軍用桟橋 (六管棧橋)

  南区宇品海岸の宇品波止場公園に残されている「軍用桟橋(六管棧橋)」です。
1889(明治22)年に築港された宇品港は、日清・日露戦争を契機に、1945(昭和20)年まで主に旧陸軍の軍用港として使用されてきました。その中心的役割を果たしてきたのが、1902(明治35)年に軍用桟橋として建設されたこの六管桟橋です。この六菅桟橋は戦争中は多くの兵士を送り出した一方、多数の無言の遺骨の帰国を迎え、広島の歴史を見守ってきた貴重な証言者です。また、築港当時の唯一の施設であり歴史的、建築的にも高い価値があります。
戦後は、海上保安庁の船舶の係留に利用されてきましたが、1万トンバースの増設に伴い、護岸としてのその姿を残しています。宇品港の名称が改められて広島港と呼ばれるようになってからも、ずっとその歴史を刻んできたこの桟橋は広島の歴史そのものです。桟橋の石積みを当時の護岸として保存し一部を展示しています。
六管桟橋       広島県広島港湾振興局(設置)
2003年、「六管桟橋」に関する説明板と桟橋に使われていた石組(ほんのわずかですが)をみましたので、この頁を編集しました。
説明板の絵図で、軍用桟橋の付け根の部分だけが残されているのだとな〜とわかりましたが、2010年広島市郷土資料館で、広島の競馬場の企画展示をみたとき宇品地区の地図を撮影していたのです。
その地図を2014年のいまになりましたが、ここで取り上げた「軍用桟橋」の位置的なものがわかると思いましたので、地図を加え頁を再編集しました。
頁の題を陸軍が使用しましたので“陸軍桟橋”としていましたが、説明板、地図にある「軍用桟橋」にしました。
なお資料館展示資料の地図にある“中國グランド”が1931(昭和6)年にここ宇品地区に移転した広島競馬場で、僅か2年で廃止され大洲町に移転することになったそうです。
2015年訪ねた時に石積みのモニュメントの形が変わってベンチ風になっていましたので、家族づれが休んでいました2016年になりましたが画像を加えこの頁を更新しました。
16.10.18.更新    14.08.04.再編集    03.07.26裕・記編集

03.07.28撮影
広島市南区宇品海岸3-12  宇品波止場公園

03.07.28撮影
六管桟橋(一部)跡を北西よりみる

03.07.28撮影

15.09.12..撮影
(南の方からみました)

15.09.12..撮影
(2003年当時のモニュメントの石積、説明板の位置が変わっていました)

15.09.12..撮影
(石積モニュメントがベンチ風に変わっていましたので)家族連れがくつろいでいましたのでそのまま撮影しました

03.07.28撮影
説明板と桟橋に使われていた石組(ほんのわずかですが)
(説明板の絵図)改訂再版広島県地誌:明治24(1891)年出版
昭和8(1933)年「最新広島市街全図]  (広島市郷土資料館展示資料を撮影しました)


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