の鉄砲町10(旧町名:上流川町)に日本メソヂストの3代目の会堂として竣工しました。
1939(昭和14)年宗教団体法公布(宗教団体への国家統制が強化)され、1941年日本基督教団に統合されたそうです。
1945(昭和20)年8月6日米軍投下の原子爆弾で(下画像のように)大破しました。
当時は、現電停「胡町」筋向い(※上流川町)にあった、被爆後焼け残った外枠壁を用いて再建されたが
原爆放射熱で脆くなっていた壁が崩れやすく修理困難のため、保存を断念した。
屋根窓は原爆で吹き飛んだが外壁と鐘楼は残り、補修され1971まで使用されていたそうです

03.07.18.撮影
屋外階段外壁に旧流川教会の説明板が設置されています

18.05.16.撮影
(上)被爆した旧会堂写真        (下)被爆した定礎板    (この新会堂)定礎板
本川小学校平和資料館の被爆後の市内模型を撮影したものです
中國新聞社 福屋百貨店 (電車道挟んで手前が)流川教会 (搭がある一番手前)広島中央放送局



「神社寺院など」編


「被爆した建物・構築物」編



広島ぶらり散歩へ
(前)広島流川教会
(現)広島流川教会
  被爆した木で造った十字架
  被爆した旧教会定礎板など


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