宇品凱旋館建設記念碑

  南区宇品海岸の宇品中央公園に建立されている「宇品凱旋館建設記念碑」です。
宇品凱旋館建設記念碑
皇紀二千六百年 昭和十五(1940)年二月十一日     陸軍中将 田尻昌次書
*運輸部長1938年3月〜1940年3月
1939(昭和14)年4月 宇品凱旋館(鉄筋コンクリート造3階建)が建設されました。 
1945(昭和20)年8月6日被爆時は(
爆心地から≒4660mであったので)窓ガラスが割れた程度だったので、
9時過ぎ頃から避難してくる被爆者で大広間は溢れ、軍医2名と看護婦5名が応急治療をしたそうですが2時頃からは宇品線(南段原〜宇品)で運ばれてくる負傷者も含めて1300名を超え対処できなくなって、臨時野戦病院になった似島の検疫所に暁部隊が所有していた船を救護艇として負傷者を運んだそうです。
似島には1万余の被爆者が運ばれ、そのうち半数は亡くなったそうです。
-宇品凱旋館、戦後(解体までの)略史-
1945 昭和20年11月 広島県引揚民事務所として利用されました
1946 昭和21年6月 コロ島からの引揚者3,990名乗船の摂津丸が外地引揚第1船として宇品港入港
※葫蘆(コロ)島:旧満州(中国東北部)遼東半島の奥、渤海湾の北
1948 昭和23年 〜1951(昭和26)年原爆傷害調査委員会(ABCC)
1948 〜1970(昭和45)年広島海上保安本部(後・第6管区海上保安本部)
1970 昭和45年 以後空き家となりました
1974 昭和49年12月 宇品凱旋館は解体され、跡地は宇品中央公園となり、宇品凱旋館建設記念碑が残されました
「おじさんの原爆記」には嘉孝さんを探して宇品まで行き似島に収容した人名を調べてもらったと記述があるのです。
訪れた2003年は、凱旋館があった当時の面影はなくともその辺りを自分の足で立ってみなくてはと思い訪ねてみた宇品中央公園などだったのです。
11.02.07更新   03.08.09裕・記編集

03.07.21.撮影
広島市南区宇品海岸3-10 宇品中央公園

07.10.21.撮影

07.10.21.撮影

10.12.14.撮影



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