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東区矢賀の男崎神社石鳥居を寄進した「豊島陽蔵」を取り上げました。 |
陸軍中将正四位勲二等功二級 豊島陽蔵謹建之
平成四年十月吉日 豊島 啓 修復之 |
平成4年=1992年 |
大正二年十月 氏子総代(4名) 世話係 |
大正2年=1913年 |
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豊島陽蔵(てしま ようぞう:1852-1922) |
広島県(当時・安芸郡矢賀村)出身。陸軍士官学校卒。
1902(明治35)年5月陸軍少将。1908(明治41)年陸軍中将。1913(大正2)年9月に休職、翌(大正3)年1月予備役に編入。1914(大正3)年1月-1914(大正3)年4月広島市長。1922(大正11)年2月病死。 |
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男崎神社で参拝した後境内をみましたが目に留まるものがないと石段を降り、次に行こうとした時(石)鳥居の柱に刻まれた文字に目がとまったのです。
「豊島陽蔵」と云えば陸軍中将から広島市長になった人物ということは記憶にありましたので撮影しました。
帰宅後編集の広島ゆかりの人たち「広島市長」編をみると、矢賀村出身だったから鳥居を寄進したのだろうと思いました。いままで、豊島市長に繋がるものに出合ったことがありませんでしたのでこの頁を編集しました。 |
12.07.25裕・記編集 |