(広島地方気象台)被爆の惨状

  中区江波南に被爆建物として残されている「広島地方気象台」の建物です。
※1945(昭和20)年8月6日被爆した当時の傷跡がいまも遺されています。
広島管区気象台(後の広島地方気象台)における被爆の惨状 (爆心地から3,630m)-広島原爆戦災誌より-
  1945(昭和20)年8月6日朝、いつものように事務室で朝礼を行っているとき被爆した。当番の職員は各持場で、無線受信や観測作業に従事していた。
気象台は江波山のうえにある鉄筋コンクリート造の丈夫な建物であったが、強烈な爆風によって、全ての窓は鉄製サッシが飴のように曲り、ガラスはほとんど飛散した。室内のドアーの半数以上が吹っ飛び窓ガラスの破片がコンクリート壁に突き刺さった。また、衝立や戸棚などの倒れるものもあった。
庁内にいた者は、飛散物によって頭部をはじめ、手足などの露出部は特にひどい外傷を受け、血だらけになって右往左往し、軽傷者は重傷者の応急手当をした。全員が負傷者であって、気象台員の中には、衝立が飛んできて大腿骨を骨折した者がいたし、室外で熱戦を受けて、全身大火傷を受けた者などがいた。
施設機械のうち、地震計は大破したが、測風塔及び観測露場の百葉箱などには損傷がなく、記録は引き続きとることができた。
幸い火災が発生しなかったので、庁舎内に救護室を設けて、負傷者の応急手当をしたがその後、重傷者は近くの陸軍病院江波分院に運んだ。職員の中には、自宅の家族を案じて帰って行った者もあったが、市の中部以北は大火災で道を遮られ大半の者は目的を果たさず、引き返してきた。
現在は広島市江波山気象館となっている2階に原爆と気象台をテーマにした展示室があります。その中に戦時中、迷彩を施した建物の名残をとどめていた(1946年)当時の写真、原子爆弾爆発当時の景況・図などなどの展示があります。入館料@100円/大人ですので見学されておられなければお節介ながら見学されたらと、‘被爆した建物広島地方気象台’の頁から分離独立させました。
11.09.23更新      09.08.20裕・記編集

08.04.19.撮影
広島市中区江波南1-40-1 (現:広島市江波山気象館に展示の昭和21年頃の広島地方気象台)  
 原子爆弾爆発当時の景況                図は宇田道隆氏寄贈資料より
0秒 0〜1/2秒 1/2秒前後 1〜2秒 30分前後
中空で「火の玉」爆発 「ピカーッ」と光った 火の玉を中心に拡がった
火災が、四方に走った
黒煙が地上より
高度数千mにおよぶ
大火災により積乱雲が発達し、
北北西方向に移動した
被爆した外壁(の一部)が残されています
この壁面は、昭和20(1945)年8月6日に原爆の爆風を受けました。平成3(1991)年度の当館復元工事においては、この部分は改修を行わずに、現状のまま保存しました。
爆心地から約3.7km、≒3630m

07.04.08.撮影

07.04.08.撮影

07.04.08.撮影
被爆した内部壁(の一部)が残されています
この壁には、原爆の爆風で飛び散った窓ガラスの破片が突きささったまま残っています。
ここ江波山での爆風の速さは秒速700mだったと推定されています。

07.04.08.撮影
今も残る原爆の傷跡

11.04.09.撮影

11.04.09.撮影
今も残る原爆の傷跡(硝子片)
被爆した窓枠が残されています
この窓枠は、昭和20(1945)年8月6日に原爆の爆風を受けて大きく曲がりましたが、当時の気象台職員により、ガラスが嵌るように修復されたものです。

07.04.08.撮影
曲がった窓枠

11.04.09.撮影

11.04.09.撮影

07.04.08.撮影
爆心地方向を屋上よりみてみました



被爆した建物・構築物」編



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(現在)広島市江波山気象館
(被爆した建物)広島地方気象台
   (今も残る原爆による)傷跡
   (屋上の)三等三角点


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