金印公園-拡大版-
金印公園その1
  福岡市東区志賀島字古戸の金印公園に建立されている 「漢委奴國王金印發光之處・碑」「金印発掘記念碑」などをこの頁で取り上げました。
「漢委奴國王金印發光之處」碑が訪れた人を最初に迎えてくれます。
裏面をみると
「天明四年二月二十三日志賀島村ノ農甚兵衛■■ノ溝ヲ修ス地下ニ石垣アリ金印一■■・・・・
大正十一年三月 従四位勲三等 武谷水城撰 勲七等松浦到書」と仮名交りの碑文(金印発掘から国宝になった経緯)が刻まれているようですがわたしにはよく読めませんでした。
撰文、書の人名も不鮮明でしたがわたしがそう読んだだけですので間違っているかもしれません。いままで見ることもなかった碑の裏面に今(2008年4月)回碑文が刻まれていることにはじめて気がついたのです。
(別頁で編集します)
今(2008年4月)回は義兄の孫、義妹、わたしの息子と訪ねましたので、時の移ろいを感じていました。
30余年前、義父、義母が結婚を許してくれたあと女房とぶらり散歩しながらこの公園に来たことをおぼろげながら記憶するだけの歳になってしまいました。
2021年コロナ禍でしたが、義兄の四十九日法要には出席しなくてはと息子たちと来たのです。法要時間前に着きましたので、ここ金印公園を訪ねたのです。
そのとき、ここ金印公園がリニュアルされて新しくなっていたので、(リニュアル前の)金印公園を見直し田のです。
22.10.15.更新    08.06.05裕・再編集
金印公園(リニュアル前)案内図
1973(昭和48)年及び1974(昭和49)年に福岡市教育委員会と九州大学による金印出土推定地の発掘調査が行われ、1975(昭和50)年金印出土地付近は「金印公園」として整備されました。
(整備前は段々畑でした)

04.04.25撮影 
金印公園案内図

04.04.25撮影
「漢委奴國王金印發光之處」碑 金印公園前広場

04.04.25撮影
石段を登って 金印発掘記念碑広場へ

04.04.25撮影
金印発掘記念碑広場(から能古島をみる)

08.04.28撮影
金印発掘記念碑

04.04.25撮影
金印公園案内図
金印公園その2
  福岡市東区志賀島字古戸の金印公園の「各方角をみる方向広場」などをこの頁で取り上げました。
いままで金印公園を訪ねていましたが、さして広くはない全体を見ていなかったなと、今(2008年)回は休憩所、方向広場もみてみました。福岡は中国とのつながりが深いことから、関連の碑が建立されていますが、見ただけですませようとしました。
08.06.05裕・再編集

08.04.28撮影
公園上段には休憩所が設置されています

08.04.28撮影
志賀の島から各方角をみる方向広場

08.04.28撮影

08.04.28撮影

08.04.28撮影
金印発掘記念碑広場の案内図と楊尚昆詩碑

08.04.28撮影

08.04.28撮影
広州市との友好を謳った石碑(楊尚昆詩碑)
08.04.28撮影
郭沫若作「戦後頻りに伝う友誼(ゆうぎ)の歌」詩碑 1974(昭和49)年冬郭沫若
金印公園から博多湾をみる
  福岡市東区志賀島字古戸の金印公園からみた「能古島」や「福岡の街」が見えました。
*わたしが大学生時代までは志賀島は粕屋郡志賀町で、1971(昭和46)年福岡市に編入されました(ので)。
志賀島金印公園から博多湾の向こうに福岡の街が見えるのです。きらきらひかる屋根は福岡ドームの屋根かななどと目を細めて眺めていました。井上陽水が歌った能古島がまじかに見えるのです・・・
08.06.03裕・再編集   02.05.03裕編集

02.04.29撮影
博多湾越しに福岡の街をみました・・・水中翼船が航行していました

02.04.29撮影
眼を西に転ずれば能古島が目に入ってきます

02.04.29撮影
正面が能古島です



福岡ぶらり散歩



何処に行ってもぶらり散歩一覧
金印公園-概説・リニュアル前-
金印公園-拡大版-
  「漢委奴國王金印發光之處」碑
(公園内建立)郭沫若・詩碑
金印公園-リニュアル後-
金印について


inserted by FC2 system