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南区宇品海岸の宇品中央公園に建立されている「(旧蹟)陸軍運輸部船舶司令部・碑」です。 |
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1945(昭和20)年8月6日被爆時、陸軍運輸部船舶司令部は宇品凱旋館内に置かれていました。
配下には船舶・練習・教育・砲兵・通信・衛生などの部隊がありそれぞれ「暁○△部隊」と称していたそうです。
(爆心地から4km〜5kmの宇品にあって人的被害が少なかったので被爆後直ちに救援活動をしたそうです) |
1889 |
明治22年11月30日 |
「宇品港」開港 (明治17年9月5日起工式挙行) |
1894 |
明治27年6月 |
陸軍運輸通信部・宇品支部設置 |
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明治27年8月20日 |
広島駅から宇品まで5.9km軍用鉄道として(16日間の突貫工事で)敷設 |
1897 |
明治30年9月 |
陸軍補給廠運輸部宇品支部 |
1902 |
明治35年 |
陸軍運輸部・本部に昇格 |
1942 |
昭和17年 |
(作戦部隊として)陸軍船舶司令部となる |
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わたしはおじさんの原爆記を読むまで軍都・廣島に関してはまったくの無知だったのです。
被爆後、暁部隊が市内に入り被災者の救護や被爆惨禍処理をしたということから調べはじめたのです。
暁部隊という呼び方が通称で、陸軍運輸部船舶司令部の部隊だということから(わたしは)知りはじめました。 |
11.02.07更新 03.08.09裕・記編集 |