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福岡市東区志賀島字古戸に設置されている「金印公園」です。
※国土交通省の資料によると公園面積は5,849uある特殊公園で、1975(昭和50)年供用開始だそうです。
※2018(平成30)年3月再整備工事が完了したそうで、この頁で編集した金印公園は一新されていました。(別頁編集) |
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この地は後漢(ごかん:現在の中国)の光武帝が奴国(なのくに:現在の福岡市を中心とする地)の使者に授けたといわれる金印(国宝)が江戸中期の天明4(1784)年発見された場所としてわが国の歴史上重要な地とされています。印授伝来から1900余年を経過したいま、この地に立って博多湾、玄界灘を望みながら遠く中国大陸と交流があった当時を偲べばわたしたちの心に新たな感銘を呼びおこすことでしょう。 |
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(いんじゅ)
印綬: |
昔、中国で官名をほった印と、それを身につける組みひも。 |
後漢書: |
中国、二十四史の一。後漢の歴史を記した紀伝体の書(正史)。120巻。南朝宋の范曄(はんよう)の撰。本紀10巻・志30巻・列伝80巻。そのうち志は晋の司馬彪(しばひよう)の「続漢書」の志を北宋時代に合刻したもの。 |
光武帝:
(BC5〜AD57) |
中国後漢の初代皇帝(在位25〜57)廟号は世祖。
22年王莽オウモウを討ち、25年即位して漢室を復興した。
赤眉セキビの乱を平定、36年中国を統一。儒教を尊重、礼教主義による政治を行い、王室の基礎を確立した。 |
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30余年前にはじめて訪ねた金印公園、2002年久しぶりに訪ね、はじめて撮影しましたので頁を編集しました。
今(2008)年義父の法事で志賀島に行きましたので、終わったあと公園内をもう少し丁寧に見て回りました、郭沫若の漢詩碑が建立されていましたがわたしには漢文は読めませんでしたが、日本語訳が付いていました(帰宅後調べると九州帝大に留学していた人物でした)ので頁を改めて編集しました。 |
08.06.06更新 02.05.03裕・編集 |