|
中区基町に設置されている総合公園「(広島)中央公園」です。
※国交省の資料によると公園面積は、416,000uもあるそうです。 |
「平和都市広島」には日本の大陸侵略を推進して行った歴史の一端が読み取れる遺跡・戦跡があります。
この中央公園を含む基町が、明治・大正・昭和にわたり「軍都廣島」の中枢地区であったのです。 |
憩いの場所としての公園、戦跡などには直接関連はない碑なども建立・設置されていますので追加編集しています。 |
グループで作るHP犬の散歩道の取材の為に02.03.07訪ねました。
広島城と道一つ隔てた中央公園(ひろば)は風が強く寒い平日でしたが犬の散歩は何組かが、公園は市内中心部紙屋町に近い所にあり、芝生が草原風に広がっていて、公園の廻りはランニングコースになっています。木陰にはベンチもありのんびりとくつろげます。
再び訪れた2002年4月18日「春の植木市」が開催されていました。(広場には公衆便所が3箇所設置されています) |
※ |
2019年2月(4月の市長選挙前)に「新サッカースタジアム建設地、中央公園広場に決定」と報道されました。
『J1サンフレッチェ広島の本拠となる新サッカースタジアムの建設地が2月6日、中区の中央公園広場に決まった((建設に向けた検討が始まって6年もかかりましたが)広島市と広島県、広島商工会議所、サンフレの4者がトップ会談を開き、広場のアクセスの良さなどを評価し、2024年のシーズン開幕までの開業を目指す。
候補地は中央公園広場、旧市民球場跡地(中区)、広島みなと公園(南区)の3ヶ所だった。
市中心部の中央公園広場は、「アクセス面が優れ」、「観客の大量輸送が可能」「スタジアムの多機能化や複合開発が可能」「事業費が190億円と低く抑えられる」といった点を評価。「建設場所として最も適している」とした。
事業主体は広場を管理する広島市。建設資金は国の交付金のほか、企業や個人からの寄付、県や市の負担などでまかなうという。』ということで、野球場が無くなった代わりにサッカースタジアムができるようです。 |
|
21.10.24 再編集 02.07.16裕・記編集 |
|
関連頁:(中央公園内にある)被爆樹木・アメリカキササゲ -枯死し撤去されました- |
|

02.07.16.撮影8 |
 |
中央公園公園の案内図が組込まれた石碑 |
広島市中区基町 中央公園位置図 |
|
中央公園広場にサッカースタジアム建設決定 |

都市整備局緑化推進部公園整備課・サッカースタジアム計画案 |
(広島)中央公園(緑色の範囲)でのサッカースタジアム位置図 |
|
撤去移設などが必要なモニュメントなど |

都市整備局緑化推進部公園整備課・サッカースタジアム計画案でのモニュメント等図 |
|
|
|

02.11.01撮影 |
寒い日でした、広場に犬の散歩は |
|

02.04.18撮影
芝生が草原風に広がっています

02.04.18撮影
植木市が開催されていました |

02.04.18撮影
広い芝生の空間 |
|
|

03.08.22撮影 |

03.07.17撮影 |
公園の西側の一角に建立されている |
大田洋子歌碑 (屍の街より) |
|

03.08.22撮影 |
 |
公園の一角に三角点が設置されています |
私は間違った認識でした、中央公園はこの案内図をみるまでは‘ひろば’だけを中央公園とおもっていました実は広島城や市民球場を含んだ地区だったのです。 |
|

05.02.17撮影 |

05.02.17撮影 |

05.02.17撮影 |

05.02.17撮影 |
「針のめぐみ」碑 |
風と花 作:桑原巨守 |
飛躍 作:北村西望 |
モニュメント「鯤」 |
05.07.30 更新 |
05.03.12編集 |
16.03.07.更新 |
15.02.09更新 |
|
|