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中区上幟町に建てられている「(日本基督教団)広島流川教会」です。
※(現)広島流川協会は、RC(+SRC+S)造.。4階建。延べ床面積:≒2,200㎡。
設計は、浅井謙建築研究所(株)です。
※2013年新しい教会堂に建替えられていますのでここで取り上げた建物は(現)広島流川教会と表現し、
被爆後この地に建てられた建物は(前)広島流川教会とし、
被爆した建物は(旧)流川教会と記述しています(ので)。 |
1928 (昭和 3)年1月15日 |
日本メソヂスト広島中央教会として献堂式 |
1941(昭和16)年6月24日 |
日本基督教団広島流川教会 |
1945(昭和20)年8月6日 |
8時15分原爆で屋根窓吹飛び外壁の一部が残っただけの教会になりました。 |
1970(昭和45)年 |
上幟町に移転(新しく建てられた教会1971年1月10日献堂式) |
1971(昭和46)年 |
被爆建物でしたが解体されました |
2013(平成25)年 |
現在の(新)会堂が建設されました |
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2013年新しい教会建物になったことは報道(や)、縮景園からJR広島駅へ行く途中みて、知っていました。
時はずいぶん経ちましたが2018年訪ねました。
幼保園が併設されていることを知らなかったので、玄関から入って幼保園の方に行ってしまい、先生方に「お迎えですか?」と声をかけられ、ずがずかずかと無言で入って行ったわたしは不審者そのものだったのだと反省し、教会を拝見したいのですがと小さな声で要件を云いました。教会は三階でそちらの階段から上ってくださいと優しく説明されてしまいました。
被爆した十字架を拝見しながら礼拝堂の椅子に座り、
差し込む光が造りだす明るく(わたしを)包み込んでくれるように感じた空間をもつ新しい時代の礼拝堂(チャペル)をかみしめました。 |
(上流川で)被爆した(旧)流川教会の写真が屋外階段の壁に展示されていることを知り2003年訪ねたのがはじめてでした。
その時みた(前)流川教会の建物、被爆後の復興が如何に困難なことだったのだろうな~と思う建物でした。
今(2018年)回は、教会礼拝所(会堂)に掛けられていると聞く被爆した十字架を拝見するという主目的がありましたので、会堂内部を拝見し、その空間を少しばかりの時間かみしめることができた幸せな時間が持てました。
それは、いま毎朝「南無阿弥陀仏」と唱える浄土宗宗徒のわたしの学生時代(わが家の近くの)福音教会に通ったことがあった昔々を思いだし、“永遠の命”とはとこの歳になり反芻し考える時間でもあったからなのです。 |
18.07.23.裕・記編集 |
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13.05.13.撮影 |
広島市中区上幟町8-33 |
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18.05.16.撮影 |
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18.05.16.撮影 |
18.05.16.撮影 |
塔部分 |
3階が教会(4階の窓と見えるところも会堂空間の明り取り) |
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18.05.16.撮影 |
「日本基督教団 広島流川教会」 、「学校法人広島流川教会学園 流川こども園(幼保連携型認定こども園)」 |
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18.05.16.撮影 |
(上)被爆した旧会堂写真 (下)被爆した定礎板 (この新会堂)定礎板 |
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18.05.16.撮影 |
会堂(チャペル)正面 被爆した木で造られた十字架 |
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18.05.16.撮影 |
ふり返ってみた会堂後側 |
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18.05.16.撮影 |
会堂内に設置されたという被爆した鐘 |
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18.05.16.撮影 |
礼拝堂前室でみた(避難経路図) 教会創始者:砂本貞吉レリーフ |
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