(中央公園)堀川

  中区基町の中央公園広場の北側と南側に人工的に造られている「堀川」をとりあげました。
※広島城の内堀を旧太田川の水を用いて循環浄化する目的(の一部分)で整備された人工の堀川です。
*新しいサッカースタジアム建設の為にこの堀川は邪魔になるので撤去されるのでしょう。
広島市市民局文化スポーツ部文化振興課の公開資料によるとサッカースタジアム建設で邪魔になるモニュメントなどを図示しています。調査範囲(下図面)
➊北側は導水路の一部が堀川として、また、南側は排出路の一部が堀川として造られています。
〔どちらも邪魔になるようです〕

都市整備局緑化推進部公園整備課・サッカースタジアム計画案でのモニュメント等配置図
中央公園広場がサッカースタジアム建設地に決定し、スタジアム建設前に発掘調査をするというニュースを見聞きしました。
そこには、記念碑やモニュメントが建立されていることから撤去することになるだろうから頁を編集している記念碑などだけでも撮影しておこうと思ったのです。
2020年10月16日に立寄ったのですが、時期既に遅く仮囲いが設置され発掘作業が始まっていました。
ここで取り上げた堀川も解体撤去されることになるのだろうから撮影して頁を編集しておこうと思ったのです。
江戸時代は、広島城の内堀(中堀・外堀)の水は太田川より取り入れていました。
明治以降、取水口が塞がれ、堀の水は湧水・雨水に頼っていました。
昭和30(1955)年頃から(広島市内も)ビルラッシュで堀の水が干上がっていきました。
昭和44(1969)年井戸からポンプアップする施設が出来ました。
昭和50(1975)年頃から内堀の水質が悪化しだしました。
-堀川の役割図-

(公財)広島市文化財団広島城の資料を使用しています
平成元(1989)年から内堀の浄化を市と当時・建設省の共同で 「広島城跡堀川浄化事業」を実施することになり太田川から取水し、内堀に還流させ太田川に排出する浄化施設を造りました。
その一部が堀川として中央公園広場にあるのです。
広島城内堀の浄化のために旧太田川(本川)から取水して内堀を循環させるという方法が採用され(平成元年)広島城築城400年記念事業の一つとして行われたことは知っていましたが、何かいい資料はないかと思ったのです。
広島市文化財団の公開資料(上記の図面など)が良くまとめられ、わかりやすいと思ったので参照させていただきました。
中央公園広場から消えてしまうであろう堀川を惜しみ、北側堀川に架かる二つの橋もこの頁で取り上げました。
21.10.30.裕・記編集
中央公園広場・南側の堀川
堀川に注目して撮影したことは無かったわたしでした。
サッカースタジアム建設で無くなることでいままで中央公園の内堀を撮影した画像は無かったのかと記憶を手繰ったのです。

まだ目がしっかりしていた時、堀川の川底に敷かれた砂利を盗んでいた(不届き者の)男性を撮影したことがあったと思い出したのです。この一枚だけでしたが南側堀川の紹介が出来きたのかなと思っている処です。

05.11.22.撮影
広島市中区基町  中央公園広場(南側)
 
中央公園広場・北側の堀川
堀川に注目して撮影したことは無かったわたしでした。
今回になりましたが、サッカースタジアム建設前の発掘調査が行われている中央公園に撮影に来たので、無くなるであろうこの北側の堀川(導水路)を撮影しました。
発掘調査用の仮囲いが画像に写り込んでいますが、堀川に注目して撮影したことがなかったのでお許し願っておきます。

20.10.16撮影
 (堀川東端をみました)

20.10.16撮影
 (≒東方向をみました)

20.10.16撮影

20.10.16撮影
(画像右側:サッカースタジアム建設前発掘作業の仮囲い)
 
(北側・堀川に架橋)こつこつ橋

20.10.16撮影
こつこつ橋  (南側から北側をみました)  ほりかわ

20.10.16撮影
こつこつばし  (北側から南側をみました)   堀川
(北側・堀川に架橋)むくむく橋

20.10.16撮影
むくむく橋  (南側から北側をみました)  ほりかわ

20.10.16撮影
むくむくばし  (北側から南側をみました)   堀川

20.10.16撮影



「軍都・廣島関連施設戦跡など」編



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