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安芸区瀬野の瀬野小学校に展示されている「蒸気機関車D51の先輪と動輪」です。 |
鉄道の村・町だった瀬野 |
資料:瀬野川流域郷土史懇談会発行「瀬野に機関庫があった」 |
明治27(1894)年山陽本線が広島まで開通して、瀬野駅ができました。
瀬野と東広島市の八本松の間は、鉄道としてはたいへん急な坂道で、貨物列車は「補機」という機関車が後ろから押しています。【瀬野-八-22.6パミール】
そのため、瀬野には瀬野機関区が解説されて、後押しの蒸気機関車が何両もありました。
また、鉄道で働く人もたくさんいました。
昭和39(1964)年に蒸気機関車が電気機関車になっても、電気機関車の「補機」がありました。
昭和60(1985)年3月に瀬野機関区は廃止されて、92年間の歴史をとじました。 |
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瀬野川流域郷土史懇談会発行「瀬野・歴史散歩マップ」にここで取り上げた桔梗先生追慕碑の紹介があったので、機会をつくり瀬野小学校を訪ねてみようと思っていたのです。
2018年9月になりましたが、西日本豪雨で被害を受けたという瀬野川に架かる橋を代橋から下流に向かって(流された塚地橋までみてJR瀬野駅まで歩いたのです。
その途中、瀬野小学校に立寄り、校長先生に撮影許可をいただき撮影しようと東の方に行こうとしたとき北校舎前渡り廊下でここで取り上げた蒸気機関車の動輪をみましたので撮影しました。
市内のそこここの小学校で展示されている動輪を見てきましたのでこの頁を編集したのです。 |
19.02.01.裕・記編集 |