広島市江波山気象館

  中区江波南に開館している「広島市江波山気象館」です。
※気象科学館(博物館)です。
※一部が、被爆建物として残されている「広島地方気象台」でした。
江波山気象館は、昭和9(1934)年に現在の広島市中区江波の江波山に建築された旧広島測候所(後の広島地方気象台)の本庁舎を保存整備し、平成4(1992)年6月1日に開館した気象をテーマとした博物館類似施設です。
常設展示室には、天気予報の現場の見学やインターネットを利用したお天気情報の検索コーナー、ビデオコーナー、気象測器の展示、気象体験コーナーの他、お天気相談コーナーなどがあります。
昭和9(1934)年に建築された気象館本館は、コンクリート造の近代建築物で、近代化遺産としての価値が近年評価されはじめています。
昭和20(1945)年8月6日広島市に投下された原子爆弾の被害を受けた旧気象台の建物は被爆建物です。
爆心地から≒3,630m
その一部が保存され、原子爆弾被害の様子を現在に伝えています。
                          広島地方気象台の歴史
1879 明治12年1月1日 広島県安芸国広島区水主(かこ)町の県庁内に広島県立広島測候所が設置
1892 明治25年12月3日 広島市国泰寺村(後の広島貯金支局の場所)に新築移転
1893 明治26年7月 天気予報の発表をはじめる
1934 昭和9年12月 江波町に新庁舎建設、1935年1月1日移転
1939 昭和14年11月1日 広島県所管から国営(文部省)所管になる、中央気象台広島測候所となる
1943 昭和18年1月1日 運輸通信省に移管、広島地方気象台と改称
1945 昭和20年 運輸省に移管
1945 昭和20年8月11日 広島管区気象台(中国5県を管理する)と改称
1949 昭和24年 広島地方気象台(中国4県を管理する)と改称、大阪管区気象台の管轄となる
1988 昭和63年1月1日 広島市中区上八丁堀広島合同庁舎4号館に移転
1990 平成2年11月1日 江波の旧広島地方気象台の建物を(保存活用のため)広島市に移管
1992 平成4年6月 江波山気象館として(改修され)オープンしました
*資料は広島市江波山気象館展示資料他を参考にしました
現在広島市江波山気象館になっているここは何度か見学に訪れた事はありましたが、撮影する事もありませんでした。
2007年4月と8月撮影に行きました、この頁は、近代建築物という視点で編集しましたので、常設展示物やビデオコーナーの映像、気象測器の展示、気象体験コーナーなどは直接足を運んでご覧になると身近な気象の知識が得られると思うのです。
おすすめの気象に関する資料館とわたしは思っています。
2011年吉島地区光南をぶらり散歩した時、本川(旧・太田川)越しに船溜まりがみえ、その上にここで取り上げた江波山気象館がみえたので撮影しました。
11.12.20更新   07.11.16.裕・記編集

11.12.17.撮影
広島市中区江波南1-40-1 

07.04.08.撮影

07.04.08.撮影

07.04.08.撮影

07.04.08.撮影

07.08.18.撮影
逆円錐形を重ねた人造石研ぎ出し仕上げの玄関庇柱  バルコニースラブは段々に迫り出した意匠になっています
 手摺金物は植物を模したものになっています

07.04.08.撮影

07.08.18.撮影
観測塔立ち上がりには尖塔アーチ状の穴があります 観測塔へ上がる片持ち階段、丸い仕上げとなっています

08.04.19.撮影
立ち上がりの尖塔アーチ状の穴には洒落た飾り金物(落下防止兼用)が付いています

07.08.18.撮影

07.08.18.撮影
手摺壁は人造石研ぎ出し仕上げとなっています、手摺金物は真鍮製 柱には左官職人が仕上げた鏝絵

07.08.18.撮影
扉の握り玉の形状と手摺金物端部の形状

07.04.08.撮影

07.04.08.撮影
広島測候所時代の模型が展示されていました  (百葉箱が3個設置されていたことがわかりました)



「資料館など」編



広島ぶらり散歩へ
江波山公園
ヒロシマエバヤマザクラ
広島市江波山気象館
(被爆した建物)広島地方気象台
  (今も残る原爆による)傷跡
  (屋上の)三等三角点
母子愛」碑
廣島工業港・魚介藻類慰霊碑


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