(尾長天満宮山手の)天神川源流を訪ねて

  東区山根町の尾長天満宮の根際を流れる天神川の源流を探ってみました。
※砂防ダムがありますので過って土砂災害があったのでしょう。普段は水の流れはない(わずかな)ようです。
昔、古川という川が太田川を分流し明星院前を経て矢賀村へと流れていたと聞きます。
江戸時代、西国街道が通る処に我羅我羅橋が架かっていたそうですが、いまは暗渠になっています(その我羅我羅橋跡碑が建っています)。
菅原道真に由来する尾長天満宮の山手から流れる川が天神川と呼ばれ、古川に流れ込んていたのではないかと(わたしは)思っていますが、後になって古川が天神川と呼ばれるようになったのかは(いまのわたしには)わかりません。
2004(平成16)年3月13日に開業したJR山陽本線天神川駅で、ここで取り上げた天神川が注目されるようになったのではと(わたしは)思っています。
ここでは、尾長天満宮境内右手(菅原道真腰掛石・天神川源流の表示板があります)から山手に天神川の源流を探しに上って行った記録です。
尾長天満宮の菅原道真腰掛石の頁を編集した2009年に天神川源流の事を(わたしは)知ったのです。それ以来上ってみようみようと思っていましたが、今(2013)年になりました。
一段目の砂防ダム上の菅原道真腰掛石までは何度か行きましたが、そこから上へは(わたしは)はじめてでした。
渇水期を選んだつもりで、二段目の砂防ダムから上は川筋(と思った)処を上っていきました。
大きな岩の処で川筋がなくなっているようで、そこが源流かはわかりませんでしたが(左手に正広寺の墓地が在りました)、この辺りが源流なのではと思いましたがそこからもう少し上ると二葉山の遊歩道に出ましたので、大きい岩の辺りかなと思ったのです。
尾長天満宮に引き返した時に駐車場で神主姿の方に出会いました、急がれていたようですが、立ち止っていただき、「天神川を探してきましたが、よくわからなかったのです、源流というような標識、表示板などが設置されているのでしょうか」と尋ねました。「標識類はありません」という答えでしたので、わたしが考えでいいのではと勝手に思いましたのでこの頁を編集しました。
13.03.04.裕・記編集

13.02.14.撮影
広島市東区山根町36-16 尾長天満宮(境内右手から菅公腰掛石・天神川源流へむかいます)

13.02.14.撮影

13.02.14.撮影
一段目の砂防ダム上の菅公腰掛石をみました

13.02.14.撮影
二段目の(砂に埋もれている)砂防ダムの処から、(ふり返って)菅公腰掛石をみました

13.02.14.撮影

13.02.14.撮影

13.02.14.撮影
(東区山根町)

13.02.14.撮影

13.02.14.撮影
大岩の辺りを撮影しました (こうもり傘が木にかかっていました)

13.02.14.撮影
正広寺(東区光が丘)の墓地がありました



「水関連」編



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尾長天満宮
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「牛田・二葉の里・矢賀附近」編





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