はんじゅうじ
般舟寺
  西区楠木町に建っている「願海山風航院(がんかいざん・ふうこういん)般舟寺」です。
※広島新四国八十八ヶ所霊場第十六番霊場です。
願海山風航院・般舟寺は、浄土宗のお寺で本尊は阿弥陀如来。
縁起:天文年間(1532-1555)毛利家の幕下石井蔵人の菩提寺として安芸国吉田(現:安芸高田市吉田町)に開基し、竜伝上人が住持していました。
毛利輝元(1553-1625)の広島開発後、文禄4(1595)年加茂郡正力村成福寺より住誉上人を迎え開山とし、慶長4(1599)年(現在の中区)新天地に堂宇が建立されました。
しかし、昭和20(1945)年8月6日の原子爆弾により悉く消失しましたが、本尊阿弥陀如来は疎開により難を免れました。昭和44(1969)年7月、現在地(西区楠木町)に移転し本堂、庫裡を再建し現在に至っています。
当・般舟寺の守護神であるお稲荷さん(紅桃花稲荷大明神)は、新天地公園内に残し、商売繁盛の守り本尊として般舟寺の昔のなごりを残しています。
2008年スタンプラリーで訪ねたのです。巡礼の手引きを読んで、そうか!紅桃花稲荷大明神の頁を(2005年に)編集していたときにそういえば、般舟寺の守護神として勧請とあったな〜と、手引きを読まなければ気がつかないほど記憶力の衰えを思ってしまいました。
また、スタンプを押すのに本堂の中に入り手を合わせ「南無阿弥陀仏」と唱えた後、壁をみると25体の菩薩像がありました。浄土宗宗徒と思っているわたしですが二十五菩薩のことを知らぬ恥ずかしさでした。
 08.09.04裕・記編集

08.06.28撮影
広島市西区楠木町3-12-8

08.06.28撮影

08.06.28撮影
本堂
二十五菩薩
平安時代の中頃から浄土信仰が盛んになり、浄土教では、臨終の際、阿弥陀如来が二十五菩薩とともに迎えにきて、極楽浄土に導いてくれるとされているそうです。
あみだにょらい
阿弥陀如来
大乗仏教の浄土教の中心をなす仏。法蔵比丘※1として修行中に衆生※2救済の願をたて、現在は成仏し西方の極楽浄土※3で教化しているとされる。
自力で成仏できない人も、念仏を唱えればその救済力によって、極楽に往生すると説く。
平安時代に信仰が高まり、浄土宗・浄土真宗の本尊となる。
ぼさつ
菩薩
最高の悟りを開いて、仏になろうと発心して、修行に励む人。
初めは前世で修行者だった釈迦をさす名称であったが、のちに大乗仏教では自己の悟りのみを目指す声聞※4・縁覚※5に対し、自利利他の両者を目指す大乗の修行者をいう。
弥勒・観世音・地蔵などの高位の菩薩は仏に次ぐ存在として信仰される。
(陀羅尼菩薩)   無辺身菩薩   (日照王菩薩)    (宝蔵菩薩)    (薬王菩薩)    (虚空蔵菩薩)
大威徳王菩薩  光明王菩薩  月光王菩薩   観音菩薩   法自在菩薩  山海恵菩薩   (三昧菩薩)
定自在菩薩    衆宝王菩薩     華厳王菩薩    薬上菩薩     大自在菩薩     金蔵菩薩    
大勢至菩薩    普賢菩薩     徳蔵菩薩     獅子吼菩薩     白象王菩薩   (金剛蔵菩薩) 
ほうぞうびく
法蔵比丘
法蔵に同じ
阿弥陀如来がまだ仏になっておらず、世自在王仏のもとで修行していたときの名。
しゅじょう
衆生
心をもつすべての存在。苦のある世界である三界を輪廻(りんね)する。「人々」という意味で使われることが多い。時として、仏・菩薩をも含めることがある。
ごくらくじょうど
極楽浄土
阿弥陀仏のいる世界。
西方十万億土の彼方にあり、まったく苦しみのない理想郷で、今も阿弥陀仏が法を説いているとされる。阿弥陀仏を信じ、ひたすら念仏を唱えると、死後ここに迎えられるという。
しょうもん
声聞
〔仏の説法を聞く者の意〕元来は、仏在世の弟子のこと。
仏の四諦※の教えに従って修行し、聖者となる仏弟子。のちに大乗仏教の立場からは、個人的な解脱※を目的とする者とみなされ、小乗の徒とされる。
えんがく
縁覚
仏の教えによらず、ひとりで悟りをひらき、それを他人に説こうとしない聖者。
声聞とともに二乗といい、小乗の修行者とする。辟支仏(びやくしぶつ)。
したい
四諦
四つの真理の意。苦諦・集諦(じつたい)・滅諦・道諦の総称。
十二縁起と並ぶ仏教の根本教理。四聖諦(ししようたい)。
くたい
苦諦
煩悩(ぼんのう:人間の身心の苦しみを生みだす精神のはたらき)をもつ者の世界に起こることは皆苦であるということ。
じつたい
集諦
苦が、さまざまな悪因を集起させたことによって現れたもの。
めったい
滅諦
苦の滅ぼされた涅槃(ねはん:あらゆる煩悩が消滅し、苦しみを離れた安らぎの境地)の世界が理想の世界であるという真理。
どうたい
道諦
悟りに至るには、正しい修行によらねばならぬということ。
げだつ
解脱
煩悩の束縛から解放されて、安らかで自由な悟りの境地に達すること。



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(「広島新四国八十八ヶ所霊場」編)



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